Just a Moment -Florally- side ep.4

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「稲井さんの分のキャンバス、とってあるのに使わないならっていうことだけど?」
「……使いませんから、とっておかなくて構いません」
理不尽とも言えるだろうか。
しかし、私は今、美術部を辞める訳にも、図書館通いをやめる訳にもいかない。
「それに、幽霊部員って言ったって、みんな制作の手伝いは来るけど、稲井さんは来なかったよね?」
「それは……」
水彩の私をのけ者にしたのは誰だっただろうか。
笑っていても、彼女の表情は、「学校の人気者とつるんでるだけで調子に乗るな」と言っている。
やっぱり、美術部なんて入らなければよかった。
図書館で絵を描きたかっただけだもの。
「わかりました。ご迷惑かけているようなら」
どうせ、少しすればまた戻れる。
先輩とは連絡手段がないから、少し心配をかけてしまうかもしれないけれど。

「…………」
何だか気に食わない。
香乃子は何も不謹慎でもなかっただろう。
きっと理不尽なことだ。
彼女自身は気にしていないんだろう。
少しさびしいし、イライラする。
この苛立ちを忘れるために、最近は頻繁に楽器庫へ行ったり、練習に顔を出している。
佑とかには、機嫌が悪いのがバレているようだった。
香乃子の姿は、あれからちらとも見ていない。
彼女は自分の話はしないが、図書館担当をずっとやっているくらいだ。
きっと、俺と同じで、適当な人とつるむより、一人でいるほうが好きだろう。
教室で孤独でいるのなら、以前までの放課後のこの時間は楽しいものだったのではないか。
でも、教室に自分が行ったら、もっと大変なことになる。
……沙希ちゃんに相談してみようか。

「あれ? キー先輩」
1年生のいる階であくびをしながら誰か来るのを待っていたら、ちょうど明凛ちゃんが通りかかった。
「ん? あぁ、な、沙希ちゃん連れてきてくれないか?」
「え? いいですよ」
走っていって、沙希ちゃんを連れてきてくれた。
「崎谷先輩……」
微妙な表情をする沙希ちゃんを見て、明凛ちゃんはすっと去っていった。
「香乃子ちゃん、美術部辞めました。勉強はできるみたいだから、親はそれほど言ってないみたいなんですが、毎日図書館に行くことできないみたいで」
ほとんどもう聞いた情報だ。
何か変わることなんてない。
どうすればいいのかわからない。
一体どうすれば……。
「ちょっとだったら、いいよな。……香乃子に伝えておいてくれないか? 楽器庫で待ってる」
香乃子に迷惑なことかもしれないから、とりあえずは話したい。
沙希ちゃんは、わかりましたと答えて、彼女とは別れた。

「あ! キー、今日は来るのか?」
前方から来る小さな影に手を振られる。
ウジか。
「わからん。行くとしても遅れる」
今は、あっちが大切だ。
もう、ライブも近い訳だけど。

楽器庫には誰もいなかった。
電気をつけて、とりあえず座る。
場所が思いつかなかったから、こんなところだ。
ついついドラムを前にしてウォームアップをしていたら、扉が開いた。
「先、輩」
眉をひそめて静かにそう言った。
「香乃子……。戻ってきてくれ」
そう、今はただそれだけ。
彼女は苦しそうに表情をゆがめた。
「本当のことを言ったら、先輩は怒りますか……?」
数度のためらいの後、香乃子はゆっくりとそう問うた。
怒る訳がない。
自分は香乃子が好きだ。
それだけなのだから。
首を横に振ると、香乃子は笑った。
「本当は、少し怖かったんです。有名人とも言える先輩にあんなによくしてもらってたら、周りの人は何て言うかわからなくて。……それと、先輩に迷惑かけてたらって」
自嘲するようにはにかみながら、そう言った。
……香乃子は。
「俺は迷惑もしていないし、何か言われたなら俺を呼んでくれ」
傍まで歩み寄ると、香乃子は少し身を引いたが、俺はその腕をとって引き寄せた。
「俺はお前が好きなんだから……」
「……嘘じゃないですよね」
「勿論だ」
香乃子は、楽しそうに笑った。
「私も、好きです。嬉しい……です」
顔が見られないからと彼女から離れると、香乃子は慎ましやかに微笑んだ。
それは、色づいていく花のように。


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