Just a Moment -Florally- side ep.3

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彼の鍛え上げられたような体を見て、誰もが、運動に全てを懸ける少年のように思うだろう。
香乃子も最初はそう思っていたし、今でも、毎日ランニングしてるんじゃないかとか、中学のときは野球でもしてたんじゃないかとか野暮なことを考えている。
しかし、彼の奏でる力強いドラムの音を聞いたとき、何だか大体わかったような気がしたのだった。
その音のために、一切を無駄にしていないような、そういう錯覚に陥った。
だから、丁寧で、パワフルで、興奮させる。
彼自身がとても無口な分、音色は饒舌だった。
つまりそれほどの、個性やらを超えた何かを感じさせる演奏だったのだ。
香乃子が彼に絵を描くと言った理由の中には、彼もまた自分の絵の中から何かを感じ取ってくれるのではという期待も混じっていた。
彼に送る花束は、フリージア。
可憐な花を咲かせるその植物は、確かに自分の気持ちを表すのに最適だと、長い間悩んで、香乃子はそう思った。
言葉なんて野暮なもので表せるほど簡単にできている訳がなかった。
彼のように素直に告げることも、思うままに行動することもできないのだから。
香乃子は、自分はこの広い図書館を半ば無理矢理自分のものにしたけれど、それでも心は解放されないものだと自嘲した。
自分のような性格の女は、いつだって難癖をつけられたりする対象だ。
こうして彼と仲良くやっていることも、知っている人が少ないから小さな噂程度で済んでいるが、いずれはどうなるかはわからない。
彼に迷惑をかけてしまうなら、無理にでもこの関係を終わらせてやると、そう決意はしているものの……。

自分では真似できないことを、他人が目の前で、その手でやってのけると、ふとそれは自分とは違う手なんじゃないかと思うことがある。
香乃子は、緊張した面持ちで鉛筆を握り締めて画用紙に向かっている。
正しくは、水彩紙という透明水彩専用の紙らしい。
描いているところが見たいと頼んだが、やはり人前で描くのは慣れないのか、なかなか進まず、だんだんと午後の陽気にやられてまどろんでくる。
しかし、そこは意地とばかりに必死で耐える。
ふと、香乃子の白い横顔がこちらを向いて綻んだ。
「先輩。眠いなら、どうぞ寝てください。私は少し進めておきますから」
彼女の微笑みは、母のような暖かさだとつくづく思う。
そして、それに包まれながら瞼を落とす。
香乃子には、この広い図書館がとても似合うと、今更ながらそう思った。

香乃子が図書館に来なくなった。
少し前と同じように、毎日違う人が退屈そうにカウンター当番をしている。
図書館に毎日行って、そこにはいつも香乃子がいたから、ほぼ毎日会っていたけれど、今考えてみると、何の連絡の手段もなかった。
少しさみしいが、彼女の事情なら仕方ないと、何故か無情にもそう思った。
またいつものように昼寝をしようと机に伏したとき、図書館の扉が開く音がした。
ちらと視線を配せると、見覚えのある顔だった。
ええと……佑の妹の友達だったっけか?
彼女は俺のほうまで歩いてきて、話しかけてきた。
「崎谷先輩。……香乃子ちゃんのことなんですけど」
よく知らないが、香乃子の知り合いだったんだろうか。
「あの子、幽霊部員だからって理由で美術部辞めさせられそうになってるんです。ただの言いがかりとしか思えないけど……。その件で、親にちょっと厳しくされているみたいで、放課後の当番全部行けなくなったって……」
そんなことがあったのか。
その退部騒動がもし、自分が関わっていることで誰かの妬みを買って起きたことだったら、申し訳ない。
そういうことは、はっきり言って少なくない。
啓司や佑は人柄もあってか、そうでもないが、俺や桂は酷くそういった傾向にある。
桂はよりワケありだしな……。
佑の妹……明凛ちゃんは「無敵の佑サマ」の保護があるから大丈夫とかなんとか。
何かしてやれることはないかと考えながら、伝えてくれたことへのお礼を彼女に告げて、俺はその日は帰ることにした。
香乃子に対しては、一緒に過ごしていて楽しいとは思っているから。
一言で言い表せば、「好き」なんだ。


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