Just a Moment - ep.7 "New Side of You"
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 強い風が全身を襲う。
 夢中で腕を振り、足を動かす。
 やっと見えてきた、次の走者の背中。
 必死で合図を出して、最後の力を振り絞りバトンを渡す。
 無事渡せて、トラックの内側へ入ると、沙希がお疲れ、と言ってくれた。
 文化祭が終わり、その熱も冷めやらぬうちに、体育祭。
 秋の風は肌寒く感じるけれど、運動した後にはとても丁度いい。
 沙希はクラスの女子の中でも一、ニを争うほど足が速いので、一年生の女子のアンカーだ。
 全然運動なんてできない私は真ん中らへん。
「沙希も頑張ってね! 沙希にかかってるんだから」
 冗談半分に言うと、沙希はおう!と男らしいポーズをとって笑ってくれた。
 私は運動音痴だから、全員参加のリレーだけに参加した。
 あとは、運動部の皆さんにお任せ、だ。
 沙希も運動部じゃないんだけどね。
 次々と走っていくクラスメイトの名前を呼んで応援しつつ、お兄ちゃんの姿を探す。
 全学年合同だが、私はC組でお兄ちゃんはD組だから、仲間ではない。
 C組の二年生の知り合いは、渡先輩だけだった。
 沙希は渡先輩と何かと仲がいいから、さっきも色々話してたみたいだけど。
 ――見つけた。
 一年生がまだ終わっていないから、二年生はみんな喋っている。
 と、沙希の走順になって、クラスの女子が沙希の名前を呼ぶ。
 私も必死に叫ぶ。
「沙希ー! 頑張れ!」
 2番だったA組を抜かし、C組が2番。
 A組との距離をどんどん離していく。
 1番のF組はまだ遠いが、確実に差を縮めて、2年生にバトンパス。
 沙希の功績に、拍手が起こる。
 笑顔で私の元へ歩いてくる。
「はぁ、やったね!」
 頷いて、ハイタッチをする。
「高倉先輩、確か走順最初の方だったよ」
 言われて、男子の列の方を見ると、お兄ちゃんが立って並ぼうとしていた。
 お兄ちゃん、運動得意だもんなあ。
 勉強と家事があんまりできなくて、楽器以外はかなり不器用なんだけど。
「桂先輩は運動とかどうだか知ってる?」
 気になったから先に聞いてみたけど、沙希もうーんと考える。
「聞かないんだよねー、赤坂先輩について、スポーツとかの話は。だから、そんなにって感じなのかも」
 そっかあ。
 でも、家事に楽器、勉強ができれば十分だと思う。
 そんな会話をしているうちに、お兄ちゃんがバトンを受け取って走る。
 自然と黄色い歓声が巻き起こる。
 やっぱり速い。
 ライバルチームだから応援する訳にはいかないけど、見とれてしまう。
 D組は遅れがちだったから、前の人には追いつけなかったけど、それでもお兄ちゃんは十分貢献した。
 その後もトルクウェーレの先輩達はみんな歓声を受けていた。
 桂先輩は真ん中の方の走順で、私なんかよりは全然速いけど、お兄ちゃんやキー先輩と比べると遅く感じた。
 結局、順位はあまり変動せず、F、C、A、D、B、Eという結果だった。
 私は、もう出る競技がなくなったので、応援席に戻って応援。
 この後はずーっとこの炎天下の中、応援か椅子に座っているか。
 沙希と一緒になんとなーくゆるく応援をして、午前の部は終わった。

 沙希に引っ張られて、保護者席まで向かう。
 文化祭の後に約束したお弁当は、体育祭を見に来ている桂先輩の弟――稜君とも食べることになっていた。
 稜君を見たことがあるという沙希に、彼を探してもらう。
「いたいた! 高倉先輩と……えっと、三山先輩もいる!」
 頷いて、人をかきわけて進む。
 お兄ちゃんと、清香先輩と共に立っていたのは、桂先輩に確かに似ている男の子。
 焦げ茶色のクセのない髪と、すらっとしたシルエット。
 小麦色によく焼けた肌と、少し活発的な印象が、桂先輩と違う。
「おー。明凛に、沙希ちゃん。――稜、こいつが俺の妹の明凛。んで、えっと」
「明凛の親友の河野 沙希です!」
 はしゃいでるはしゃいでる。
「桂の弟の、赤坂 稜(あかさか りょう)です。よろしくね、明凛ちゃん、沙希ちゃん」
 桂先輩よりちょっぴり明るくて、それ以外は似ているのに、違う雰囲気。
「ね! そっくりだよね! でも色々正反対なんだよ、面白いことに」
 清香先輩が笑う。
 今日は後ろ髪をひとつにまとめている。
「ああ、兄貴は運動しませんからね。俺もあんまり家事とかはできません」
 思っていたよりも、ずっといい人そうだった。
 キーと先輩とウジ先輩、そして桂先輩も到着した。
 桂先輩は、あの小高先輩を連れていた。
「こんにちは。私も一緒に食べていいかな?」
 非の打ちようのない素敵な笑顔を向けられたので、首を横に振れる訳もなく、何度も何度も頷く。
「あはは。ありがとありがと。面白い子だね。劇、見に来てくれたよね。私、小高 美紗。桂と稜のお隣さんなんだ。よろしくね」
 完璧だ、この人。
 軽くふわふわとウェーブした髪と、少し幼めの顔。
 モデルのようなスタイル、透き通った声。
 それでも嫌味な印象を与えさせないのは、その明るさからだろうか。
「え、と……。高倉 明凛です。高倉 佑の妹です」
「へえ、高倉君の。……よく見たら、似てるね」
 お兄ちゃんは、この人の……この人と桂先輩の何を知っているんだろう。
 私は、小高先輩の存在を無視できないんだろうか。
「明凛ちゃん?」
 桂先輩の言葉ではっと我に返る。
 首を横に振って大丈夫です、と無理して笑ってシートに座る。
 きっと沙希とお兄ちゃんは気づいてる。
 大丈夫、と自分を落ち着けることなんてできない。
 あからさまな恋敵なんてものじゃないのに。
 小高先輩が、桂先輩の恋愛対象だったら。
 桂先輩にとっての女の子のレベルがあんなに高かったら。
 中学の時から彼氏も告白も何もなかった私じゃ、努力しても無理だよ。
 何でもないような顔をしていられる自分が憎らしい。
 自慢のお弁当を広げて、先輩と沙希がすごい、すごいって言ってくれても、今の私には、ちょっとその言葉を噛み締める余裕がなかった。
 応援席に割り箸を置いてきてしまったのを取りに行こうと立ち上がる。
 あれ? 何かぐらぐらする――
「明凛!?」
 ふわふわした感覚と急な吐き気。
 視界が揺れる。全ての色がちかちかする。
 誰かに受け止められているという感触を確認した瞬間、意識が遠のいた。

 聴覚が戻ってくる。
 賑やかな声が遠くの方から聞こえる。
 触覚が戻ってくる。
 背中に硬い感触。
 額の辺りに冷たい重み。
 嗅覚、味覚が戻ってくる。
 意識がはっきりしてきて、最後の記憶を探り出す。
 私……倒れたんだっけ。
 それで、誰かに受け止められて……。
 まだ重くて苦しい身体の感覚に、とても違和感を覚える。
 ゆっくりと瞼を開くと、そこには見慣れない男の子がいた。
 ええと……稜、君?
「あら、目が覚めたのね。どう? まだ気持ち悪かったりする?」
 あまりお世話になったことのない養護の先生。
 答えようとゆっくり起き上がる。
 なんだかボーッとする。
「ええと……。まだ、少し」
 稜君は黙っているが、その表情は何か考えているようだった。
「そう。それじゃ、水飲んで、まだ寝てていいよ。――彼が運んできてくれたのよ」
 優しく微笑む顔に少なからず私は安堵した。
 稜君が運んできてくれたのか。
「稜君」
 声をかけると、思い出したようにこちらを向いた。
「ああ。大丈夫? 俺、隣に座ってて、倒れこんできたから、反射的にそのままこっちまで運んできちゃった」
 最後にふわりと感じたあの感触は稜君だったのか。
 どこまでも優しい笑顔で稜君は笑った。
「そうなんだ。ありがとう」
「あ、俺、弁当分けてもらってくるよ。俺、昼飯食べて帰るし、明凛ちゃんも食べなきゃ」
 そう言って席を立つ稜君。
 いい人だなあ、と思っていると、先生が口を開く。
「彼、生徒じゃないみたいだけど、誰なの?」
「あの……赤坂 桂先輩の弟君です」
 へえーと感心したように言う。
「優しい子ね」
 頷いて、また寝そべる。
 稜君……噂って、本当なんだろうか。
 桂先輩と似て、優しくて、かっこいい。
 そんな気がした。
 だけど、あまりに似すぎていて、違和感があるような。
 後から生まれた子は兄や姉とは違った個性を発揮しようとするって、どこかで聞いたことがあるけど。
 それに、その表情は少し冷たく見えた。
 稜君とお兄ちゃんが駆けつけてくれて、一緒にご飯を食べる。
 稜君は水泳をやっているらしい。
 だからこんなによく焼けているんだ。
 家の近所の私立校に通っているらしい。
 ファミレスでバイトをしながら水泳部か。
 バイトのために稜君は帰っていった。
「なあ、明凛。……男には気をつけろよ」
「え? 急に、何それ」
 いや、別になんでもないけど。
 お兄ちゃんは、ちょっと思いつめている表情だった。
 なんなんだろう。
 桂先輩もお兄ちゃんも、私にはわからない世界で、何か悩んでいる?
 そうなんじゃないかなあと思うと、ちょっと寂しくなった。


 ――Just a Moment

 完璧じゃない。
 そんなもの、求めてないから。
 あなたの新しい一面は、悪いものじゃない。
 加速し続ける恋心に、ブレーキをかけてくれるだけ。


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