Just a Moment - ep.4 "You.Me and..."
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「おはよー」
 沙希がポニーテールを揺らしながら私の元に来る。
「おはようー」
 部活に入っていないせいか、長く感じられた夏休みも、もう一昨日で終わった。
 校内は、二週間先に迫った文化祭の準備で慌しくも賑やかな雰囲気だ。
 あの勉強会の後、何度かお兄ちゃんは赤坂先輩を家に呼んでいた。
 あのときみたいに、勉強を教えてもらったりはしていないものの、ちょっと世間話程度なら何度かした。
 緊張のしすぎで話せない、という状態にはならなくなるまで進歩はできた。
 これも、お兄ちゃんのおかげだろう。
「あー、文化祭も間近かぁ〜。文実で一番忙しいのはなんてったって本番! でも、空いた時間はとことん遊ぶよ!」
 沙希は今から気合いを入れている。
 でも、多分、色んなところを回るんじゃなくて、お兄ちゃんとかの追っかけだろうなあ。
 私は軽く笑い流しながら「お兄ちゃんは劇出ないらしいけどね」と付け足した。
 沙希は軽くショックを受けた顔をしながら、手を軽く振って自分の席へと戻っていった。

 四時間目終了のチャイムが鳴る。
 教科書を持った生徒がぞろぞろと廊下へ出、私もロッカーに教科書をしまおうと席を立つと、沙希がやってきた。
「忘れてたけど、赤坂先輩のこと、いっぱい教えてあげなきゃね」
 そっか、あの日のメール。
 沙希には勉強会のこととか、その後のことも、全部メールで話した。
 お兄ちゃんの協力のことを言うたびに、恐ろしいほどに「いいな〜」って言われるけど。
 席につき、お弁当を取り出す。
 沙希も近くの席に座り、お弁当の包みを開く。
「そうそう、文化祭で赤坂先輩、やっぱりライブ出るみたいだね」
「やっぱりそうなんだ」
 薄々というか、気づいてた。
 だって、お兄ちゃんは赤坂先輩を家に呼んで勉強しててもギターを弾きたそうにするし、一回、赤坂先輩はベースを背負ってウチに来てた。
「ウチの高校の軽音楽部看板バンド、トルクウェーレ! 赤坂先輩と高倉先輩、三山先輩に崎谷先輩、品川先輩! あのメンバー、ホントにみんな素敵すぎるよ〜」
 沙希は両手で頬を覆って悶えている。
 私は苦笑いしながら箸を進める。
 全然知らないなあ。
 ウチは狭いから5人も入らないもんね。
「文実の仕事さえなければ、最前列を死守するのにー! 明凛、高倉先輩に頼んでどうにかできないの!?」
「あはは、相談してみるよ」
 沙希の勢いにはついていけないなあ。
 このお兄ちゃんへの想いは、好きとかじゃなくて憧れというか、ファンなんだろう。
「そうそう、で、赤坂先輩ね、弟いるんだって。あたし達と同級生の」
 沙希がやっとお弁当を食べ始めながら言う。
「他の高校通ってて、先輩と似てかっこいいんだけど、関係は微妙なんだって」
 話に頷きながら、想像してみる。
 赤坂先輩の弟か……どんな人だろう。
 意外と性格は正反対だったりして。
「噂なんだけどね……先輩が前に好きになった子と、よく仲良くなるんだって。横取りするみたいに。――まあ噂だけどね。あたしも、ちらっと見たことあるよ。去年の文化祭で赤坂先輩と一緒にいたの」
 だから、付き合った子がほとんどいないのかな。
 今の私には、本当に関係なかった。
 だけど、私は後々、この「微妙な関係の弟」に頭を痛めることになる……。
「高校生になってからは、横取りとか以前に告白とかも全部断って、そういうのに全く手をつけてないんだって。その気になってないっていうよりは……やっぱり気にしてるのかなあ、弟のこと。そんな感じだって」
 先輩も、悩んでるんだなあ。
 でも、私にはその弟も、別に悪い人には思えなかった。
 誰にだって、色々と複雑な恋の事情はあるよ――多分。
「ねえねえ、明凛はさ……。赤坂先輩の、どこが好き?」
 沙希が急にそんなことを聞くから、びっくりして赤面してしまった。
「そんなこと言われても……。優しいところとか、お兄ちゃんみたいなノリを冷静に受け流せるところとか、あと――なんかね、自分の問題を愚痴にしたり、他の人の憂いにしないような、そんな雰囲気があるの。それもある種の優しさだけど、簡単には真似できないよね」
 そう真面目に考えて言うと、沙希は、驚いたようだった。
 先ほどまで結構なスピードで動かしていた手も止めて、珍しくその大きな瞳を見開いていた。
「びっくりした。明凛って、他の女の子と全然違う。かっこいいからとか、ただそれだけで人を好きになるのが恥ずかしくなるかも」
 そうかな、と答えて、よく考えてみた。
 でも、私も一番最初は、かっこいいなあって想って、傘を貸してもらって優しいなあって想って……。
 それなら、私が本当に赤坂先輩を好きになったのは、あの勉強会の日なのかな?
 先輩は自分をぼかしてるって、そういう風に見えたのは、ストラップがお揃いだって言ってくれたとき、先輩の本心が見えた気がしたから。
 何を思っていても、周りの空気に合わせて自分を押し込めるような。
 私、本当に恋してるんだなあ。
 お兄ちゃんとかに対してだって、こんなに色々考えたことないもの。
「あ、あたし、委員長に呼ばれてたんだった。ごめん、また後でね」
 物凄く素早い手つきで沙希は弁当をまとめると、軽く手を挙げて教室を出て行った。
 沙希は好きな人、いないのかな――。

 その日、家に帰ると、いつも殺風景な玄関が、賑わっていた。
 いつものお兄ちゃんの靴。
 それに、綺麗に揃えられた男物のローファーと女物のローファー一足ずつ。
 揃えようとした跡はあるものの無造作に散らばる男物のスニーカー二足。
 あれ……誰だろう。
 男物のローファーは、赤坂先輩だと思う。
 傘を貸してもらったあの日、ずっと見ていた足元と確かに同じものだった。
 あとは……もしかして、バンドの人かな?
 覗いてみよう、そう思って、部屋にカバンを置いてから、お兄ちゃんの部屋を覗いてみた。
「お? おかえり」
 広いとはいえないその部屋の中に、男4人、女1人が詰まっていた。
「妹ちゃんキター! 佑に似てかっわいー!」
 お兄ちゃんの隣にギターを抱えて座った女の人が言う。
「私、三山清香。二年で、ここの5人のバンド、トルクウェーレで、ギターやってます! よろしくね!」
 三山先輩は、ショートカットの淡い栗の髪がよく似合う、透き通った感じのお姉さん、という感じだった。
 お兄ちゃんと同じギターということもあってか、二人はとても仲がよさそうだった。
「こいつら、みんな同じバンドのメンバー。――ほら、キーも自己紹介」
 そう言ってお兄ちゃんは、三山先輩の逆に座った男の人を小突く。
 細身だけど長身で、バスケットボールのプレイヤーみたいなルックス。
「ん……崎谷浩佑。みんな、キーって呼ぶ。えーっと? あ、ドラムパートやってるよ」
 外見とは違って、ちょっとボーっとした感じの人なのかな、と思った。
 そして、お兄ちゃんが促すまでもなく、もう一人、眼鏡をかけた小柄な男の人がこちらを向いた。
「品川啓司、キーボード担当! ケイジかウジって呼んでね。よろしく!」
 明るい茶色に染めた髪がよく似合う、明るい笑顔だった。
 少しチャラチャラした印象も受けるものの、どことなく誠実さが感じられる。
「まあ、それで、ご存知の通り。俺はベース担当だね」
 赤坂先輩が笑う。
 一通り見渡してみると、トルクウェーレの人は、皆いい人そうで、とても楽しそうだった。
「高倉明凛です。よろしくお願いします」
 沙希が熱くなっちゃう気持ちも、ちょっとわかるかも。
 この人たちの演奏がどれほどいいものかは、まだ知らないけれど。
 ちょっとお兄ちゃんと赤坂先輩と世間話をして、三山先輩のギターの自慢話を聞き、私は部屋を後にした。
 時たま、ギターやベースの弦を弾く音が、私の部屋にいても聴こえる。
 楽しみだなあ……文化祭のライブ。

 その夜、お兄ちゃんに最前列の席のことを頼むと、渋々ながらもOKしてくれた。
 でも、二人だけだぞって言う横顔は、ちょっと嬉しそうだった。

 文化祭まで、あと二週間。


 ――Just a Moment

 貴方と私と、それ以外の人。
 貴方のことと、私のことと、それ以外のこと。
 どんなに気になっても、貴方のことを追うだけで精一杯だから、今だけ、ちょっと立ち止まってほしいな。


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