Just a Moment - ep.3 "First Step"
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「今度、宿題手伝ってもらうためにウチに呼ぼうか?」
 お兄ちゃんは、そう、半分からかうように言っていた。
 そんなことしたって私が何もできないのはわかってるのに。
 お兄ちゃんの友達って事しか、接点がない。
 いや、何も接点がない人からしたら、大分近い存在なのかもしれないけれど。
 このまま何もしないでただ憧れているだけじゃ、いつの間にか先輩は卒業してしまう。
 いくらお兄ちゃんの友達だからと言っても、会うことは少なくなる。
 でも、そんなことわかっていたって、私には何もできないよ――。

「おい、おーい、明凛ー」
 あれ、お兄ちゃんの声がする……。
 はっとして目を開ける。
 私、寝てたんだ……。
「あ、起きた。飯だぞー」
 小さく頷いて、ゆっくりベッドから起き上がる。
 ちょっと、暗いこと考えてたけど、寝たら気分が明るくなったかも。
 ここはせめて、お兄ちゃんという接点を大きく見よう。
 そしたら、チャンスも掴めるかもしれない。
「生きてますかー」
 そんなこと考えたままぼーっとしているとお兄ちゃんが私の目の前で大きく手を振る。
「あ、うん」
 私はベッドから降りて、お兄ちゃんを先に部屋の外に出して一緒にリビングへ向かった。


「ごちそうさまでした」
 夕食を終え、食後のまったりタイム。
 私はただ何をするでもなく、ぼーっとテレビを眺めていた。
 お風呂に入っていたお兄ちゃんが上がってきて、私の隣でコーラを飲んでいた。
「あ、そうだ」
 私と同じく、テレビを眺めていたお兄ちゃんが、思い出したように言う。
「桂、明日来るから」
 テレビから視線をはずすことなく、さらっと言いのけた。
「へ!?」
 私は驚きでお兄ちゃんの横顔を3回くらいチラチラと見てしまった。
 確かに有言実行なお兄ちゃんだけれど、こんなに早く実行するとは思わなかった。
 多分リビングかお兄ちゃんの部屋で勉強会だろうけれど、部屋に引きこもってない限り1度くらいは会うだろう。
 しかも。
「大丈夫、大丈夫。心配しなくてもリビングでやる予定」
 なんて言う。
 きっと今の私の口はあんぐりしたまま閉じることができない状態だろう。
 その証拠に、お兄ちゃんがすました顔をしながら若干ニヤニヤしているから。
 嬉しいけど……嬉しいけどっ!
 まだあの迫力を見慣れてないから、上手く話せないし、オドオドしちゃう。
 どうしようどうしよう!
「アイツ何でもできるから明凛も勉強教えてもらえばいいと思うよ」
 お兄ちゃんはどう考えても完全に楽しんでるし。
「そんなことできないよ!」
「だーいじょーぶ。自慢の妹だ、桂の印象は悪くないぞ」
 お兄ちゃんはニヤニヤ。
 私はあんぐり。
 一通りからかいの言葉を並べたてると、お兄ちゃんはまた私の頭をぽんぽんと軽く叩き、これやるよと飲みかけのコーラを私に手渡してリビングを出て行った。
 どうなんだろう、私って。
 自慢とか誇りとか、よくお兄ちゃんは言ってくれるけれど、他の男の人――赤坂先輩から見たら、どうなんだろう。
 派手な女の子にはついていけないし、特別取り柄がある訳じゃない。
 今からこうして色々と考えたって、全然意味ないなんてこともわかってるけど。
 いいチャンスで、損は誰もしないのに、嬉しいのかな、嬉しすぎて、胸が痛くなる。
 その日、私は緊張してなかなか寝付けなかった――。


 寝不足。
 今日は委員会とかないから別に早起きする必要はなかったんだけど、なんてったって、赤坂先輩がウチに来ちゃうから、寝てる訳にもいかない。
 ちゃんと寝られなかったから、顔色は最悪だけど、嬉しさとか色々と胸の中でもやもやしているものを晴らすべく、冷たい水で顔を洗う。
 眠たい目をこすりながら食卓につくと、お兄ちゃんはもくもくとトーストをかじっているけれど、私と目が合うとちょっと口の端を吊り上げて笑う。
 そんなお兄ちゃんの行動も相まって、私の鼓動はさっきから加速し続けている。
 朝食を食べ終えると、なんだかもう時間を持て余している気分で。
 何していようかな、着替えるべきかな、でも気合い入りすぎな服はちょっと引かれちゃうかな。
 自問自答を繰り返しつつ、最終的にはもう自暴自棄になって、ほとんどの自問にわかんないよ、と返す始末。
 と、そのとき、チャイムが鳴って、お兄ちゃんが階段を下りる音。
 私の心臓は、まるで一人でステージに立って歌う直前のように強く速く鼓動している。
 聞き慣れたお兄ちゃんの声と、聞き慣れないけれど、強く耳に残るあの声が階下で笑いあっている。
 ど、どうしよう、なんて思っていると、お兄ちゃんが階段を駆け上ってきた。
「側で宿題やってるだけでいいから下りてこいよ」
 満面の笑みでそう言って、足の進まない私を無理矢理引っ張ってリビングまで連れて行った。
 その様子を見て、赤坂先輩は、目を丸くしながら軽く笑っていた。
 私はなんだかものすごく恥ずかしくて、お兄ちゃんの手を引き剥がして回らない口で挨拶をした。
「お、おはようございます……!」
 赤坂先輩は、再度笑いかけておはようと言ってくれた。
 私服の彼は、制服よりも、より大人びて見える。
 かっこいいデザインのTシャツを着ているだけだけれど、とてもよく似合っていたし、何より、何を着ても似合いそうではあった。
 お兄ちゃんが私の横を通り過ぎて赤坂先輩の隣に座る。
 私も慌てて、お兄ちゃんとひとつ席を空けて座った。

「あー疲れたー! もうこんな時間かぁー」
 お兄ちゃんが大きく伸びをして言う。
「まだそんな経ってないでしょ。佑は理解は早いけど集中力が足りないよな」
 赤坂先輩が笑う。
 お兄ちゃんに向ける笑みは、友達同士の自然な笑みで、見ているととても心が温かくなる。
 私も、ところどころお兄ちゃんに聞いて、お兄ちゃんがわからないところは赤坂先輩に教えてもらった。
 不思議と、勉強を教えてもらうのにはあまり緊張はしなかった。
 それは、赤坂先輩が解説する姿があまりにも自然だったからかもしれない。
 お兄ちゃんよりもいくらか大人っぽいし、すごく教え方が上手い。
 親切で、理解できなかったところは何度でも教えてくれる。
 お兄ちゃんが飲み物とってくる、と席を立ったとき、私の携帯が鳴った。
 メールかな、と思って開くと、沙希からだった。
『昨日言う暇なくて忘れてたけど、赤坂先輩情報をお教えしようじゃないかー!
昨日も言ったとおり、高倉先輩の親友で、一年生のときは高倉先輩と同じ軽音楽部だったみたい。
二年になってからやめちゃったけど、物凄いベースが上手いらしくて、文化祭で復帰を望む声が多いらしいよ。
で、今は家の近くのコンビニでバイトしてるって話。
今の二年にも一年にも同じ中学の人がいなくて、中学以前の詳しいことはわからないけど、モテモテだったにも関わらず彼女持ったことがほとんどないとかってウワサ。
とりあえずはこんな感じ! 後はまた文実とかのときに』
 へえ、軽音だったんだ。
 そういえば、昨日学校に来てたのは、その復帰とかが関わってたのかな……。
 とりあえず返す言葉も見つからないので、『ありがとう』とだけ打って返信をした。
 携帯を閉じてしまおうとすると、赤坂先輩が驚いたように笑っていた。
 彼は自分のポケットから携帯を取り出すと、私の目の前にかざして見せてくれた。
 そこには、私が旅行先で気に入って買って、携帯につけている寄木細工のストラップと同じものがぶら下がっていた。
「お揃いだ。偶然だね」
 先輩は子供のように嬉しそうに笑った。
 その後、お兄ちゃんが帰ってくるまで、二人でストラップについての話をした。
 本当に偶然、同じところで同じものを選んだらしく、あれと悩んだだとか、ここがいいだとかそんなちょっとくだらないことで盛り上がっていた。
 だるそうにキッチンから帰ってきたお兄ちゃんは、このやりとりを見るなり、またからかうような笑みを見せた。

「それじゃ。お邪魔しました」
 赤坂先輩を見送る。
「おう。ありがとなー」
 お兄ちゃんが手を振る。
 先輩はそれに振り返すと、私の方を見て、言ってくれた。
「明凛ちゃんも、またね」
 夕日の照り返しもあって、笑顔が眩しく見える。
 思わず、朝から忘れかけていたドキドキが、再発してしまった。
 私は、にっこり微笑んで精一杯手を振った。

「お兄ちゃん、もしかして知ってた?」
 玄関に戻って言う。
「ん、何が?」
 とぼけたような声で言う。
 ああ、やっぱりそうだったのか。
「ストラップのこと。こればっかりはお兄ちゃんに感謝だけど」
 そう言ってちょっと回想に浸っていると、やはりお兄ちゃんは私の額を小突いて、部屋に帰って行った。


――Just a Moment
初めの一歩を踏み出せたけど、追いつけないよ。


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