Just a Moment - ep.1 "non stop"
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今、私の少し前を歩いている彼と会ってから、私の心臓は張り裂けそうな程に鼓動している。
――面食いなつもりはなかったんだけどな。
一目惚れって、そういうことだよね。
むう。私、情けないなあ。

 俯いている私には彼の足元しか見えない。
 けれど、その動きの一つ一つでさえも特別なものに思えてくる。
 彼の何かを知っている訳でもないのに。

 だんだん、学校が近づいてくる。
 傘を受け取ったとき何も言わなかったのだから、せめて最後はお礼を言うべきだ。
 きっと今の私に、何か適切な言葉を考える余裕はないのだけれど――。

 彼が、昇降口に辿りつく。
 私は早足で後を追い昇降口に入ると、傘を畳んで水分を落とし、丁寧に折り畳んだ。
「あの……ありがとうございました」
 既に靴を履き替えていた彼を探して、呟くように言い、傘を差し出した。
 本当はそんなつもりはなかったけれど、口と喉が上手く動いてくれなかった。
 彼はそっと傘を受け取ると、私に向き直った。
「いや、別に。――君さ、高倉 佑(たかくら ゆう)の妹さんだよね」
 彼が言った言葉に、私は驚く限りだった。
 高倉 佑は、確かに私の一つ上の兄の名前だった。
「え、はい」
 動揺しつつもなんとか声を発すると、彼は軽く微笑んだ。
「あーやっぱりか。佑がさ、そっくりの妹が同じ高校に通うことになったって言ってたんだ」
 そっか、やっとわかった。
 なんで、初対面の赤の他人に傘なんて貸してくれたのか。
 兄の知り合いとわかると、急に少し親近感が沸いてきた。
 それでも、私の中で彼は、とても遠い存在だった。
「名前は?」
 私が頭の中で様々な問題を解決して「なるほど」に浸っていたら、彼が聞いてきた。
「高倉 明凛(たかくら あかり)です」
 今一度、彼をしっかりと見上げて言った。
 は、初めて直視したけれど、本当に綺麗な顔……。
「明凛ちゃんか。俺は赤坂 桂(あかさか けい)。よろしくな」
 そう言って、彼は微笑んだ。
 その笑顔に、私の心はまた、どきりとした。
 固まる私に彼――赤坂 桂は軽く手を挙げて、「じゃあな」と言って去っていった。

 赤坂――先輩?の背中を見送って、見えなくなった途端、私の身体の力がすっと抜けた。
 やっと現実に戻った感覚で、先ほどまで、本当に五感は正常に作動していたのかどうか不安になった。
 服……重いな。
 これからどうしよう、なんてとてもあほらしいことを考えていて、ふと学校に来た理由を思い出した。
 はっとして腕時計を見る。
 そうだ、委員会に遅れそうだったんだ!
 途中走ってきたせいか、ギリギリの時間ではあったが、今から走らないと間に合わない。
 私は、力の入らない身体を奮い立たせて、委員会のある第一自習室へと駆けた。

 走っていたせいか、力一杯ドアを開けたくなるのを抑えて、そっと自習室のドアを開けた。
「おはよう、ございます」
 息が切れて上手く喋れない中、必死で挨拶だけはした。
 部屋の中には、いつも遅れてくる人やいつもいない人以外は、全員いた。
 その中で、私の親友、河野 沙希(かわの さき)が私の元へ駆け寄ってきた。
「おはよー。もしかして、雨に濡れた? すごいびしょびしょだけど」
 少しは傘を差していたとはいえ、ほんの数分で服が乾く訳もなく、沙希の言うように私はずぶ濡れだった。
「うん……。寝坊しちゃって、傘忘れちゃって」
 ドアの近くの手頃な机にカバンを置く。
 ファイルに入れてない紙は水没してるだろうな……。
「そりゃ、災難だったねー。いくら夏だとはいえ、そんなにずぶ濡れだったら風邪もひいちゃうだろうから、クーラー寒かったらちゃんと言うんだよ」
 私は、小さく頷き、委員会用のファイルをカバンから取り出した。
 幸い、中のプリントは全て無事だった。
「そんじゃ、明凛ちゃんも来たことだし、始めよっか」
 委員長、2年生の渡 晴善(わたり はるよし)の声で、文化祭実行委員会の会議は始まった。

「例年通り、閉会式は体育館で行うってことで。後夜祭については、後夜祭班の方で話がまとまってないから、まだでいいか。――んーそんじゃ、キリもいいし、昼休みで。午後は1時半から始めます」
 やった、お昼休み。
 私はさっきからずっと沙希に聞きたいことがあって、うずうずしていた。
 沙希は、ちょっとモテる私のお兄ちゃんの自称ファンだから、赤坂先輩について何か知ってると思って、そのことについて聞きたかった。
 私は、一応無事だったお弁当箱を持って弁当を広げている沙希のところへ向かった。
 幸い、周りには人がいなかったので、聞くチャンスだと思った。
「ねぇねぇ」
 早くも一口目を食べ始めている沙希。
「ん?」
「沙希って、うちのお兄ちゃんのファンなんだよね」
 沙希は、ちょうどご飯を頬張るところだったので、首をぶんぶんと縦に振った。
「それでさ、お兄ちゃんの知り合いっぽい人で、赤坂先輩って知ってる? 赤坂 桂先輩」
 私が聞くと、沙希は驚いた顔をすると、今口に入っているものを必死で飲み込んで言った。
「赤坂先輩!? 高倉先輩の知り合いっていうか、いつも一緒にいるよ。というか、単体でも高倉先輩とペアでも物凄い人気があって……。って、何で急にそんな?」
 いつも一緒にいるってことは、友達なんだ。
 家であんまりお兄ちゃんと話さないからなぁ。
「んーと、まあ、ちょっと今日赤坂先輩に会って、お兄ちゃんの知り合いみたいだったから、さ」
 そう私が微妙な返事をすると、沙希はニヤっとした。
「赤坂先輩はライバルが多いぞー。背高くてイケメンで、めちゃ優しいからね!」
 何てこと言うんだ。
 そんな私が一目惚れしたって決め付けたみたいな……。
 いや、現にそうなんだけど。
「別にそういう訳じゃないよー」
 うん、ここは冷静に、冷静に。
 沙希が味方についたら心強いけれど、今は言えない。
「んふふ。赤坂先輩を見て、少しも惚れない女の子はきっと存在しないと思うから、大丈夫だよ」
 なんて、沙希は怪しい笑みを浮かべながら言う。
 恋バナ好きな沙希が一番、自分の恋バナはしないんだよね。
「そっかー。ありがと」
 先ほどの沙希の台詞は無視して、私はとりあえず謝っておいた。
 何か、有名人みたいだったけど、私は全然知らなかったなあ。
 顔と名前と、お兄ちゃんの友達ってことだけしか知らない。

 もっともっと知りたいなあなんて思ってる私は、きっと先輩への想いが止まらないんだ。


 ――Just a Moment
 待ってなんて言ってる暇もない程、ノンストップで進んでいくんだ。


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