Blossom - Hollyhock

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 はい、こんにちは、朝斗クンです。
 二日目一回目の公演を終えて、ヒップホップ部の公演は残すところ一回となったわけだけど、ダンス部女子の企みによる粗相のせいで悠の機嫌が若干悪くて怖い。
 あいつあんまり人に吐き出したりするタイプじゃないから、なかなか機嫌良くならねーんだわな。今回ばかりは桃歌チャン遊んだりじゃ直んない系だし。
「は、はい?」
 廊下をあてもなくぶらついていたら、聞き慣れたあのかわいい声が聞こえてきて、俺は視線を無意識にそちらに向けた。
 桃歌チャンが、チャラそうな男四人に囲まれている。
「今暇? アイスおごるから一緒に行こうよ」
 ベタベタなナンパ文句を口にして、金髪ツンツン頭のにーちゃんが桃歌チャンの肩に手を置く。
 あーありゃやべぇ。松岡とかが見たら大変な騒ぎになっぞ。っていうかその前に桃歌チャンが……。
「ごめんなさい。アイスはとっても食べたいんですけど、今忙しくて。残念です。けど、私、男子ヒップホップ部のマネージャーなんですが、この後公演やるので是非来てくださいね!」
 部員にもめったに見せない、キラキラしてて、ほわほわしてて、それでいて完璧な笑顔。
 目と耳を疑った。だって、あの桃歌チャンが……。
 そのかわいさに驚いたのか、唖然としている男たちに、ポケットから出したチラシを押し付けた桃歌チャンは、颯爽と彼らから離れて行った。
 少し歩いた後、ダッシュでその場を離れた桃歌チャンに、俺は一瞬噴き出しそうになって、後を追った。
「桃歌チャン!」
 胸をおさえて苦笑いをしていた彼女は、声をかけるとビクっと肩を震わせた。
「あ、朝斗先輩……」
 いつも通りのちょっとオドオドした桃歌チャンの態度に、やっぱりさっきのは夢だったんじゃないかとか思った。
「ビックリした。あんな対応できんのな?」
「み、見てたんですか。……えっと、葉山先輩に教わって、試してみたんですけど。大丈夫、でした?」
 頬を赤く染めて問う桃歌チャンは、参った、ってくらいにかわいくて、俺は笑顔で頷いた。
「完璧でしょ。相手の男たちみんな圧倒されてたし」
 それにしても、大変だなー。桃歌チャンが女の子としてデキるようになればなるほど、サキのヘタレっぷりが露呈されちまう。
 正直外見に合わずヘタレすぎるサキはもうちょっと頑張るべきだけど。
「あの人たち、見に来てくれますかね?」
「桃歌チャン追いかけて来るかもね。そして絶望する」
 ――サキを見て、ね。
 外見でサキに勝とうなんて思うやつなんていないだろう。普通に考えたら。
 桃歌チャンが人並みはずれてとてつもなくかわいいわけじゃないけど、あんなにイケてる彼氏がいるんだ。
「ま、ともかく大したことなくて良かった。できたらああいうことやりすぎるのもよくないけど、安全が一番だよな」
 素ならともかく、だ。
「はい!」
 とびきりかわいく元気に答えた桃歌チャンは、ぺこりとおじぎをして去って行った。
 うむ……。俺もずいぶんと久しぶりに女の子を甘やかしてるなあ。
 桃歌チャンて、守ってくれなくて大丈夫です! って主張してるけど、守りたくなるよなぁ。
 あんな小さな体で太刀打ちできるような男なんていないもん。
 どれだけ口が達者でも物理的に抑え込まれる可能性が高いという意味で女の子は防御力がないのだ。
 サキも、しっかり見守っててやらなきゃなんねぇ。アイツ、何故かケンカは強いからアイツがいれば安心できる。
 せいぜい他のやつらの心配を買わないように……なんてな。
 俺や弟が部内で一番弱虫だなんて自分たちがよく知っているさ。


「え? いいですけど……。忙しい、んですか?」
『うん、結構。受付やってくれれば嬉しいな』
 サキ先輩からの電話の内容は、店番を手伝ってほしいということだった。
 もしかして、昨日の朝みたいな感じで、みんなサキ先輩に釣られてるんじゃ……。
 今回の状況ならたくさんの女の子が彼に近づきたくてたくさん声をかけていることだろう。
 言葉にできないもだもだを抱えながら、私は人の多い廊下を小走りで抜けた。
 サキ先輩がたなびかないことも、彼の拒否を聞けないような女の子がほとんどいないのもわかってる。
 けど、彼を不特定多数の恋愛対象として見るのは、辛すぎる。
 私だけの、なんて無理だから、私の。私の、サキ先輩。
 なんだかこう言うとすごく恥ずかしくて、私は自分の頬を叩いて気分を持ち直した。
 先輩のクラスに行くと、予想していたより人は少なかった。
 ぐでーっとしている琴先輩と二人で、サキ先輩は受付に座っていた。
「あ、桃ちー。ゴメン、ついさっき券売り切っちゃって、全然手伝いいらなくなっちゃった」
 教室から出てくる女の子たちの熱い視線を爽やかにスルーしながら、サキ先輩も苦笑いした。
「まあま、とりあえず座って」
 そう言って彼が指したのは……。
「え、えっと」
 イスを引いて、腕を開いて、つまり、ええと、お膝の上に座れと。
 おどおどしている私の腕を引いて、彼は私を膝の上にぽんと乗せた。
 足、つかないから落ち着かないな……。
 ちびな私がサキ先輩の前に座っても、彼の視界は阻まない。あまりバランスを崩すと落ちてしまうから、振り返って表情を伺うことはできなかった。
「ありがとうございましたー」
 教室から出てくる人に声をかけたサキ先輩に、みんな一度はにかんで、しかし私を認めてぎょっとした顔をした。
「せんぱ、恥ずかしいです」
 そう言う私に何も言わずに、私の頭をなでなでしたサキ先輩。
 あれ、もしかして。
 私がさっき抱いたもだもだ、具体的に言うと、サキ先輩への嫉妬。それをわかってくれてるのかな。
 私がただ隣に座ってるだけじゃ、女の子たちは話しかけてくる。それを、わかってて……。
「用事とか行きたいとことかあったりした?」
「大丈夫です、ありません」
 顔を見ることができないことに少しの不安を感じながら、首を横に振った。
「じゃ、これ終わったらそのまま一緒に準備行こうか」
 相変わらず道行く女の子に睨まれていたけれど、私は少しだけ気持ちが軽かった。
 ――えへ、サキ先輩、大好き。
「お! 隼、お疲れ!」
 琴先輩がぱっと体を起こして声をかけた先には、隼先輩の姿があった。
 頭にバンダナを巻いて、前髪はその中に納めている。似合いすぎておかしいくらいのエプロンは、よく使われているとは思うのによれていなかった。
「これで最後だ。――ん、はいはい」
 トレイの上に積み重ねられた焼きそばのパックのひとつを、元気良く券を見せた琴先輩に渡す。
 教室の中から出てきたクラスの先輩らしき人にトレイを引き渡すと、隼先輩はふう、と溜息をついた。
「それにしても、何してるんだ、お前」
 バンダナを外しながら私を見下ろした隼先輩は、汗を拭いてちゃっかり綺麗にバンダナをたたんだ。
「お手伝いに来たんですが、必要なくなっちゃったみたいで」
 彼は無言で私を見つめた後、呆れたようにまたひとつ溜息をついた。
「たぶん琴はバカだから気づいてないだろうが、サキは仕事がもうなくなることくらいわかってただろうな」
「え?」
 囁いた彼の言葉を聞き返そうとした私の耳を、サキ先輩は塞いで頭ごと引いた。
「ま、まあいいだろ!」
 焦っているようなサキ先輩の声に、私は振り返りたくなったけど、彼の大きな手が頭をがっしり挟んでいてできなかった。
 隼先輩が面白そうに笑って、私の頭を撫でた。
「よかったな、桃歌」
 ハテナを浮かべるしかない私に、隼先輩はにやけながらそう言った。
 な、何なの……?

「桃ちゃーん! キャワユイ!」
 高い声と共に襲ってきたちょこちょことした塊は、凪咲さん……だった。
 短い髪を夏らしくちょこんと結んで、相変わらずかわいくておしゃれだった。
「凪咲さん、お久しぶりです」
 水着を買いに行って以来だから、一ヶ月以上も会ってない。
 ……と言っても、まだ会ったのは三回目だけど。
「そのカッコ、桃ちゃんらしいチョイスじゃないけど、カワイイね!」
「水瀬先輩が選んでくれたんですよ」
 ハイテンションに飛び跳ねる凪咲さんをなだめながら、向こうにいる水瀬先輩をちらと見た。
「へーえー。水瀬クンオシャレだもんねぇ。あ、そうそう! 水着、サキ気に入ってくれたでしょ?」
「はい、とっても」
 他の部員の反応も良かったけれど、サキ先輩は特別だった気もする。
「ふっふー。昔からこんなおねえちゃんがいるからっておマセでムッツリだけど、そんなサキの好みも私たちにかかればなんでもわかるのよ!」
 お、おマセでムッツリって……。
 まぁ、他の誰よりもまずお姉さん方に恋しそうなくらい美人揃いなおうちであるけれど。
「はいはい。凪咲、ちょっと邪魔だからね。桃歌ちゃん、久しぶり」
「お久しぶりです」
 清楚! と叫びたくなるくらい綺麗で素敵な実里さんがそこにいた。
「なかなか上手くやれてるって聞いてる。お疲れさま、ね」
 そう言ってユリの花のような笑顔を浮かべた。
 あ、そういえば。
「孝篤くーん!」
 ピアノやってるつながりで紹介したら面白いんじゃないかな、なんて思って孝篤君に声をかけたら。
 彼はぱっと振り返って私を見た後、隣の実里さんを見てものすごく驚いた顔をした。
 そして、形相を変えて走ってきた。
「ま、ま、松岡 実里さん!」
 え、あれ、知り合いだったのかな。
 綺麗な笑顔を浮かべたまま、実里さんは首を傾げた。
「えっと、根岸 孝篤君だっけ。私のこと知ってるんだ」
 でも、実里さんは彼のことは知らない様子で。
「はい、根岸 孝篤です。覚えてませんか? 四年前のコンクールで、同じ表彰台に上りました。僕は小学生で、実里さんは高校生で」
 孝篤君の目は輝いていて、まるで別人だった。実里さんは少し考えた後、口を開いた。
「自由曲は、プロコフィエフのピアノソナタ 第6番 第4楽章……?」
「そうです。――僕、忘れられなくて。実里さんの音と、華やかな雰囲気と。本当は小学校を卒業したらピアノはやめるつもりでした。でも、あなたの音を聴きたくなって、もう一度ピアノが好きになった」
 自分のことをあまり私には語ってくれない孝篤君が、酷く饒舌に実里さんに話しかける。
 彼女は、少し困ったように笑った。
「私、あの時が全盛期だったわ。もう、孝篤君の思っているようなピアノは弾けないかもしれない。でもね、これからいつでも聴かせてあげられるかもしれない」
 聖母のようににっこり笑った実里さんに、孝篤君は首を傾げた。
「私、咲哉の姉です。家もすぐそこだし、いつでもおいで?」
 納得したように頷いて、孝篤君は嬉しそうに何度も首を振った。
 ぽかんとしている私に、にやけ顔の凪咲さんが耳打ちしてくれた。
「実里姉さんはね、まだ小さい頃に自分からピアノやりたいって言い出して、小中高でコンクール入賞しまくる天才だったのよ」
 ピアノをやっているということは知っていたけれど……。サキ先輩も、そういう自慢はしてくれないんだなぁ。
 たわいもない昔話なんかをしている二人をよそに、そっと視線を配すと、隼先輩と美咲さんが楽しそうに話しているのが目に入った。
 あれ……あの二人って、仲良かったんだ。
 美咲さんの言葉に笑う隼先輩は、まるで、別人のように明るくて、私は驚きを隠せなかった。
 いつも寄せられた長い眉は、優しく垂れ下がっていて、その切れ長の目は細められていた。
「あぁ。あの二人はね、色んな事情で物凄い親密だけど、本当の姉弟みたい、っていう関係だから、安心して」
 姉弟、というより、主人と助手とか執事とかみたいな。二人は他人には理解できないような不思議な空間の中で、信頼し合っているように見えた。
 隼先輩とサキ先輩は幼馴染だから、彼女たちとも長く知り合いでいるだろう。
 でも、あれだけ仲が良いなんて。隼先輩がひたすら楽しそうなのは初めて見たもの。
「っていうか、海も雲雀も鶫も来てないんだね。あ、隼の弟と妹ね」
「海は大会。雲雀と鶫はダブルデートらしいわ」
 ダ、ダブルデート!?
 大きくて中学生か高一のはずの隼先輩の妹さん……? がダブルデートって……。綺麗な顔なのは似てるのかもしれないけど、性格とかは全然違うのかしら。
「雲雀と鶫ってね、双子なんだけど、隼のお友達の双子と付き合ってるのよ」
「そ、そうなんですか」
 双子が、双子と。なんだか不思議な響きだった。
「面白いよねー。なんだかんだあそこの兄妹は隼が一番普通かも」
 隼先輩で一番普通って、すごい。だって、彼ほど家庭的な男性は見たことないし、漫画の中みたいにクールな性格だ。
「それ、本人が聞いたら何て顔するかな。――さて、姉さんたち。そろそろ片付けなきゃいけないから、桃歌チャンはもらってくよ」
 苦笑を含んだサキ先輩の声がして、肩に手が置かれた。
「残念。……それじゃ、桃歌ちゃん、またね」
 手を振った二人にお別れを言って、私はサキ先輩のあとをついて体育館に戻った。
「実里さんって、すごかったんですね」
「え、うん。そうだね」
 あっそりとそれだけ言ってその他は何も言わないから、沈黙が流れた。
「俺も小さい頃は、実里姉さんみたいに誇れるものが欲しかった。だからさ、もう自分が持ってた大切なものに気づけなかった」
 背中ごしのサキ先輩の気持ちは、私にははかり知れなかったけれど。
 彼はくるりと回って、ひとつ笑った。
「自分自身。今はみんなのおかげで、一番誇れる」
 男性に使っていい言葉か、わからないけど、サキ先輩はまさに松岡 咲哉の誇る、とても綺麗な花で、男子ヒップホップ部の華で。
 私の、ただ一つの花。
「誇れるものを持ってる自分を誇るんじゃない、自分が誇れるように努力する。……って何言ってんだろ」
 照れくさそうに笑った彼は、少しだけ五ヶ月前と変わったように思えた。
 完璧で唯一な憧れの先輩なんてものじゃない。
 彼はただ一人の普通の人間なんだ。
「私も、そう思います」
 私なんて、彼に比べたに何も取り柄のない、ただの女の子だ。
 だけど、生きてきた中で手にしたもの全てから成り立っているごちゃごちゃな自分が好きだった。
 そう思えるのは、周りの人間がいたからこそ。
『ただいまを持って、一般公開を終了いたします』
 冷静な放送委員の声は、それでも熱気を冷ますことはできなかった。



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