Blossom - Hollyhock

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「さあ! 始まりました、文化祭のメインイベントと言っても過言ではないこの後夜祭! 今年度の司会は、ワタクシ、野田 草摩と!」
「はい、あたし、茅原 友里です!」
 体育館に入ってから、生徒のざわめきは止んでいなかった。体育館使用団体として準備を少し手伝ったが、後夜祭の実行委員はみんな熱気がすごかった。
 司会として現れた男女の女子の方は、前に隼先輩に声をかけていたダンス部の先輩だった。
 けど、本物のモデルみたいなプロポーションの彼女は男子生徒には人気があるようだ。
「みなさん! 今年の文化祭は楽しかったですかー!?」
「うぉー!!」
 主に二年生以降の生徒の叫び声に近い声が響き渡る。
 一年生はみんな顔を見合わせてにやけた。
 私も、この雰囲気にどきどきが止まらなかった。
「ところでみなさん! 学年、クラスごとのこの席順、窮屈じゃないかーい? 今年の後夜祭は! 席移動オッケーだ! ただし、一年生の席を無理やりとったりしないように!」
 ざわめきが一層大きくなって、次々に席を立つ生徒。
 ど、どうしようかな。行くべきかな。
 とりあえず和真君を探そうと思って振り返ったけど、もう既に立ち上がっている人に阻まれて、見つけることはできなかった。
 席を立ったらちゃっかり座られてしまったので、私は行き場もなくて途方に暮れた。
「桃ちゃん、こっち」
 ふと右手に感じた細い指の感触と、聞こえた私を呼ぶ声は、梢君のそれに思えた。
 まだざわついている中で、梢君はそっと私の手を引いて人ごみから私をすくいだした。
「先輩のトコ。お迎え命令かかったから」
 皮肉めかして笑った梢君に、私も少し安堵して笑い返した。
 ずかずかと進む梢君は、振り返った人たちの視線を浴びながら少しも臆せずに二年生の席へと向かった。
 さすがのサキ先輩たちで、わざわざ言わなくても空けてくれたのか、それとも頼んだのかわからないけど、彼らの周りにはきっちり部員分の席が空けられていた。
「梢、ご苦労サマ。さ、座って」
 サキ先輩に促されて彼の隣に座ると、こちらを覗いていた女の子と目が合った。
 憎悪や、嫉妬や、悲哀じゃない。何も浮かべていないその表情は、一言に怖い、と表現するには何もなくて。
「桃歌チャン」
「はい」
 私は、女の子の無表情な視線から目が離せなくて。握り締めた手が、震えた。
「こっち向いて?」
 目をぎゅっとつぶってそのまま首を回した。そうでもしないと、怖くて。
 誰かの指先が前髪をすくって、それから優しく撫でた。
 そっと瞼を開ければ、前に見ていた女の子の視線とは真逆の、サキ先輩の暖かな雰囲気。
「俺は、『優しい』って建前の臆病者だ。だからね、女の子のことを怒ったり殴ったりできない。でも、今もすごいイライラ……っていうか、もやもやした」
 もやもや。怒りとか悲しみとか、言葉じゃ表せない感情の表現を、彼は素直に口にした。
「元を辿っていくと俺のせいだから、なんとかしてやりたい。……でもね、その。桃歌チャンは何にも心配しなくていい。……知ってる。自分のことじゃなくて俺らのことばっかり庇ってくれてるの」
『梢君なら、あなた達を軽蔑しますよ』
 嫌、だったから。私は自分には胸を張ってるってつもりだったし、自分に悪口言われても先輩たちがいる限り怖くない。……と思ってる。だけど、部員が悲しんだり怒ったりするところは見たくなかった。そんなのは誰も喜ばない。
「強がらなくていいんだ。怒った女の子が怖いのは知ってる。怖いだろ? 責められたら。罵られたら。暴力ふるわれたら。俺らを盾にしていい。恥ずかしいことじゃないから。……男は、頼られないと寂しいんだ」
 長い台詞を言い終えて、彼はふっと笑った。
 どうして急にそんなことを言ったんだろう。そんな言葉は、サキ先輩には無用なものだと知っている。気まぐれな彼にタイミングをはかる理由なんてない。
「私、先輩のイメージが悪くなるのは嫌です」
 篠田先輩との悲劇。私が大きい顔をして、もし矛先が彼に向かったら、私は耐えられない。
「好きな女の子が苦しいのを黙って見てるヤツが表面上モテたり信頼されてても意味ないだろ?」
 口をつぐむしかない私に優しく笑いかけて、そっと頭を撫でてくれる。
「俺が他の女の子に全然興味ないって、みんなわかってくれないかなぁ」
 呟いたその言葉に、気づいてしまった。私はすこぶるずるい女の子だ。
 サキ先輩は他の女の子に惹かれたりしないで一途にいてくれるのに、私は部員にちやほやされて喜んでる。彼の一筋な想いに応えてあげられていない。
「ごめんなさい。サキ先輩、私、部員全員のことが好きで、いっぱいどきどきしたりしちゃってます。サキ先輩に――」
「それは言わない約束! ……俺も男として、それなりにそういうこと、ないって言えない。それに、しょうがないさ。部員もみんな桃歌チャンが好きだから」
 私はサキ先輩のことが好きな女の子に複雑な感情を抱えてしまっているのに、彼は私と違ってそんな理由を口にした。
「くう、甘いねェ。イイ男の口説き文句っていのはホント売り物にでもなりそうだ」
 背後からサキ先輩の頭をぐっと押して身を乗り出してきた水瀬先輩に、サキ先輩は無言の圧力を送っていた。
「そーやってムキになっちまう辺りがまだ子供なんだって。俺なら爽やかに振り払って、『当たり前だろ?』とか言うぜ」
 オーバーにカッコつけたポーズをとりながら水瀬先輩は私にウインクをした。
 あはは、いつも通り……。
「さあて! そろそろ席は決まったかな? じゃあ、始めるよ! 後夜祭、最初の団体は?」
「ダンスです! 女子の有志、男子の有志、そしてそして、ダンスの部のメインイベント、男女ペアダンス!」
 ペアダンスという言葉に、どきりとした。一年前のサキ先輩と篠田先輩は、ここで……。
 しかし、私に余計なことを考える暇を与えないくらいに体育館の熱気は素晴らしく、周りの歓声も大きかった。
 イヤなこと、今くらい全部忘れよう。心配かけ合いのいたちごっこは終わりそうにないのだから。
「最初の団体は……」
 女子のダンスの有志は、主にダンス部の中でグループを作ってやっているようだったが、部活とは違う、『後夜祭らしい』華やかさや楽しさが伝わってきた。
 司会の先輩も途中で抜け、一曲踊ったりしていた。
「それでは! ここからは男子の有志です! 最初の団体は……『EVER』。おっと、こちらは一人でソロダンスを踊るようです。チームメッセージは、『皆さんの中で僕の姿に驚く人がいるかもしれませんが、僕はこの日のために何年も費やしてきました。楽しく踊ります!』ということで、またソロダンスは初挑戦だと! どんな踊りを見せてくれるでしょうか? では、『EVER』です、どうぞ!」
 何かが引っかかって、私は思わず首を傾げた。しかし、その理由はほんの数秒後に明らかになった。
 真っ暗な舞台の照明がついて姿を現したのは、紛れもない久くんだったから。
 彼と認めるなり、客席から歓声が湧き起こった。私は驚いて席を立ってしまった。
「どうして……」
 あれこれ考えているうちに、ダンスが始まる。
 他の誰とも違う。いつもの久くんらしくもない。だけど、真剣な彼の気持ちが伝わってくる。
 大きな舞台の上で、小さな身体の彼は、それでもそういう風に見せない何かを持っていた。
 彼のキレよく動く手足に、ころころ変わる表情に、釘付けになった。
 数分の短いステージはすぐに終わり、ものすごい歓声に包まれて、久くんは笑った。
 心から、嬉しそうに。しかしどこか悲しげに。
「谷垣 久は――!」
 何かを叫んだ久くんの声は、歓声にかき消されて、私には聞こえなかった。
 きっと、彼なりの何か大切なことだっただろうと何故か思ったけれど、知らなくてもいいのかなって。
 細かいことは気にしなくてもいい。そう彼が言っているように思えた。
 心の中に何か熱いものを残して、久くんは舞台の上から去っていった。
 もはや場違いに思える司会の二人が出てきたとき、私は脱力して席に座った。
 その後はあまり印象に残るようなものじゃなかった。ヒップホップ部より上手い人なんてあまりいなくて、やっぱり後夜祭のノリだと、そこまで精度も高くなくって。
 そして、いつの間にか男子のダンスの部は終わっていた。
「ついにこの時がやってきてしまいました! メインイベントとも言える男女ペアダンス! 今年のエントリー組数は五組! なな何と、去年に引き続き、早くも期待の声が高い、ダンス部とヒップホップ部のペアもあります!」
「はい! 楽しみですね。それでは、最初のペア、どうぞ」
 男女のペアダンスは見たことがないけれど、きっと篠田先輩とサキ先輩が万人を惹きつけるダンスをしたのは間違いなくって。
 ペアダンスが始まって、それぞれそれなり以上の実力の男女が踊る。
 時にほとんどソロで、女らしく、男らしく。
「最後は! ダンス部のマドンナ、3-A篠田 愛香と!」
「男子ヒップホップ部部長、3-A葉山 悠輔!」
 男子も女子も湧き上がった。
 どうして……。と思った私は、ついついサキ先輩の横顔を見てしまった。
 舞台のライトの反射を浴びて、憂いの表情を浮かべていた。
 彼は、二人ともに負い目を感じているはず。それに、去年一緒に踊ってしまった。実際にどうだったのかは私にはわからないが、事情を知らない人の中には、どうして、と思っている人もいるだろう。
 でも、私は。私には、関係がなければ責任もなくって。
 微かに震えるサキ先輩のシャツの裾をつまんだ。
 手を引くのがためらわれたけど、おそるおそる引いてみる。
 彼の悲しい顔は見たくなかったから、精一杯笑ってごまかした。過去のことは気にしないで、私だけを見て? って。それで彼が楽になるならどうしてでも言いたかった。
 しかし、彼は逆に私の方を向くなり背中に腕を回して抱き締めた。
「葉山先輩は、愛香先輩のことをすごく愛している。……だから、これでいいんだ」
 私の耳のすぐ横で、消え入りそうな声で、サキ先輩は言った。
 きっと、謝りたいのに、謝れていなくて。本当は、愛香先輩に勘違いされているのは嫌なのに、誤解も解けなくて。
 彼女と、彼の幸せを考えて、彼は黙している、と。
 私を抱き締めたのは、彼なりの弱っているアピールなのかもしれない。そう思わなくても、私は無意識に彼を抱き締めた。
「きっと素敵なダンスを踊りますよ。見ないと勿体ないです」
 それだけ言って私から振り解いた。
 その後の彼の顔は見ないで舞台に集中した。
 葉山先輩は、見たこともないような穏やかな表情を浮かべていた。

 音楽発表の部では、水瀬先輩が流行中のアイドルの曲を歌って踊って、拍手喝采を浴びていた。
 いわゆる『ドヤ顔」で席に帰ってきた水瀬先輩は、なんだか別人みたいだった。
「皆さんお疲れ様でした! ここで最後に緊急企画です! 題して……」
「『気になるあの人』!」
「皆さんに答えてもらったアンケートで、一番投票の多かった、『最近気になっている・知りたい人』に、登場していただいてインタビューに答えてもらいたいと思います!」
「ち・な・み・に……! 本人には伝えてありませーん!」
 盛り上がる人はひたすら盛り上がっているけど、私みたいな人は苦笑いするしかなかった。
 なんて無茶な……。
「それでは呼ばれた人は舞台向かって左側に来てくださいねー?」
「まず一人目は……」
「はい! 一人じゃありません! 1-C基山 桃歌さんと、2-C松岡 咲哉君!」
 すっごく、嫌な予感がした。そして、それは当たってしまって。
 私は頭が真っ白になって胸の奥から嫌なもやもやが湧き出して冷や汗をかいた。
 サキ先輩がこちらを伺っているのがわかるのに、目を合わせる勇気が出なかった。
 誰かがそんな私の頭をがっしり掴んでサキ先輩の方に向けた。
「ほら、早く行ってこい」
 耳元に囁く隼先輩の低い声に、私は大分安心してしまって、サキ先輩と目を合わせて、頷いた。
 手をつないで引いてくれる彼を頼って、立ち上がる。
 少しおぼつかない足元だったけれど、サキ先輩がしっかり手を引いてくれるから、怖くはない。
 周りの音は聞こえない。周りの人は見えない。
 そういう風に考えて、我慢した。こういうのは、あんまり得意じゃないから。
 逆にサキ先輩は慣れているわけではないだろうけれど、けろっとした顔をしていて。
 実行委員の人に連れられて舞台の上に上がったときにも、私はつないだ手を放すことができなくって。
 自分の心臓のどきどきしか聞こえなかった。
「はい! 聞きたいことはたくさんありますが、まずお名前からどうぞ!」
「松岡 咲哉です」
「き、基山 桃歌です」
 サキ先輩がいつも通りでいてくれるのが、唯一の救いだった。
 司会の男子の先輩はノリノリすぎて怖いし、女子の先輩はダンス部ということもあって視線が怖い。
「それでは皆さんから寄せられた質問の中からいくつか! えーと、まず、お二人は付き合っているんですか?」
 びくっとしてしまった。単刀直入すぎて驚いた。
 ……けど、冷静に考えたら、まだ私の右手は彼の左手としっかり結ばれている。
 ふと横を見上げるとサキ先輩は普通に微笑んでいて。
「はい」
 なんて自信たっぷりに答えた。
 客席から聞こえる色々織り交ざった歓声は、あんまり聞かないようにして。
「おぉ……! それはアツいですねぇ! 次の質問です。基山さんへの質問ですね。えーと、ヒップホップ部で松岡君の次に好きなのは誰ですか?」
 ――思わず噴き出しそうになった。
 ど、どうしよう。サキ先輩に目配せすると、ちょっと知らないフリしてる顔をしていた。
 だ、だだだってみんなのこと好きだから……。
「え、え、と……」
「ううむ! 気を遣っているのかな? それじゃあ、学年ごとにいこうか? 三年生!」
 う、うぅ……。それじゃあ三人言わなくっちゃいけないの?
 あんまり黙っていても身の危険が迫ると思って、私は吹っ切れた。
「ひ、久くんです」
「おおお! 久くんは先ほど素敵なダンスを見せてくれましたねぇ……! 松岡君とは正反対なタイプに思えますが……。それでは二年生!」
 一番悩む、というか……。
 全員に恩があるから誰を選んでも後々もやもやするし。
 ――でも。
「隼、先輩」
 水瀬先輩はそのことで長い間いじってきたりしそうだし、琴先輩は普通に照れちゃうからかわいそうだし、一番妥当かなぁ〜……なんて。
 うう、先輩たちのいる辺りが見られません。
「お母さんという異名を持つ笹神君とは! またシブいですね〜。それでは、一年生は?」
 ……敦史君はとりあえず外そう。
 梢君は実際良い人だけど春のアレを考えるとちょっとまだ心は開けない。
 そしたらやっぱり……かなぁ。
「孝篤君です」
 ふっと横目で見たサキ先輩は怖いくらい微笑を崩していなかった。後で、ちょっと謝ろうかな……。
「根岸君、だったかな? 彼は松岡君と近いものがあるねぇ! ありがとう! ……さぁ、女子諸君、松岡君の方も聞きたくないかい?」
「聞きたーい!!」
 女の子たちの甲高いレスポンスに、司会の彼は満足そうに頷いた。
「それでは、松岡君。誰か気になっている女の子は?」
 司会者が振り返ってサキ先輩に問うたとき。
 私の右手を握った左手を、ぐっと胸に引き寄せて、右腕で私を覆う。
 状況を理解したとき、私は物凄く穴があったらこのまま入りたい……というか蒸発して塩になってしまいたくなった。
 痛々しい叫び声が客席から聞こえる。
 びっくりしつつマイクはしっかり向けた司会者のそれに、彼は顔だけ近づけた。
「俺は桃歌チャン以外に興味ありません」
 そう言って、私の方を向いた。
 ――や、ヤバイ!
 そっぽを向きたくなって。彼の腕に顔をうずめたくなって。とにかく逃げたくなって。
 でもここで逃げたら、多分彼の今の言葉は意味をなくしてしまう。
 サキ先輩が満足そうに笑って私に顔を近づけたとき、舞台の照明が消えた。
 真っ暗闇になったけど、私は既に目をつぶっていたからあまり怖くはなかった。
 そして唇に暖かい感触。
 顔を離したサキ先輩は、私をよりしっかり抱き締めると、そのまま抱き上げて走った。
「ちょ、せ、先輩っ」
「しー。このまま戻るよ」
 階段があるであろうところを飛び降りて、彼は暗い中でなんとか席まで戻った。
 程なくして照明が戻り、マイクが入らなかったらしい司会者も話し始めた。
 一体、何が……。
「ちょっとしたトラブルがありましたが、お二人はロマンティックに退散していったようなので、よしとしましょう! さて、次は……」
 客席がまだどよめいている中、司会者は進行させる。
 あまりにも突然だったので私はしっかりとサキ先輩に抱きついていて、それに気づいて恥ずかしくなって離れた。
 私が座っていた席の右隣、隼先輩の席には誰も座っていなかった。
 首を傾げていると、私たちを見ていた水瀬先輩が笑った。
「隼がヤバそうだって言って、草野先輩連れてちょっと細工しに行ったのさ。そのうち帰ってくるだろ」
 ……隼先輩にはすっかり脱帽です。
「それにしたって、咲哉クンにはビックリですなぁ」
 にやけながら見上げた彼に、サキ先輩は笑って言った。
「迷いはなかった」
 それを聞いた呆れ顔の水瀬先輩と顔を見合わせる。……サキ先輩、ちょっと頭のネジ緩んでませんか……。
 でも鼻歌なんて歌ってる、長身のちょっぴり子供っぽい彼は、私の好きな人なんです。
 舞台の上は別の話題で盛り上がっている中、私たちは私たちだけで違う雰囲気を作り上げていた。
 ――けれど、次の瞬間、それが止まった。
「サキ、あまり調子に乗るなよ」
 帰ってきた隼先輩が、怖い顔をして、サキ先輩の胸倉を掴んだ。
 10センチ以上も身長差はあれど、かなりの力で握りこんで首元を引き込んでいた。
 少しきょとんとした顔で、サキ先輩は彼を見下ろす。
「教師も見てる中でキスはまずい。後で何言われてもわからん。部活動停止になったりしたらどうする」
 眉を潜めたサキ先輩は、少し苦しそうな顔をして頷いた。
 ……そっか。私も気がつかなかったけど、そういうことも、もちろんある、よね……。
「それに、桃歌の気持ちも少しは考えろ」
 吐き捨てるように言ってサキ先輩を解放した隼先輩は、ちょっと不機嫌そうだった。
 私があの場じゃ嫌だって、わかってたんだ……。
 複雑な顔をしたサキ先輩を見ていられなくて、私は俯いた。
 私が口出しできるような問題じゃ、ないかも。
「まーま。センセー達だって実際生徒がキス以上のことも色々やってることくらいわかってるだろーし、見えないとこでやりゃ問題ねェって」
 説得力ありすぎです、水瀬先輩。
 でも……隼先輩は、一番にサキ先輩――みんなのことを考えて、サキ先輩に怒ったんだ。
 彼が原因で問題が起きれば、彼の居場所がまた狭くなってしまう。
 そんなのは、辛いもんね。
「先輩、ありがとうございます」
 腕組みをしたまま足を組んで座り、俯いている隼先輩にそう声をかけた。
 彼は顔も上げず頷いた。
「……嬉しかった」
「……え?」
 気のせいかな、って思うくらい小さな声で、彼は確かにそう言った。
「俺はお前のこともサキのことも好きだから、いつまででも守らせてくれ」
 顔を上げた隼先輩は、慈愛に満ちた、とでも言うべきか、穏やかな笑顔を浮かべていた。
「今朝言った嫌な予感、な。気づいたよ。去年のペアダンスのこと、サキが思い出さないはずなくて……。それでお前らがギクシャクしたら、嫌だなって、自然に思ってた」
 隼先輩は、正真正銘の大人なんかじゃない。れっきとした高校生だし、悩んだり余裕を失ったりする。
 わかっていたら、こんなにも抱え込ませることなんてしないのに。
「私、嘘はついてませんからね。隼先輩のことも好きです。すごく、頼りにしてます」
「ばーか。わかってるよ」
 サキ先輩ばっかりじゃなくたっていい。私と彼を応援してくれる隼先輩みたいな人はたくさんいて。そんな人と仲良くすることが悪いことだなんて思わなかった。
 珍しく少しだけ恥ずかしそうに笑った隼先輩が、やっぱり純粋に好きだから。

「桃歌チャン、眠い?」
「ふぁ……。はい、結構に」
 後夜祭が終わって、いつもの先輩たちとの帰り道。
 もう日もすっかり落ちて真っ暗なせいか、サキ先輩はしっかりと私の手を握っている。
「水瀬〜マック行こうぜー。腹減った……」
「お、いいねぇ。みんなは?」
「私は眠いので帰ります……」
「早く帰って夕飯作らねぇと」
 残ったサキ先輩を、みんなで見る。
「あ、俺、桃歌チャン送ってく」
 思い立ったように言って子供っぽく笑った。
 私とつないだ手をぶんぶん振ってルンルンしている彼は、本当に初めて見たときのあの人だとは、今はなかなか思えなかったりして。
 でも、そんなところも大好きで。
「文化祭終わったし、デート行こうな。どこがいい?」
「私……。どこでも、いいですよ」
 睡魔に襲われて思考停止しかけててろくに考えられないなんて口に出せないけど、彼はきっと素敵なことを考えてくれるから、任せたって平気。
 誰が何と言おうと、私は私の気持ちを捨てない。彼が彼自身の気持ちを大切にしているのと同じように。
 そこに差異があってしまっては、きっと成り立たない関係だから。



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