Blossom - Hollyhock

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 ……暑い。目が覚めて最初に思ったことはそんなこと。
 そして……。
「きゃ、きゃあーー!?」


 叫び声と共に部屋を飛び出てきた桃ちーはそのまま扉の真ん前にいた隼の胸にダイブ……。
 想像以上のリアクションですなぁ。
 隼に抱きつく格好のまま桃ちーはしばらく動かなかった。
 表情が見えないって案外怖いな……。
 隼は朝は強くないが早起きだから寝起き顔ではない。しかし、桃ちーの尋常でない行動にびっくりしている様子だった。
「うぅ……」
 あ、鳴いた。そんな感じのかわいい声を上げて桃ちーはちょっとだけ動いた。
 そして、むくっと顔を上げると部屋に戻っていった。


「サキ先輩のバカァ!!」
 叩かれた。桃歌チャンに叩かれた。
 男同士の喧嘩ほど痛い訳じゃないけど、心が痛い。
「ハイ、スミマセン」
 必然的に正座させられて桃歌チャンのお説教を受けた。
「何考えてるんですかっ! 訴えたら犯罪ですよっ」
 ……かどうかは怪しいです桃歌サン。
「ハイ、反省してマス」
 まさかここまで怒るとは思わなかった。
 早く起きた隼につられて早起きをしてしまったので、つい出来心で桃歌チャンの布団に入り込んだ。
「こればっかりは誰がやっても変わりませんからねっ」
 その言葉で締め括られた彼女のかわいらしい説教の後、俺は言わずもがな部屋を追い出された。
「俺は止めたぞ」
 呆れ顔の隼に頷いて、とぼとぼと部屋に戻った。
 昨晩夜更かしをしていた水瀬はまだぐっすり眠っていた。

 どうしたもんか。完璧に桃歌チャンに無視されてる。
 朝食の時間はわざとらしく水瀬とベタついて、俺の目の前にいるのにちらりとも見てくれなかった。
「隼……どうしよ、俺」
「自業自得だ」
 こういうときだけ隼はいつも冷たい。……俺が悪いことくらいわかってるけど。
 豪華な和食の朝食も何だか胸が苦しいだけだった。
 桃歌チャンの笑顔が俺には向けられないことが寂しくて仕方ない。
「謝っても多分今回は桃ちーの気が済むまでだめだろーね〜」
「そしてありゃ、かなり怒ってるな」
 梢にビンタを食らわしたときしか、彼女が怒っているのは見たことがないが、先ほど説教されたときの桃歌チャンの表情はいつもとは全く違った。
 どうすりゃいいんだ、ホント……。


「あ、水瀬先輩おはようございます」
「ん? あ〜おはよ」
 あくびをしながら隣に座った俺に挨拶をしてきた基山チャンは……いつも通りに見えて、恐ろしいくらいに笑顔だった。
 ちらっとサキの方を見ると、険しい顔で肩を落としていた。
 ケンカしたな……こりゃ。
 まぁそんなことはどうだってよかった。どうせ仲直りするんだろうし。それよりも、今はサキをいじる絶好のチャンスなんじゃないだろうか。
「いっつもより夜更かししました?」
「ん〜どーだろ。たいしてやることなかったんだけど眠れなくてなァ」
 ……合コン的な遊びの打ち合わせやってましたなんてこんな子には言えない。
 こうゆっくり眺める機会もあまりなかったから、改めて基山チャンの人形のようなかわいらしさを実感する。
「基山チャンいつもポニーテール自分で結ってンの?」
 ふとその束を触っても、彼女はぴくりとも驚かなかった。
 こりゃ本格的にサキに嫌がらせするために肝が据わってンだな……。
「はい。……あんまり上手くないですよね」
 恥ずかしそうに首をかしげた基山チャンは、ポニーテールを自分の手で触った。
「そうでもないっしょ。いっつもカワイイし。結うの隼が上手いぜ。アイツよく妹の髪いじってたらしいから。後で結ってもらったら?」
 まぁ俺も後ろは適当にまとめてるが元々長さがないし揃ってないから綺麗にまとまることはない。
 隼は自分の髪型はセットしないくせに妙に上手い。……あと、化粧も。
「そうなんですか! 隼先輩、すごいです」
「妹も弟も俺を頼ってばっかり来るからこんなになっちまったんだよ」
 ……面倒見がいいのは元からなくせに。
 なんだかんだ、以前はアイツ嫌いアイツバカ、アイツウザいだった隼も、基山チャンと会ってから丸くなった。
 基山チャンの性格的に、あんまりそういうこと口にすると怒りそうだしな。
 そういえば、サキは何で基山チャンとケンカしたんだ。
 基山チャンは妙なくらいの笑顔で完璧にサキを無視ってるし、サキは寂しそーな目でずっと基山チャンを見てる。
 珍しくサキが基山チャン怒らせたんだろうな。いや、怒らせそうなことはいつも大量にやってるが。
 サキはむっつりでぶっ飛んでるけど俺じゃあるまいし過度のセクハラはしないだろう……。
 多分そんなにたいしたことじゃないことだったのだろうけど、タイミングが悪かったんだろうな。
 昨日だけでも部員同士色々あったし、彼女も何か考えていたのかもしれない。
 こういうのもラブラブストーリーの一イベントにすぎないと考えると、彼らが憎らしく思えた。
 ……ま、しばらくは彼女作らなくても十分糖分は足りるな。


 だって、サキ先輩が改めて告白してくれるって言うから、明日一日はちょっとだけサキ先輩に素っ気なくして、彼を魅了してやまない女の子を演出してみようかと思ってたんだもの。
 最初に顔を合わせたときにどんな顔をするか。ちょっとだけ元に戻ったときにどんな顔をするか。……嫉妬させたら、どんな顔をするか。
 ほんのちょっとだけ意地悪してみようかな、なんて私の小さい希望だった。
 サキ先輩を追い出したあと、私はすごく後悔した。
 もう怒ってませんよって顔で出ていくのは無理だ……。ちょっとビックリして混乱しただけだったのに。
 そこで、魔がさしたのが始まり。こうなったらいっそ、私を好いてくれる部員といちゃついてやる。
 あんまり度が過ぎると桃歌さんだって怒りますよって証明してやろう。

「私、三年のほう行きますね!」
 いつもは二年か一年についている学年練習で、三年についてみた。
 葉山先輩が、は? って顔をしたあとににやりと笑ったが、見なかったことにした。
 大丈夫、大丈夫。いざとなったら朝斗先輩に泣きつくもん。
「桃歌チャン、なんだって今日は俺らンとこ来たの?」
 休憩時間、最初すごいびっくりしていた朝斗先輩が案の定聞いてきた。
「葉山先輩には秘密にしてくださいね。……サキ先輩とケンカ中です。だから、朝斗先輩、よろしくお願いします」
 ちゃんと念のため葉山先輩には伝わらないように言っておいた。
 合宿中だけど、サキ先輩の弱みにつけこむかもしれない。
「えぇー……。俺、正直悠に強制されたら拒否できねぇからな。ちょっとくらいは我慢する覚悟ねぇと……」
 心底嫌そうな朝斗先輩に、それは大丈夫です、とウインクしてみせた。
 大丈夫。別に先輩たちとちょっと近づいたり普通にぎゅってされたりするくらいなら人並み以上の耐性はある。
 今朝は水瀬先輩のスキンシップに冷静に対応できたし、やればできるもん。
「じゃ、気ィつけてな。朝斗クンも弟ほどじゃないけど非力だから助けてやれなくても泣くな」
 彼らしいブラックジョークを吐いて私のもとを離れていく様子を、葉山先輩は見ていた。

 一応の用心だったけど、学年練習が終わるまで葉山先輩は普通に練習に取り組んでいた。
 普段あまり担当しない三年生と話すのはちょっと緊張したけど楽しかったし、彼らのダンスも見ていて面白かった。
「お疲れ様です」
 午前の練習を終えて、それぞれ食堂に集まった部員に声をかけていく。
 ふと梢君と目が合うと、彼は素早く私の近くに歩いてきて囁いた。
「松岡先輩となんかあった?」
「うん。ケンカ中」
 さらっと答えた私に、彼は驚いていたけど、そっか、と笑って去った。
 お茶を配り終えたあと、私は梢君に頼んで無理やり孝篤君の隣に座った。
「え、桃歌ちゃん」
「お隣失礼するね」
 孝篤君の濃い焦げ茶の目を、しっかり見て言うと、彼は一瞬目をそらして笑った。
「いいの?」
「いーの」
 ケンカ中だもん。夜まで好きなだけ他の子と仲良くしてやるって決めたし。
 そんな調子で、午後は、いつものことだけど久くんといっぱい話して、夕食の時は千種兄弟とさんざんくだらない話をした。
 近くにいるのに送られてきたメールには、気づいていない振りをした。

 恐る恐る、ノックをした。
 そこで私は、やっと目が覚めたように、気がついてしまったのだった。
 ……サキ先輩を無視するの、辛かった。
 彼のどんな顔も愛しくてたまらないけど、自分に向けられる最高の笑顔が一番好きだった。今まではそれを毎日、一日に何度も何度も見ていたから、今日みたいに未だにゼロ、は、出会ってから初めてだった。
 私は、バカだ……。
 和真君にああ言われたから、大丈夫だと思って他の先輩たちに甘えてみたりした。嫌がられることはなかったけど、みんな驚いて、そしてどこかでしょうがないなって顔をした。
 サキ先輩がいないと、私は私じゃないんだ……やっぱり。
 そんなことを考えていたから、急に目の前に現れた本人の姿に心底驚いて飛び上がってしまった。
「待ってた」
 感情の読み取れない微笑みでサキ先輩は私の手を引いた。
 きっと、不安なのだろう。顔に出ていないけど、彼がずっと落ち込んでいたことくらい知ってる。
「汚くてごめん。大体琴のなんだけどさ」
 洋服やらタオル、ポーチが散乱した床を、何か踏まないように足を進める。
 確かに置かれたバッグの一つから流れ出てる……。
「ん、その辺座って」
 さっき片付けましたっていう感じのスペースを指して、彼もまた腰を下ろした。
「桃歌チャン、今朝はごめん。調子に乗りすぎました。でも変な気はなかったことは約束する。本当に、ごめんなさい」
 さっきまであんな調子だったのに、サキ先輩は明るい声色で述べた。
 そして、畳に頭をつけた。
「私――」
 いつもは届くことのない頭にそっと触れて、撫でてみる。
「最初から、怒ってません」
 顔を上げたサキ先輩は、安心したように笑んだ。
「本当に? よかった……」
 久々に思えるサキ先輩の笑顔に、不覚にもきゅんとした。
 そして、少しの間のあと、彼が私の手をとった。
「桃歌チャン。俺は桃歌チャンが好きだ。今日、痛いほどわかった。キミが俺と目を合わせてくれないだけで、寂しいし、悔しいし、辛い。キミが他の男だけと話してるだけで、嫉妬よりも、悲しかった。俺には桃歌チャンしかいない。――付き合って、ください」
 蛍光灯の明かりを受けて、透明に光る茶色の瞳。赤い頬は、彼らしくなくって。
 少し震えた声と唇は、私の胸をぎゅっと締め付けた。
 私はそのまっすぐな目をすぐに見ていられなくなって、下に逸らした。
 答えは決まってる。のに、この張りつめた甘い空気に、ついていけていなかった。
 彼が私の手を握り直したのをきっかけに、私はそれにもう片方の手を添えた。
「……はい」
 目も見られないまま頷いて、そのまま顔が上げられなかった。
 サキ先輩がどんな顔をしているか想像するだけで、私が泣いてしまいそうだったから。
 優しい笑い声を漏らした彼は、そっと手を離して、また肩に手を回した。そして、うつむいたままの私の頭を撫でると、そのまま頭を抱いて引き寄せた。
 ……花の香り。サキ先輩の、香り。
 胸の暖かさの中で、彼の鼓動の音を聴いた。私と同じくらいに早く鳴るその音にすごく安心した。
「ごめんなさい。意地悪して……」
「え?」
 少し身体を離して見上げたサキ先輩は、きょとんとした顔をしていた。
「ぜんぶ、意地悪でした。今日のこと」
 間の抜けたサキ先輩の声がちょっとおかしかったけど、私は彼に申し訳ない気持ちでいっぱいだったから、気になんてできなかった。
「……いいよ。何にもなかったんだし」
 辛かったって言ったのに、それでも彼は私のことを案じてくれた。それが嬉しくて、またお詫びの気持ちもこめて、自分からサキ先輩の首に腕を回して抱きついた。
 ……やっと、同じ高さで、抱き合えた。


「もしもし、秋穂?」
「……敦史」
「うん。敦史だよ。……秋穂に、言いたいことがあって」
「…………」
「ごめん」
「……なんで?」
「ごめん、な。俺、全然秋穂以外の女の子のこと、考えてない。考えられない」
「なんで、急にそんなこと言うの……?」
「俺、秋穂のことが好きだから」
「うそ……」
「嘘じゃないよ。だってな、どんなに自分が変わっても、他人に好かれても、秋穂とこうして話せないだけで、この数ヶ月、辛かった。……自業自得、なんだけどな」
「違う、違うよっ! 私が、悪いの……。本当に、ごめんね」
「秋穂は何にも悪くないさ。――それで、さ、あの、秋穂は俺のこと」
「大好きだよっ! 好きすぎて……怖くて。でも、いいの?」
「いいの。今までもこれからも、俺にとっては秋穂しかいない」
「あ、つし……」
「急にごめんな。今、合宿中だから。帰ったらゆっくり話そう。それじゃ、おやすみ」
「ううん、ありがとう……。おやすみ」



「一回通しでやってからチェックアウトな。うし、頑張るぞ!」
 葉山先輩の無茶に、げって顔の人と、単純に楽しそうな顔の人とがいて私は思わず噴き出しそうになった。
「何、変顔してんの」
 それを見ていたらしい水瀬先輩に、思いっきりバカにされたように笑われたからちょっとムッときた。
「してませんよっ!」
「ま、見てて面白いのはいつも、かな〜」
 反論を軽くスルーして水瀬先輩お得意のウインクをしてみせた。ハート飛んでましたね、今。
「話してねぇで行くぞ」
「はいはい」
 ムッとした顔の隼先輩に引っ張られて水瀬先輩もあっちへ行ってしまった。
 一番最初は、三年全員のダンスから始まる。
 ほとんどのダンスは振り付けをしたのはおとといだから、まだ全然踊れていない人もいたが、振り付けを考えたであろう葉山先輩はほぼ完璧だった。
 そして、一年。
 ダンスについて並々ならぬ根性を持っている和真君はさすがにすごかった。梢君はあとの二人をフォローして、なかなか彼らしい踊りをしていた。
 二年の四人は、やっぱり人を魅了するカリスマ性がすごかった。
 サキ先輩は信じられないくらい完璧で、さすが……としか言いようがない。
 最後は、学年からの選抜メンバー。
 葉山先輩、サキ先輩、和真君の三人で、このダンスは前から練習していたけど、ここ数日で磨きがかかったように思える。
 ……でも和真君、ちっちゃいな。
 比較的背の高い二人に比べて、自称絶賛成長期な和真君はちょっと背が低かった。
 でもそれをあまり気にせず生かせるように頑張っている和真君は好きだった。

「無茶言うよね……葉山先輩も」
「サキは完璧だったけどね」
 本当にお前が言うか、っていうくらいサキ先輩はすごかった。
「あー! 海楽しみなのに! 悔しくなってきちまった!」
「まぁまぁ、帰ってからみっちり、ですよ」
 それよりも私はこのあとが心配で仕方ないですってば……。
 水着。どうしよう。凪咲さんと選んだのは、気に入ってるんだけど、十ウン人の男の前で披露するのは大分勇気がいる。
 誰かが気を遣ってくれないかなー……なんて。
 ふと顔を上げると隼先輩とばっちり目が合った。いつもの睨み顔……って言ったら怒られるな、で見据えられて、悪いことしてないけどちょっとドキッとした。
「なに辛気臭ェ顔してンだ。……不安か?」
 からかいをかけて、そのあとに心配してくれる。彼流の優しさだった。
 おずおずと頷くと、ふっと笑いかけてくれた。
「いいんだよ、お前はそのままで。それに、いちいち色んなことに不安になってたら疲れるだろ」
 そう言って頭を一回撫でてくれた。
「はい……頑張ります!」
 無駄に気合いを入れた私を、彼は優しく笑って見守ってくれた。

「やっべー混んでんな〜!」
「でも! 海っスよ! 海!」
 宿舎から歩いて数十分。あそこからも見えていた青い海が目の前にあった。
 やっぱりぴょんぴょん跳ねてる和真君は部内一子供っぽかった。
 私は既に服の下に着た水着に気をとられてなんだかもう訳がわからなかった……。
「桃歌チャン、とりあえずあっち行こうよ」
 ガチガチで動こうとしない私の手をとって、サキ先輩が海へと向かう。
「は、はい……」
 視線を前に向けると、先ほどの二人がいつの間にか海パン一丁になっていて私は激しく驚いた。
「わっ……」
 一日目に和真君の上半身を見てしまったことを思い出して赤面する。
 他の運動部と違ってうちの部員はあんまりその辺で脱がないし、全然耐性がない。
「はは、二人とも早ぇな」
 笑ってるサキ先輩を見ていれば、かろうじて平静を保てたが、ちょっとばかり私には刺激が強いです……。
「荷物まとめとかなきゃなんねぇから、早く脱げ」
 サキ先輩に言ったのに隼先輩の言葉に私はもう沸騰からの蒸発してしまいそうになった。
 そして何の気なしに脱ぎ始めていたサキ先輩を見て、私はとっさに距離をとった。
 至近距離で見たら死ぬ……!
 何故かそう思って隼先輩の近くまで後ずさった。
「何してんだ、お前……」
「へ、えっと、防衛準備ですか!?」
 疑問形で答えた私に呆れた顔で笑い、軽く前を指差した。
「ほら」
「え? ……っ」
 脱ぎ終え、服を持ってこちらに近づいてくるサキ先輩。思わず逃げようとしたら、隼先輩に肩を掴まれていた……。
「わーっ!」
 とにかく目をぎゅっと閉じた私の頬に、誰かの手が触れた。
 目を開けると、サキ先輩で……。
「どうしたの?」
「え、と、あの、その」
 男の人の海パン一丁なんて、間近じゃ見られません! ……なんて言わせない無言の圧力という名の心配そうな眼差しを向けていたから、私はどもってしまった。
「こいつ、男に慣れてねぇから」
 やっと助け船を出してくれた隼先輩の言葉を全力で肯定する。
 今はサキ先輩の顔しか見えないので大丈夫です、多分……。
「……嫌?」
 少し考えたあと、彼が問うたのはそんなことだった。
「嫌、と言いますか……。えっと、恥ずかしい、です」
 水泳の授業とか、ちょっとした着替えとかは、遠くだったから、まだよかったのだけど、こうも近くだと意識してしまって恥ずかしい。
「そっか。……でも、俺も恥ずかしい。桃歌チャンに見られて。自慢できるほどいい身体してないから」
「そんなこと……」
 あるかどうか、わからなかった。見て、いないから。
 微笑んだサキ先輩から少し離れて、彼の身体を見る。……見つめる。
「そんなこと、ない、ですよ。……かっこいいです」
 恥ずかしくて顔は見られなかったけど、素直に伝えた。
 ムキムキじゃないけど、適度に見えている筋肉は、綺麗で、そんなところまでサキ先輩だった。
「はい。大丈夫になったところで、チビもどうぞ」
「えっ」
 またもや冷静に隼先輩が突っ込んできて、私は声を上げてしまった。
 サキ先輩の服を持って、両手を出して脱げと言っている。
「見たいな、桃歌チャンの水着」
「……はいぃ」
 サキ先輩の100%スマイルには勝てませんって。
 振り向いた先に誰もいないことを確認して、後ろを向く。
 だって……水着を着ているとはいえ、脱いでいるのを見られるのは、恥ずかしい。
 指先が震えて、上手くファスナーすら下ろせない。
 なんとか脱ぎ終えて、服を胸に抱えて、私はそっと振り返った。
「…………」
 なんだか二人ともなんとも言えない顔をしていたから、不安になって、服を握りしめた。
「変でした……?」
 ビキニじゃないけど、初めてお腹の出る水着を着た。
 全然セクシーさのない私に似合うかどうか、自分では全然わからなかったのだけど……。
「かわいいよ。……さすが、凪咲姉さん」
 サキ先輩がものすごい笑顔になってくれたから、私も笑うことができた。
「うん、似合ってるな」
 隼先輩まで褒めてくれてちょっと浮かれ始めた私は、服を隼先輩に渡して、サキ先輩に寄り添った。
「えへへ……海でイチャイチャしたら、本当に恋人って感じですよね」
 サキ先輩が驚いた顔をしていたけれど、私は満面の笑みで返した。
 昨日できなかったから、ここで。サキ先輩は、私のものだもん。

「うぇ、桃ちー、かわい……」
 琴先輩が顔を赤らめて、でもじっくり見てくるから、私は素早く反復横跳びをして視線をまいた。
「せっかくかわいいのにその動きは何よ、面白いな」
「あ、あんまり見ないでください!」
 水瀬先輩も笑いながらじろーっと見てるから、私は動きを止めることができなかった。
 でも、程なくして疲れて、肩で息をしていると、久くんがやってきた。
「桃ちゃん! 海入ろうよ!」
「久くん! はーい!」
 テンションが上がってきている私は、彼に手を引かれてスキップで海に入った。
「冷たくて気持ちいいですねっ」
「うんうん!」
 ついつい久くんとはしゃいで、水をかけ合って遊んでいたら、後でサキ先輩にちょっと嫉妬された。
 砂の城を作ったり、みんなで和真くんを埋めたり、砂浜で踊ってもらったり、たくさん楽しんだ。
 もちろん、女の子の視線を浴びまくってるサキ先輩にくっつくことも忘れなかった。
 もう、私を嫉妬させても、気がつかないんですから。
「チビの着替えは……これか。ほい」
 事前にまとめておいた下着類を受け取って、シャワーを浴びに行く。泳いではいないけど、すっかり砂砂になってしまった。
「楽しかったですねぇ」
 自然とスキップになってしまう私は、隣を歩く水瀬先輩に鼻で笑われた。
「サキもだけど、基山チャンもしっかり視線浴びてたぞ。サキの顔がいちいち険しくて冷や冷やしたわ」
「え〜? 嘘ですよ〜」
 私なんかが、ねぇ。ちょっと変な行動してたから目立ってただけだろう。
「ホント。基山チャン白いし、いちいちかわいいしな」
「そんなことないですもん!」
 肌が白いなんて自分で思ったこと、一度もない。黒い方じゃないとは思うけど、言うほど白くはないと思う。
「ホーンート。認めないからみんな苦労するんだぜ?」
「自分をかわいいって思ってるかわいい子なんていますかっ?」
 ヤケになって反論すると、水瀬先輩は笑いながらウインクをした。
「自分をかっこいいって思ってるかっこいいやつならここにいるぜ?」
 ……確かにいちいちかっこよすぎるから困りものです。
「……水瀬先輩はかっこいいですね」
「でしょー」
 ふざけたそのノリが好きだった。
 どこまで本気かわからないけど、いつだって色々励ましてくれるから。
「でも確かに、サキ先輩みたいに自分がかっこよすぎるのわかってない人がたくさんいたら、困っちゃいます」
「だろー。だからたまには基山チャンも……っておいおい」
 そっと彼の左腕に頬を寄せた。いつもからかわれてるお返し。
 すっごい複雑な顔をしている水瀬先輩に笑顔を向けてやった。
 サキ先輩の心配なら、大丈夫ですよ、と。


「ぐっすりだねぇ」
 松岡先輩と桃ちゃんが、二人とも目を閉じて寄りかかってる。
 身長差がちょうどいいくらいにあるから、いい具合につりあって、どちらも倒れずにいた。
「こう見ると、兄妹みたいですね」
 どちらかというと二人とも妹、弟キャラだけど。
 綺麗な寝顔を惜しみなくさらけ出している二人を、水瀬先輩はふざけて写真に撮っていた。
「まぁ、みんな疲れたんでしょうね。俺も、眠いや」
 眠っている久先輩や和真、敦史を見渡してから、あくびをして腕を伸ばした。
「まだ何時間もあるし、どうせ隼が起きてるから、寝ていいぞ〜」
「それじゃ、お言葉に甘えて」
 閉じた瞼の裏に、桃ちゃんの笑顔が浮かんで、必死にそれを振り払った。
 彼女に届くことは、もうない。


「桃歌チャンのカバン、これでいいんだよな」
「大丈夫だ」
 バスが学校に到着しても起きない桃歌を、サキが背負って、駅まで向かっている。
 バスから下ろすときに抱き上げたが、身長が低く小柄だといっても、軽すぎると思った。
 ……いつもの昼食、少し遠慮しているんじゃないかと、心配する自分がいた。
 女の子なんて、そんなものだ。きっと、そう言い訳して何も感じないようにしてきた。
 しかし、桃歌は……どんな出来事があっても、人間として惹かれるようになる。
 彼女の存在があってまで、気になる人ができたとき……だろうな。
 俺たちにその時期を教えてくれるのが、彼女なのかもしれない。
「……ん」
 目を覚ました桃歌と、一番に目があった。
 こんな少しと言わず、そういう意味で汚くしてきた部員に、革命をもたらした女神。
 そう、彼女はそうだ。



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