Blossom - Hollyhock

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「あ、サキ先輩。ちーっす」
「よ、よくわかったな」
 メガネをかけていないから見えないと思ったのだろうか?
「はは。僕、裸眼そんな悪くないんですよ」
 それに、体型ですぐわかる。
 っていうか、様子が変だ。こりゃ……。
「桃ちゃんと何かありました?」
「……あぁ、ちょっと、な」
 そのちょっとは、本当にちょっとなんだろうなぁ。困った顔の桃ちゃんが想像できる。
 松岡先輩の隣に座って、湯を出す。
「桃ちゃん、それぐらいじゃ気にしないと思いますけど、あんまりひどいと嫌われちゃいますよ」
「わかってるよ」
 彼女はすごく気楽で寛容だ。だからこそ松岡先輩がここまで執着するのだろうが。
 一度は彼女に惚れたことがあるから、少しわかる。こんな環境下で他にたなびかないようにするなら、このくらいやらなくてはいけないだろう。
 優しくて、親身だし、女としての隙が多い。それでも心に隙を作らないのは、松岡先輩がいるからこそ。
 沈黙のまま体を洗う。
「なぁ……梢、俺ってカッコ悪いか……? 男として」
 湯船に先に浸かった松岡先輩が、ぼんやりと呟いた。
「どういう男がかっこいいかによりますよ。一途に好けるのはかっこいいけど、夢中で余裕がないのはかっこよくないかもしれない。――先輩は、桃ちゃんに、どうしてほしいか、もう聞いてるんじゃないですか?」
 そうでなければ、隼先輩はきっとこの状況を放っておかないだろう。松岡先輩が全く的外れな言動をしているわけではない。だが、桃ちゃんが困っているのは事実だった。
「そう、だな。……でも、心配なんだ」
「僕は骨身にしみてわかってます。桃ちゃんは先輩だけじゃなくてたくさんの人に守られているし、ある程度は自分の覚悟を持っている。そして、守られ続けるのは嫌だと言っていました。……つまり、松岡先輩が彼女を守れなくても、構わないってことです」
 自分は、それを試した。ちやほやされるだけの女なんて面倒なだけ。しかし、彼女は違う。自分のケジメはなるべく自分でつけようとした。自分を守るために暴走しかけた松岡先輩を自ら抑止した。
 葉山先輩や朝斗先輩を言い負かしながらも、たくさんの部員に信頼され、愛される。彼女は、特別な女の子だと思う。
「過保護、かぁ」
 細身であれどあんな大きい体でちまっこく悩む松岡先輩はちょっと笑えた。
「みんな桃ちゃんのこと好きなんですから、黙ってるととられちゃいますよ」
 冗談めかして言ったのに、彼はより一層ちまっこくなっただけだった。


「おーい和真ァ、聞いてんのか?」
「聞いてるけど、ちょっと黙っとけ」
 ……敦史はうるさい。機嫌が悪いときは特に、いらないことをべらべらとしゃべる。
「つめてーヤツ」
 コイツの武勇伝に興味はない。色恋にそんな執着してない俺にとって、カワイイ子がどうだとか遊びがどうだとか、面白くもなんともない。
「あーもう、何でお前そんなにウザいんだよ!」
「まずどの理由から聞いちゃう?」
 イライラしてる自分がバカらしくなるほど、敦史はいつも冷静。つーかなーんも考えてない。
「不純な理由でヒップホップ部に入ったんだ、女にモテたい理由を吐きやがれ」
「あぁ、それ」
 急に落ちた声のトーンに、俺は少しだけ聞いたことを後悔した。
 人の暗い事情を聞くのは、いつだって辛いし、損なことだ……。
「俺さ、小中と男子にめっちゃいじめられててさ、それで女子の友達もほとんどいなかったわけ。ああ、当時は別にそんなに辛いと思ってなかった」
「なんでそれが女遊びに走る理由になるんだよ」
 気を遣ってか、気楽に酷かった過去を語る敦史の心中がわからなかった。深くまで読まなきゃいけないほど、複雑にできてると思いたくなかった。今まで自分が彼に接してきた態度を、省みないといけなくなるから。
「……幼馴染にな、言われたんだ。せめて女たらしにでもならないとやってけないって。この部活薦めたのも、そいつ」
 淡々と抑揚の少ない喋り方は、いつもと同じ。しかし、良いことではない、そんなことをさらりと言ってのける彼が、急に健気に思えた。
「だから、理由になってねぇ。そんなことしなくてもやってけるってコトくらい、お前にだってわかるだろ」
 別の意味でイライラしてきた。どうして、こんなにバカなんだ、コイツは。
「俺に訴える幼馴染があまりにも必死だったから、きっとそうだって思い込んだ。あいつにカッコも整えてもらった。これで安心だと笑顔を見せたから、これで安心だと思った」
 包み隠さず話した敦史が隠していることは、ただ一つだろう。幼馴染との関係。その裏に隠し持っている、彼自身の気持ち。
「…………」
 言うべきか。敦史が自覚しているのならば、言う必要はない。しかし、そうでないなら、きっと気づかせなければ、彼は間違った方向に進みかねない。
「その幼馴染って、女だろ。……お前は、そいつのこと、好きだろ」
「そうかもな」
 湯船に浸かって、天井なんて見上げて、敦史はぼんやりと返した。
 もう、見ていられない。本人がどうであれ、もう俺が満足ならない。
「かも、じゃなくて。……認めないと、手遅れになる。お前が」
「……かってるよ! もう言うな」
 声を荒げた敦史は、顔色一つ変えずに、また天井を見上げていた。
 わかっているなら、どうして。
 小中といじめに遭い、幼馴染以外に心の許せる同年代がいただろうか。そんなはずはない。
 そして、その幼馴染に言われたことに忠実に従っている。その、彼女は、もう世話ができないから、不安になったのだろう。
「あいつは……俺と縁が切りたくて、こんなこと言い出したんだよ。もうこれ以上依存したら、生きられなくなる。どんな他の女の子も、好けなくなる。誰にも、好かれなくなる。だから、もうしばらく話してない。……隣の、クラスにいるのに、な」
 バカだと思っていた。確かに、バカだ。でも、それは人と交流するのが苦手……その経験が、少ないからということもあるだろう。そして、こんなことを背負っていて強がる、空元気。
「お前はそれでいいのかよ。今、女と遊ぶのをやめて、そしたらお前はすぐに一人になるか? ……ならないだろ。少なくとも俺がいる。一生そいつだけって、そんなにいけないことかよ」
 感情的になって、俺もバカだ。敦史がどうだって、どうでもいいじゃんかよ。
 そこまで考えて、基山のバカみたいに明るい笑顔が浮かんだ。さっき……彼女は、俺を、今と同じように励ましてくれた。……悪いことじゃ、ない、か。
「和真……」
 一人が寂しくないなんて、辛くないなんて、嘘に決まってる。それは当たり前だ。しかし、敦史は一人じゃなかったんだろう。幼馴染がいたから。そして彼女は敦史にとって大きな存在だった。だから、寂しくも辛くもなかったんだ。だから、孤独を隠せるくらいには強かな敦史がいる。
「もうひとつ、聞いてくれるか……?」
「この際だ、全部言えよ」
 人の暗い事情を聞くのは辛いと言った。自分が何を言ってしまうかわからないから、『怖い』ということもある……けど……。
 『傷つけるのを怖がってたら、何もできないよ』
 あんなに辛そうな表情をした後に、彼女はそうやって笑ったじゃないか。そんな強さが、欲しかった。
「俺の幼馴染は……葛西 秋穂(かさい あきほ)は、水瀬先輩が好きなんだ」
 どっかで、聞いたことがある名前……。
 そうか、マネージャー志望だった子、だったと思う。見たことはないが、先輩から聞いたことがある。
 選考で落とされたその日に、階段から転落して、脳震盪で入院した――。
「葛西 秋穂は、牧村 敦史が好きだ」
 救急車を呼んだのは紛れもなく、その水瀬先輩だった、と。
 突然入ってきた彼に、敦史は戸惑いを隠せない様子で、湯船の中で立ち上がった。
 水瀬先輩が、そんなことを知るはずが……ない。そう言いたそうな顔で。
「黙って聞け。盗み聞きしたことは謝る。――俺は本人から聞いていたんだ。自分がいないと彼はだめだ、でももう近くに入られない。……いないほうがいい。敦史を頼む、と」


 後頭部を殴られたような衝撃だった。
『うん! 敦史かっこいいよ! ……これなら、きっと大丈夫』
 俺の世界に、これまでもこれからも女は秋穂一人だ。
 わかっている。彼女じゃないといけないって。わかっているけど……。
『私ね、あの先輩かっこいいなぁって思って。敦史もああいう風になってよ』
 言われたときにはショックだとは思わなかった。秋穂は自分に理想を求めてくれる、と。
『水瀬先輩。ああ見えてすっごい優しいの』
 程なくして大きくなった彼女の憧れは、俺の希望を絶望に変えた。
 マネージャーを志望したと聞いてから、三ヶ月以上会ってもいない。彼女の代わりを探すように、徒に女の子と遊んだ。
 でも、それは自分自身と共に秋穂を傷付けていたのか……。
 ダメになっても、もうなんでもいい。俺は秋穂以外には何も感じない。
「敦史、お前、知らないだろ。あの事故から、彼女、学校休みがちだって」
「嘘、だろ……」
 親同士も仲が良かったのに、秋穂に裏切られた腹いせに、反抗的になっていて全く話していなかった。
 だから……知れなかった……!!
「俺は……っ」
「バカだな」
 しばらく黙っていた和真が水を差した。いや、悪いことじゃない。
 これまで彼がどれだけ俺の話を聞いてくれたか。それで、わかったことだろう。
 俺は、バカだから。
 それでも呆れて優しく笑った和真に、俺は心から感謝した。


「あ、お帰りなさい」
 隼先輩と入れ替わりでサキ先輩がやって来た。私の隣に座り込む孝篤君をちらっと見て、何か言うかな、と思ったけど、小さく息を吐いて笑っただけだった。
 お風呂上がりのサキ先輩の姿をさっと眺めて、ちょっとどきどきした。
 やっぱり、こういうときの男の人って、素敵なんだなぁ。
 濡れた髪とラフな格好。外見的にはほとんどそれだけで、でも、近くにいると、少し暖かい感じがする。それと、あの良い香り。
「微笑ましいですよ、二人とも。見とれあって」
「えっ! えっと……ごめん」
 孝篤君の半笑いの言葉にびっくりしたのと恥ずかしいのとで、つい謝ってしまった私を見て、彼はもう一度笑った。
「桃歌チャンがかわいいからさ。……おいで」
 いつものことだけど、恥ずかしげもなくそう言って私の手を引いた。
 サキ先輩の腕の中にすっぽりな私を見て、孝篤君は柔らかく笑った。私にとってはとんでもなく恥ずかしかったのだけど。
「あっねえねえ、孝篤君の自慢できるようなことって、何?」
 サキ先輩のぽわぽわな陽気にあてられて二人だけの世界になってしまうと気まずいと思い、孝篤君に声をかけた。
「え? ……あぁ、ピアノだよ」
「孝篤ってピアノ弾けるのか!」
 てっきり聞いてるだけだと思っていたサキ先輩が珍しく食いついて、私たちは三人で話を弾ませた。
 そのワケは、実里さん――サキ先輩の真ん中のお姉さん、が音大でピアノをやっているから、なのだった。
 孝篤君は、母親はピアノの先生、父親は音楽教師と、音楽一家に生まれたそうで、ピアノは三歳くらいからやってるという。やめていく男の子も多い中、他に取り得もなかったから、孝篤君は今まで続けているって。
「でも……どうして、この部活に入ろうと思ったの?」
「俺、お察しの通り全然運動できなくてさ。このままじゃヤバイなぁ〜って思ってたんだけど、運動部入る気にもなれなかった。新歓で、ヒップホップ部の公演見て、音楽好きとして、こう、ビビっときたんだ」
 音に合わせて、踊る、笑う、歌う。誰もが心惹かれて、でもそこからやりたいという意志に辿り着くのは、少なからず困難なことだと思った。
 でも、彼の言うことは全然わかる。感覚的なことだけど……。
「そんなものだよね。俺は色々あって元からやってるけど、ほっとんどの部員は憧れとかで入部してる。けどきっかけって大事だしな」
 ……よかった。さっきあんなに怒ってたから、サキ先輩の機嫌が心配だった。
 でも、良い匂いもするし、今は良い先輩モードになってる。
「そういえば、桃歌チャンは中学の時何部だったの?」
「えーと……。一応クラシックギター部でした……」
「えっ! すごい意外」
 驚かれると思って、ずっとあまり言いたくなかった。正直そんなに誇りに思っているわけでもなくて。
「友達に無理やり誘われて……音楽やったことなかったのに。それで、部員も少なかったし、ゆるくやってました」
 ギターは真面目にやらないと全然できないものだから、当時は何の気もなくただ真面目にやっていた。
 でも、三年生で引退してから、そんなに執着してなかったことに気がついたのだった。
「なるほどね。どおりで音楽的センスがあると思った」
「えっ!? 全然ないよ。言った通り二年間クラシックギターやってただけだから……」
 孝篤君みたいな……ピアノを長年やってる人、言わば音楽の熟練者に言われるほどの能力は持ってないと思う。
「あはは。八分とか十六分とか、案外普通わかんないもんだよ?」
「そ、そうなの……?」
 多分、ダンスの練習を見ているときの拍の取り方のことなんだろう。
 楽譜も読んだことがなかった私は中学二年間でたいへん努力をしたものだけど……。
「今度、聞いてみたいな」
「でももうどっちの手も全然動かないですよ。そもそも楽器もなくて」
 優しい笑みのサキ先輩に慌てて返すと、孝篤君があ、と漏らした。
「うちにあるよ? 父さんの仕事柄、色々楽器類は」
「そ、そうなの?」
「うん。昔俺もちょっと弾いてみたことあるし。……桃歌ちゃん、弾いてよ。いつか、みんなに聞かせてみようよ」
 孝篤君のほんわりオーラに気圧されて、でもうんとは言えなかった。
 だって……そんなに上手くなかったし、ブランク一年くらいあるし。そもそも、ふだん演じる立場の人の前で一人で演奏するのは精神的に辛い。
「ん〜……そんじゃさ、音楽会みたいなの、ちょっとお遊びで開いてみない? カラオケ大会みたいなもんならみんな乗ってくれそうだし」
 しばらく黙っていたサキ先輩が手を打って提案した。あ、案外ノリノリだ……。
「孝篤がピアノ弾いて、桃歌チャンがギター、あと……確か久先輩はバイオリン習ってたし、梢は元吹奏楽部だったよな。歌上手いのは水瀬と……」
 ひ、久くんがバイオリン……! なんて西洋少年! マダムキラー!
 自称というか、久くんの密かなファンな私はバイオリン久くんというだけでウキウキものだった。
「ていうか、アンサンブルしたらいいんじゃないですか? いい感じに集まってるし」
 わわわ……話が大きくなっていってる。
「わ、私一人でも弾きますから、先輩たちも、孝篤君も、ダンスのほうに集中しましょうよ……。文化祭終わったら、コンクールもあるし」
 正直、申し訳ない。ピアノはともかくとして練習する場所や時間をとることは難しい。ましてや演奏する音楽系部活じゃないヒップホップ部が
演奏する場所を確保するのだって。  私が決死の思いで口にしてから、二人は何も言わなかった。そして、
「ナイス孝篤」
「先輩こそ」
 顔を上げるとしてやったり顔の二人。何かと似てるところの多い彼らだったが、こういうときはサキ先輩のほうが子供だ。……じゃなくて。
「え!?」
 一体何をされたのかわからない……と思考しかけて、ようやく気づく。
「ま、俺は別に弾いてもいいけど。桃歌ちゃんがやる気出してくれるように、言うなれば仕向けたね」
 意地悪く、しかし爽やかに笑った孝篤君を責める気にはならなかったけど、ハマっちゃう私もバカだ……。
「……あんまり期待しないでね。第一、二年間ギターでっかい似合わないと言われ続けてたから、想像できると思うけど……」
 そんなに聴きたいと思われているなら、演奏するのも悪くはない、か……。
 そもそもあの部活に入ったのも、私なんかが必要とされてる! みたいな感情があったからだし、ここに来てそういうのを捨てるのはちょっとナンセンスかもしれない。
「桃歌チャンならなんでもかわいいから大丈夫。部員ならなんも言わねぇっしょ」
 そういう問題じゃないのに、サキ先輩の満点スマイルが有無を言わせなかった。
「じゃあ、今度ギター持ってく。あ、気にしないでね、ずいぶん使ってないから」
 他のみんなに知れるのがちょっと不安だった。この部活の中で、私が目に見える個性を発揮したことって、ほとんどないから。


 ヤケに水瀬と敦史、和真が仲良くなっていた。先ほどすれ違った三人は、元々ほとんど口もきかないくらい仲がいい方ではなかったのに。
 ……まあ、どうせあのことか。
 つくづく自分の立場は損なんだか得なんだか、と思う。
 特別アンテナを張っているわけではないのに、相談を受けたりしているうちに情報が入ってきて、また昔から人の様子がおかしいときなどに人一倍敏感だった。そんなわけで、よっぽどのことか、語られないとわからない事実でない限り、部内のほとんどの事情を掴んでしまっている。
 葉山が危険だと桃歌に言ったのは、アイツが一番感情を表にしないからだった。
 ポーカーフェイスが得意な上、人を欺くのが好きだ。それでいて何らかの正義を掲げる。
 逆に桃歌やサキはわかりやすい。二人ともすぐ顔に出るし、お人好し思考はいつでも正常に動いてやがる。
 悶々としながら脱衣所に入ると、葉山がいた。
「おう、隼」
「こんばんは」
 元々……人とべたべたするのはあまり好きじゃない。葉山もそうだろう。
 しかし、彼はけしかけてきた。
「お前が俺のこと嫌いなのはわかってら。それ前提で聞く。お前は基山についてどう思う」
「マネジとしてはいいんじゃないですか。勤勉で意見も言える。何より嫌われてない」
 事実を答えた。葉山が聞きたいのはそういうことじゃないことくらいわかっているが、様子見だ。
「……ビジュアルだけで言ったらあのくらいかわいい子はいくらでもいる。勿論手垢のついていない範囲で。あいつの性格がちょっと変わってるのは、わかる。だが、松岡が基山に執着し、基山が松岡に執着する理由……お前なら、わかるか?」
 葉山は、何を推し量ろうとしているのだろうか。そんなことを知ったところで……サキを受け入れることにしか、繋がらない。
 愛香先輩を傷つけた人物ということは、彼にとって普通の何倍も憎いのは知っている。何があろうと許しがたく、そして惜しく、虚しく、悔しい。葉山の事情からすれば当然の感情だ。
「元々サキが知りもしない女の子に声をかけたのは、水瀬が彼に提案した、他人の愛情を理解するための『試み』だったんです。しかし、サキは逆に桃歌に惹かれていた。しかも、桃歌は彼に絡みついた複雑な関係を必要な範囲だけ解消するということをやってのけた。……救世主だったんですよ。他人の愛がわからないサキにとって。愛香先輩との関係をどうにもできなかったサキにとって」
 静かに聞いていた葉山は、俺が話し終えた後しばらくしてから、笑い声を上げた。
 あくまで冷静に彼を見据えると、にやけ顔のまま、手を振った。
「お前はとことんあいつの味方だな。まぁ、俺もとことんあいつの敵だが。――なるほどねぇ。基山は松岡の予想を上回ったという点で一枚上手なワケだ」
 独り言のようにそれだけ言うと、タオル片手に浴場に入っていった。


「ストレート!」
「フルハウス」
「ううう……スリーカード」
「ストレート」
「どうしたらそんな強くなるんですかっ!」
 すっかり仲も戻った水瀬先輩とサキ先輩、隼先輩、先ほどから一緒にいる孝篤君でトランプをやっていたのだけど……。
「今日初めてポーカーやったにしちゃ上手いじゃん。……っていうか、運か」
 水瀬先輩がポーカーやろう! と言うなり後の三人は遠慮します、と不参加を表明したので、二人でやっている。
 しかしどこで覚えたのか彼は必ず強いペアを炸裂させてくる……。
「ポーカーフェイスも何もないから、基山チャンに勝つように引くのは簡単だよ」
 笑って言う彼がちょっと憎たらしくて、皮肉のひとつでも言ってやろうとしたとき。
「ア・イ・ス! 買ってきたよー!」
 久くんが千種兄弟を引き連れてスキップで広場に入ってきた。
 扇風機の取り合いになっていた部員たちはこういうときだけ男臭くうおー、なんて言って久くんに駆け寄る。
 なんか……! 久くんの貞操の危機に見えて仕方がないわ!
「何アホなこと考えてんだ」
 ……一人で妄想してたら隼先輩に頭をぺしっと叩かれました。
「俺、もらってきますよ。桃歌ちゃん、何がいい?」
 先立って腰を上げた孝篤君にお願いして、私はトランプの片付けをしている水瀬先輩を手伝った。
「……ねぇ、今気づいたんだけど、基山チャンとサキってまだ付き合ってることにはなってないよね」
「は!?」
 ぽわぽわ〜として上機嫌だったサキ先輩が驚きの声を上げた。
 ……そういえば、そう、かも。
 と思ってサキ先輩の方を見やると、彼は動揺した様子で目を見開いてキョロキョロしていた。
「……そうだったっけ、桃歌チャン」
「えっと、多分」
 そう答えて、今までの経緯を思い出して恥ずかしくなる。
 だって……あれだけ、好き好き言い合ってたのに、事実上の恋人でしかなかったと。
「……気付いてなかったのか、二人とも」
 隼先輩、気付いてたんなら言ってください……。
 呆れるような彼の表情に、私たちも呆れるしかなかった。
「……よし! そんなら、桃歌チャン。明日の夜、告白するから待っててな」
 そのうちにやる気を取り戻した咲哉殿下の謎の意気込みに私は頷くしかなかった。
「あれ? どうしたんですか、なんか、気合い入れちゃって」
「基山チャンは実は正式にはサキの彼女じゃなかったことが判明したんよ。……孝篤! チャンスだぞ!」
 帰ってきてきょとんとした顔の孝篤君に水瀬先輩が冗談――と信じたい、を言うと、アイスを手渡した孝篤君は、少し考えた後、サキ先輩にこんなことを言った。
「それって俺が桃歌ちゃんを抱き締めてもいいことに」
「ならねぇな」
 聞くまでもなく遮ったサキ先輩は、孝篤君の代わりに私を後ろから抱き締めた。
「た、孝篤君、冗談キツいっす……」
 サキ先輩が怒ることは目に見えてるってことと、からかわないでほしいってことだったのだけど、彼は真顔で首を振った。
「俺、桃歌ちゃんのこと好きだし」
「俺の方が好きだ」
 間髪入れず何故か張り合ったサキ先輩に驚きの表情を向けると、余裕のあるサキヤクンスマイルを向けてきた。
 そして――。
「ひゅーう。さっすが松岡クン」
 サキ先輩の香りが、ふわりと鼻腔をかすめた。
 気付けば鼻先と鼻先がぶつかるほどに近くに、彼のきれいな顔。
 いつでも女の子みたいに柔らかいサキ先輩の唇と、私の唇が、重なり合っていた。
「――!」
 孝篤君の無言の驚きが、私の驚きを越えていたのを、肌で感じた。
 いつもよりも長いそのキスで、私はサキ先輩のこと以外頭から排除されてしまったというのに。
「アイス溶けるぞ」
 隼先輩の一言で解放された私は、孝篤君に申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまった。

「ホントに一人で大丈夫か!?」
「子供じゃありませんからっ! 私だって女の子ですから部屋入ったら怒りますからね」
 私だって女の子ですから、に水瀬先輩が噴き出したことはスルーしよう。
 就寝時間になって、自分の部屋に行こうとしたら、サキ先輩にとことん心配された。
「何かあったら俺らの部屋来い。……くれぐれも寝ぼけた水瀬と琴には気をつけて」
 隼先輩の言葉に苦笑する。水瀬先輩は実は寝てなくても寝ぼけたふりとかしそうだし、琴先輩は単純に寝ぼけそう。
「あー懐かしいな〜去年俺に抱きついてヤダヤダしてきたっけな〜」
「ちょっ! 言うなよ!」
 ……サキ先輩の目がなければちょっとされてみたいかも……。想像すると琴先輩がすごくかわいく思えた。
「……最近お前、谷垣先輩とか千種兄弟相手におかしいことなってるな」
 はい、スミマセン。かわいいもの好きだって気付いてしまったのです。
「添い寝だいかんげ」
「け、結構ですからっ」
 サキ先輩は寝相が悪いとは思えないけど、寝起きでぽわぽわモードになられたら私が窒息死しても気が付かなさそうで怖い。……ちょっと言いすぎだけど。
 まぁ、少しも寂しくないと言ったら嘘になる。だって部屋、結構広いんだもの……。
「それじゃ、おやすみなさい」
「おやすみ」
「モーニングキス待ってるぞ!」
 水瀬先輩の冗談にサキ先輩は彼に肘鉄を食らわせた。
「でぇっ」
「あはは……」



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