Blossom - Hollyhock

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「合宿、ですか」
「そう! 基礎みっちりと文化祭の練習。海が見えるぜ!」
 ふわふわの淡い色の髪と、色素の薄い肌と瞳。この17歳とは思えないかわいらしい容姿の少年は、谷垣 久(たにがき ひさ)。……正真正銘の、マネの先輩だ。
『久くんでいいよ! みんなそう呼んでるから』
 「ヒサセンパイ」に噛んでしまった私にそう笑いかけた久くんは、正に天使のようで……。しかし、呼び慣れてしまってから、彼の「みんなそう呼んでるから」はあくまでファンと同級生の話であって、部内では専ら「久先輩」「谷垣先輩」と呼ばれていることに気がついたのだった。本人は全く気にしていないようなのだけど。
 ヒップホップ部のお父さん、草野先輩と並ぶと、まるで親子なのだった。
「二泊三日。最終日は海で遊んで帰る」
 片付けの作業を続けながら草野先輩がこぼした言葉に、心が躍った。
「海! ですか!」
 何年ぶりだろう。家族でもなかなか行かないから……。
「合宿の話かァ?」
 荷物を持ってきた通りすがりに問うた水瀬先輩に頷くと、彼はニヘ、と笑った。
「基山チャンの水着が見れる……っと」
「そ、そこなんですか!? ……あ」
 大していいものでもないのに、と思って、水着を持っていないことに気がついた。
 プールとかも行かないから、何年も買っていない。手元にあるのは水泳の授業用のものだけだった。
「今オンナノコに飢えてるからな〜」
 鼻歌を歌いながら通り過ぎて行った水瀬先輩の背中を見送って、私と草野先輩は苦笑いした。
「私、水着持ってないんですよね……」

「お疲れさまーっす」
「お疲れ」
「バイバーイ」
 部活が終わって、それぞれパラパラと帰って行く。
 部長である葉山先輩と二人で鍵を返しに歩いていると、紗奈に遭遇した。
「あ、桃歌ちゃん! ……と、葉山先輩っ」
 葉山先輩を認めたとき、彼女は真っ赤になった。
 先輩本人はなんてこともないように涼しい顔をしている。この人の場合、気づいてるけど、慣れているからこんな態度をとるんだろうな。
「えっと、バイバイ!」
 沈黙が漂って気まずくなったので、私は無理やり彼女に別れを告げて足早に通り過ぎた。
「先輩、慣れてますよね」
「あ? いや、あの子の場合は俺らの誰でもあぁだろ」
 冷たさとは少し違った、無気力さを振りまいて葉山先輩は答えた。
「そう、ですか?」
 すごく適当そうで頼りたくないって印象だったけど、葉山先輩は非常に洞察力に優れていて、また仁義はわきまえていると、この数ヶ月で気がついた。
 サキ先輩に少しキツいのも、きっと彼なりに何かあるのだろう。
「そーゆーもん。で、そういう子にサービスするのは、本人の悩みのタネになるだけなの」
 さすがのイケメン集団を率いているだけあって、そういうことはよく考えているのだろうか。
 鍵を返して葉山先輩と別れた後、私は急いでサキ先輩たちのところへ行った。
「なぁなぁ基山チャン! 水着! 買いに行こうぜ!」
 すっかりハイになってしまっている水瀬先輩に苦笑いしていると、サキ先輩が彼を鋭い視線で睨みつけていた。
「俺の誕生日、最近だったの! な、いいだろ」
「それ行ったら隼もだろー」
 琴先輩の突っ込みに、呆れたように見ていた隼先輩も溜息をついて頷いた。
 み、水着を男の人と買いに行くのは、ちょっとな……。
「凪咲姉さんに頼んでみるから、行っておいでよ」
 そんな私の本音を知ってか知らずかサキ先輩が出した助け舟に、水瀬先輩が、というワケじゃなく、本当にちょっと嫌だった私は、あっさりと乗った。
「ホントですか!? やった!」
 もはやスルーされている水瀬先輩の不満そうな表情を見ると心が痛んだけど、凪咲さんと買い物に行ってみたかったから、私は全然迷うことはなかった。
 ……ってあれ? 水着買う流れに乗せられてしまった……。



「見・え・て・き・たー!!」
 久くん、朝斗先輩、琴先輩のカワイイトリオと、水瀬先輩、そして一年の和真君――高梨 和真(たかなし かずさ)君が揃ってはしゃいだ。
 彼らが開けた窓からは、かすかに海風が入ってきて、生ぬるいながらも涼しげな風は、正に夏! という感じだった。
「はしゃいでんなよー」
 三年の先輩の注意もさして気にせず窓から身を乗り出している五人は、高校生には見えないほど無邪気だった。
「着いて荷物を置いたらすぐ昼食作りだ。俺も手伝うが、少し練習してから行くから、前に伝えたとおり、二人と準備しておいてくれ」
「わかりました」
 バス車内は、はしゃいでる人、音楽を聴きながら目をつぶっている人、爆酔している人が主で、ふつうに起きているのは私と隼先輩、サキ先輩とあと数人くらいだった。
 やっぱり男の子ってこういうものなのかな……。女子は、絶対にこんな風にはならないもの。
 改めて女子一人、という状況に少しだけ不安を感じた。
「夜な、大体みんな集まって騒いでると思うが、その中でいるのは辛いだろ? 俺か、サキか、誰か……」
「大丈夫です、私。みんなといる方が楽しいですよ」
 隼先輩の真面目な横顔が、少し驚いた。
 私は、守られ続けるのは嫌なんだ。ましてや、仲間はずれなんて。
「心配することでもないですから」
 微笑んで言うと、彼は頷いてまた窓の外を見た。
 左の手に温もりを感じて顔を上げると、眠そうな顔のサキ先輩が映った。
 ひとつあくびをして、またにっこり笑ったサキ先輩に、困ったような笑顔を向けると、逆の手で頭を撫でられた。
「サキ先輩?」
 時たまある、彼の変な行動。ふっと笑っては何かをしてまたやわらかく笑う。それがとんでもなくかっこよくて、きれいで甘いから、私は嫌いになんてなれないのだけれど。
 引き寄せられた肩と肩――彼の場合は腕、が軽くぶつかって密着した。
「暑くないですか?」
「クーラー効きすぎててさみぃ」
 いたずらっぽく言った声はいつも通りで、彼のヘヴンモードは終了したみたいだった。
「桃歌ちゃんって料理できるんだっけ?」
「えっと、まぁ、人並みには」
 お弁当を自分で作っていた頃もある……っていうか、あの一日だけだけど。
 一応琴先輩にはおいしいって言われたけど、サキ先輩はそれを知らないんだっけ。
「久先輩、ケッコーヤバいから注意しといてね。たぶん大丈夫だけどさ」
 冗談めかして言いながら騒いでる久くんをちらと見て、サキ先輩は苦笑いした。
 久くん、すごい天然なところあるしな……。手先は確実に器用なのだけど。
「ん、そろそろ着きそうだな。みんな起こさないと」
 もうすっかり夏本番の日差しは、いつもより眩しかった。

「うおおー! ボロいっ!」
 ぴょんぴょんと跳ねてはしゃいでいる和真君と、ワケもなく叫びまくっている例の四人。
 和真君、私にもあのくらい普通に明るく接してくれたらいいのに。
 バスから荷物を下ろして、ちゃっかり私は先輩に荷物を持ってもらっちゃって、宿舎までやってきた。
 青い海は宿舎の立つ高台から向こうにあり、きらきらと眩しい光を反射している。
 しっかり潮の香りのする風と熱気に、夏のにおいを確かに感じる。
 さっきまで寝ていた人たちはみんな眠そうにしていたが、海を見た途端、ほとんどの人がはしゃぎだした。
「和真ってば、子供だねー。こういうときだけ無邪気になりやがって」
 梢君が私を追いかけながら笑いかけた。和真君は私が話しかけても素っ気無いし、何か楽しい話をしようとしても、あんまりちゃんと聞いてくれない。
「ねー。もう……」
 心を開いてくれない、に近い。一番最初に仲良くなったのはもちろん梢君で、一年生のあとの三人、和真君と、牧村 敦史(まきむら あつし)君、根岸 孝篤(ねぎし たかあつ)君とは、それなりに話せる仲にはなっている。
 敦史君は水瀬先輩に近い系統のいわゆるチャラ男で陽気で話しやすいし、孝篤君はちょっと変だけど、すっごく優しい。
 でも、和真君は梢君にさえちょっと他人行儀な感じで、部内で打ち解けているのは久君と千種兄弟くらいだった。
 この合宿で私がひとつ目指していることは、和真君と仲良くなることだった。
「桃ちゃーん?」
「あ、うん!」
 和真君の背中を睨みつけてウンウン考えていたら、置いて行かれてしまっていた。
 和真の言ったとおりに、ボロい……と言ったら失礼だけど、小綺麗とか新しさは感じないような宿舎だった。
 昔ながらの引き戸を通って中に入った瞬間に、少しかびのにおいのする古い木のにおい。
 低い天井に、背の高い人の多い部員はなんだか窮屈そうにしていた。
「桃ちゃん、行くよー」
「はーい」
 久くんが、長身のカベの隙間を飛び跳ねて声をかけてきたので、私は人の間をぬって集団を抜けた。
「腹減ったなー!」
 満面の笑顔でお腹をおさえる久君が微笑ましくて、ちょっとだけ笑ってしまった。
 すると、久君の手がそのまま私の頭の上に乗せられた。
「はぁー、桃ちゃんかわいいいな、ホント。咲哉が憎たらしい……」
「そ、ひ、久くんのかわいさには負けます!」
「あはは、でしょ? なんちって」
 すっかり混乱しちゃっている私の頭をぐしゃぐしゃと撫でるマネをしながら、髪が乱れないように優しく撫でてくれた。
「あの、久君、和真君とどうしたら仲良くなれますかね?」
「和真? うーん……わかんないなぁ。でも、見てると、咲哉とかみたいな、なんか無差別に人に親切できる人は苦手みたい。桃ちゃん相手だと、純粋に恥ずかしくてってことかもだけど」
「そうなんですか? でも……」
「和真はちょっと照れ屋なだけだよ。そのうち仲良くなれるって」
 ちょっと強引にまとめた久くんは、それでも私を励ますように自信たっぷりの笑みを浮かべた。
 いくつかの広場を持つ廊下を歩いていくと、広い厨房に着いた。
「よし! 昼飯作るぞ!」
 腕まくり――実際は半袖を着ているからフリ、をして、久くんが駆け出した。
「基山ちゃん、久には火は任せるな、キケンだ」
「あはは……はい」
 草野先輩がかなり真面目な面持ちで言うんだから、よっぽどなのだろう……。

「これ、そろそろいいぞ。皿出してあっちで盛り付けておいてくれ」
 フライパンをきれいにさばいてテキパキと動く隼先輩は、料理をしているだけだというのに見とれてしまいそうなほどかっこよかった。
 彼一人でも、三人がかりより全然効率がよかった。確かに久くんはなんでもかんでも燃やしそうになるし、大変だったのだ。
 山盛りの唐揚げをどんどん揚げていく姿はまさに主婦だった。
「ん、もう大体終わるだろ。一年連れてきて運ばせてくれ」
「はい!」
 若干道に迷いそうになりながら、なんとか音を頼りに広場を探して辿り着いた。
「もうご飯できるので、一年生は運ぶの手伝ってくれますか?」
「りょうかーい」
 四人を引き連れて厨房に戻って、もうずらりと並んだ皿を食堂に運び出した。
「隼先輩って主夫なの?」
「え!? ……えっと、下に兄弟が三人いて、家事ほとんどやってるらしいから、事実上は、そうかなあ?」
「へー、そっか」
 孝篤君が急に変なことを言うからびっくりしてしまった。しかも声のトーンが本気だった。
 彼はよく、どうしてか唐突に口を開いてはちょっと的外れなことを言う。
「料理できる人って、男女関係なくいいもんだね」
 全て運び終えて、梢君が先輩たちを呼びに行ってくれて、私たちはちょっと休憩していた。私は先ほどから近くにいた孝篤君と雑談をしていた。
「ホントだね。隼先輩は私よりもずーっと家庭的で羨ましいなぁ」
「ん、桃歌ちゃんはこのままでいいっしょ」
「え?」
 後ろに手をついて、足を投げ出した姿勢で、孝篤君は天井を見つめていた。
「和ませ役。努力してなれるモンでもないしさ」
 こちらを向いた孝篤君は、その横顔を見つめていた私と目が合った。
 どこか寂しそうな柔らかい笑顔は、サキ先輩のものと少しだけ似ていた。
「そうかなぁ。……孝篤君は、何か自慢できること、ある?」
 頷いて頭を掻いた彼は、一人でへにゃりと笑ってから、上体を起こして私の方は見ずに言った。
「ない訳じゃないけど、さ。ココにいる間は何の役にも立ちやしない」
 でも、聞きたいよ。
 そう言おうとしたとき、先輩たちが食堂に入ってきた。
 孝篤君は誤魔化すようにさっと立ち上がって向こうへ行ってしまった。
「チビ、どーした」
 よっぽどしかめっ面で放心していたのか、隼先輩に肩を叩かれてやっと思考を目の前のことに戻すことができた。
 気づいてしまった。私は、孝篤君についても、全然知らない。話した量に比べると彼自身のことは笑っちゃうくらいに知らない。
 知りたい。悩んでることとか、どうにかしてあげたい。私に何かできるというのならば。
 初めて食べた出来立ての隼先輩の料理は、いつもと同じ味なのに、すごく優しくて、なんだか泣き出したくなってしまった。

 午後の練習と夕食を終え、部員全員が集まってのミーティングが開かれた。内容は、文化祭について。
「文化祭公演が他と決定的に違うこと……それは、公演時間と客だ。……」
「朝くーん、タケ怒っちゃうよー」
 机に突っ伏して居眠りしかけていた朝斗先輩に久くんが声をかける。
 手と口を止めて朝斗先輩を見つめる草野先輩の目はちょっと怖かった……。
「うーいー……」
 草野先輩は、部内の怒ったら怖い人ランキングベストスリーに入るだろう。もちろん、サキ先輩も。
 朝斗先輩も朝からはしゃいでいたし疲れているだろうが、仕方がない。
 説明が続けられる。
 割合はあれど、客層は広がるということ。初秋といえど暑い気候の中での昼間の公演だということ。何かとアクシデントがつきものだということ。
 新人マネージャーとして背中が冷えるようなこともたくさんあった。
 でも、今年は、まだいい……。草野先輩も久くんもいるのだから。
 三年生と二年生が徹夜で考えたという振り付けの概要の紙を配り、私はその内容の専門用語の多さにクラっときた。
 ま、全く何がなんだかわかりません先輩……。
 周りを見ると、孝篤君と目が合った瞬間に彼も私と同じように困ったように苦笑した。
 梢君や和真君は真面目に目を離さないで読んでるし、敦史君はハナから目もくれてないし。
「まぁ、そんな感じだ。俺からは以上。悠輔、何かあるか?」
 問われた葉山先輩は首を振ると、あくびをひとつして解散、と言った。
 この後は、予定では入浴、ということになっているが……。
「桃歌ちゃん、最初入っておいで」
 どうしようかな、とボーっとしていたら、サキ先輩が声をかけてくれた。
「いいんですか?」
「集団の男っていうのは無駄に長風呂だからな」
 浴場が一つしかないのだった。一緒に入るわけにはいかない。でもその辺りのことは全く決められていなかった。
「それに、レディーファーストは基本だろっ!」
 横から入ってきたのは水瀬先輩だった。
 サキ先輩と彼の言葉に苦笑しながら、私は自分の部屋に着替えをとりに行った。
 男子は約五人ずつ1部屋で、私は一人部屋。
 地図を片手に廊下を歩いて、焦った。
 ま、迷った……!
 さして広くもないのだが、地図も案内もあいまいでよくわからなかった。
 とりあえずどこかの個室に誰かいないか探そう。
 一番近くの部屋の扉を軽くノックして扉を開けた。
「…………」
 扉の向こうには、ぐちゃぐちゃの荷物。そして……。
「ごっごめん!」
 慌てて扉を閉めた。仏頂面で、そして上半身裸の和真君がストレッチをしていた。
 焦り故に答えも待たずに扉を開けてしまった私がばかだった。
 ばくばく言ってる心臓をそのままにしてまた他を当たることもできず、私はその場に座り込んだ。
「……なんか用だった?」
 すると、扉がまた開いて和真君が顔を出した。ちゃんと服を着て。
「あっ、えっと……ここは、和真君たちの部屋、でOK? 迷っちゃったの」
「なる。合ってるよ」
 それだけ手早く言ってまた部屋へ引っ込んでしまった。
 ちょっと、いやかなりびっくりした。
 間もなく部屋の前にやってきた梢君にもびっくりされたことは言うまでもなく。

 もともと集団用の浴場は広くて、一人で入るにはちょっと不安になるくらいだった。
 だからあんまりゆっくりする気にはなれず、ささっと体を洗って湯船に漬かったのも短時間だった。
 脱衣所で着替えていると、外から、怒鳴り声が聞こえた。
 それは、サキ先輩のものだったので私は内心かなり焦った。
 ど、ど、どうしよ……。あぁもう、絶対くだらないことだし……。
 とにかく素早く着替えて扉の前で外をうかがう。
「水瀬。これで二回目だからな? わかってるか?」
 サキ先輩、怒ってる。水瀬先輩……二回目。つまり、そういうことだろうな。
 聞いてないふりを装って、私は微笑みを作って扉を勢いよく開けた。
「あがりまし……わっ」
 一歩踏み出した瞬間にサキ先輩の胸に引き込まれた。
 も、もしかしたらこれはちょっと面倒なことになるかもしれない。聞いてないふりなんてしないほうがよかったかな……。
「この五日間……俺か、隼か、草野先輩。絶対誰かと一緒にいてくれ。頼むから……」
「サキ、冗談だって……」
「水瀬は黙ってろ」
 私には弱々しい囁き。水瀬先輩には覇気のある声。
 というか、私は、またサキ先輩を心配させてしまったのだろうか……。
「わかりました、から、水瀬先輩には、もう何も言わないでください」
「……。俺、入るから、隼といてくれよ?」
 しっかり目を見て頷くと、サキ先輩は解放してくれた。横目見た水瀬先輩は少し焦燥した表情でウインクを配せた。


「琴。俺なんかだめなこと言ったかな……」
 あのままサキと一緒に風呂に入るワケにも行かず、部屋にいた琴に助けを求めた。
「またサキ怒らせたの?」
「基山チャンさびしいかもしれないから一緒に入れば? って言っただけなんだけど」
 寝転がって扇風機の風を受けていた琴だったが、俺の言葉を聞いて、体を起こした。
「そりゃどーなんだろーね。お前の考えてること伝わってたらフツー怒んないっしょー」
「そう思うよなぁ……」
 咲哉サマはつくづく基山チャンのことになるとアホだ。というかなんというか。
「前のアレは自分でも言い過ぎたと思うけど、今回は別に俺に怒ったって何もないのにな。基山チャン聞いてなかったフリしてたけど明らかに聞いてたし」
「サキは桃ちーの言うことと、キレてるときの隼の説教くらいしかちゃんと聞いて反映してくれねーしな〜」
 ……困ったものだ。基山チャンも男慣れしてないからなんとも思わないのだろうけど、サキの女慣れのしていない度合いは異常だ。つーかあんなに余裕なかったら普通嫌われる。
「あ゛ー! イケメンってほんと得だなー!!」
「あはは……それは思う」


「あ! ……さっきはごめんね、勝手に入っちゃって」
「別に。むしろ俺の方がごめん」
 ミーティングをやっていた広場でわいわいやってると聞いてやってくると、和真君が真っ先に目が入ったので、私は彼に一応謝っておいた。そしたら、逆に彼にも謝られた。
 いつものように素っ気無かったけど、でもちょっとだけ気を遣ってくれたのが嬉しかった。
「あの、さ、和真君」
「何?」
 いい機会だと思った。仲良くしたいって、言おう。


「私のこと嫌い……?」
 かわいらしい顔をこの上もなく苦しそうに歪めて、彼女はそう言った。
 な、んで……。
 胸が痛かった。そんなつもりはなかったから。
 言葉を探しながら、今の自分も酷い顔をしているだろうな、と思って少し恥ずかしくなる。
「っ全然、嫌いじゃ、ない……よ」
 素直じゃない。かわいくない。損してる。
 ずっと言われ続けてきたし、わかってるけど。
 自分がどれだけそれで人を傷つけてきたかは、計り知ることができなかった。
 顔を伏せていたせいで、彼女があのかわいらしい笑顔を取り戻したことにも気づかなかった。


 いつもと変わらない、仏頂面……じゃなかった。
 和真君は、確かにその中で驚いたような顔を見せていた。
 声は震えていたし、彼が会話中に目をそらすことは珍しかった。
「よかった……」
 自然と笑みがこぼれてそう呟くと、和真君ははっとしたように顔を上げた。
 そして、私に、笑いかけてくれた。
「和真君、全然私と喋ってくれないから、嫌われてたらどうしようって思ったの」
「俺、なんかそう思われるようなことした?」
 彼の本当の自然な笑顔じゃなかったけれど、いつもの仏頂面よりはほぐれた表情を浮かべていた。
「ううん。……私はね、和真君と仲良くなりたかったんだけど、和真君はあんまりそう思ってくれてなさそうだったから」
「それは……」
 答えようとした和真君の口が、止まった。ちょっとぱくぱくと空振りをして、でも何も言わなくて。
 あっちへいったりこっちへいったりしてる視線と、赤い頬。
 しまいにはふいっとそっぽを向いてしまった。
 この仕草……何度か、見たことある。
『純粋に恥ずかしくてってことかもだけど』
 久くんの言葉が思い出される。そういえば、和真君は私が何か言うと、よくこうしてそっぽを向いてしまっていたような。
「かず、さく」
「ごめ、ごめん、ちょっとタンマ」
 額に手を当てて息をする和真君。発した言葉はちょっと狼狽しているように聞こえた。
 そんな和真君を前に、私はもう何も言えなかった。
「う〜〜」
 唸っている和真君の様子がちょっとおかしくて、私はこっそり笑ってしまった。
 しばらくそうした後、彼はゆっくりと口を開いた。
「く、くだらないことなんだけど、さ。俺、調子乗ると遠慮できないほうでさ。その、基山みたいな女子と、あんまり接したことないし、色々言い過ぎると、いつの間にか傷つけちゃうかと思ったら、申し訳なくて」
 早口で、それだけ勢いで言って、和真君は苦笑した。
 つまり……気を遣ってくれて、いた。
 案外に真面目な彼らしいことだった。
 唖然としてしまった私を心配そうに覗き込んだ彼に、私は一つ頷いて笑いかけた。
 簡単なこと、だったんだ。
「全っ然気にしなくていいのに! 同い年でしょ? それにね、傷つけるのを怖がってたら、何もできないよ」
 私は、こんなだけど、梢君に噛み付いた経験がある。それは、私のためにやったことだった。
 サキ先輩にだって口出しするし、葉山先輩も怖いけど、態度だけは怖じたくなかった。
「驚いた。……基山、強いな。俺、男なのに弱っちいや」
 膝を抱えた格好で座っている和真君は、自嘲の笑みを浮かべた。
 それでもしっかり目を見てくれる。私はそんな真面目さが和真君のいいところだと思った。
「和真君。腕相撲しよ」
「え、あ、うん?」
 突然の提案に彼も驚いていた。なんてことはない、ただの思いつき。
 腕の長さも負けているから、勝ち目なんてない。
 でも本気でやった。少しだけ耐えて、でも和真君に負けた。
「あははっ。ね、ほら、和真君は男の子だよ。私じゃ勝てないもん」
 自然に笑えた。無邪気に熱くなっている和真君がいて、私の言葉に彼は笑った。
「基山がモテる理由、わかったよ」
「えっ!? 私がいつ誰にモテたのっ?」
「部員全員、かな〜。あー、葉山先輩とかはちょっと違うけど」
 じゃ、風呂入ってるから、と私を残して、彼は去ってしまった。
 ぶ、部員全員って……。それこそ校内のファンに殺されかねない。
「あっそうだ」
 隼先輩か草野先輩と一緒にいろと言われたのだった。わいわい騒いでいる集団の中に隼先輩を見つけたので、私はそこに近づいていった。
「っきゃっ!」
 この香水のにおい……敦史君だ。突然手が引かれたと思ったら私はその香りの中に抱かれていた。
 って、何を私は冷静に。
「敦史君っ!」
 怒りをこめて咎めてやった。でも、彼は全くひるまなかった。
「五日間も桃歌ちゃんとしか会えないとか寂しくない? ちょっと女の子チャージさせてよ」
「……牧村。俺は構わないが、サキだけでなくソイツ自身も怒らせるとヤバイぞ」
 隼先輩は梢君のあの件を言っているのだろうか……。
「や、ヤバくないですよ!」
 反論すると、いいのか? という視線を配せられて私は黙り込んだ。
 なんとか身をよじって敦史君の腕を掴む。
「女なら誰でもいいキミがわざわざ桃歌ちゃんに触れる必要なんてある?」
 声がしたと思ったら、敦史君の腕から解放された。
 その綺麗な顔を嫌そー……に歪めて敦史君をにらみつけていたのは孝篤君だった。
「泥沼展開か?」
「そうじゃないと信じます……」
 怖すぎる。サキ先輩が孝篤君に何をしでかすかわからない。
「んま。ねーけど。女のケツを追うのは性に合わねェや。あー早く帰りてェな」
 敦史君は全く物怖じせずにさらっと言いのけてあくびをしながら立ち上がってどこかへ行った。
「孝篤君、ありがと」
「お礼を言われるほどのことでも。あのバカには冗談も本気もないし人の話聞かないからさ、気をつけなよ」
 敦史君とクラスが同じである孝篤君は、いつも彼をたしなめる役だ。
 ……って言ったって、今のは孝篤君、確実にフツーに怒ってたけどね。
「根岸、間違ってもサキを敵には回すなよ」
「まさか。俺は二人の仲を応援したいですよ」
 柔らかく笑った孝篤君に隼先輩は一瞥をくれると立ち上がった。
「サキが来たからそろそろ俺は行くぞ」
「あっはい」
 と、返事をしてから気がついた。
 私、隼先輩に何も言ってないのに……!
 ……やっぱり彼はエスパーみたいです。



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