Blossom
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「あー、ホント、サキの蹴り食らわなくて済んだのは奇跡だなー」
「ホントですね。私もビックリですよ」
翌朝も、芳花先輩は階段の脇で待っていて、学校までの道のりを一緒に歩いている。
結局、昨日の放課後はサキ先輩が、朝斗先輩含む四人を放置して、私を連れて帰ってしまったのだけど、芳花先輩は蹴らないと約束してくれた。
暴力的なのはいけないよ。暴力を振るうサキ先輩も、それを受ける芳花先輩も見たくない。
三倍くらい心が痛むんだもの。
「もっもちー! はよー!!」
商店街の辺りで、後ろから軽く背中を押されて、振り返ると、琴先輩が笑顔で後ろを歩いていた。
その後ろには、何だか物凄く眠そうなサキ先輩と、笹神先輩。
どうしたんだろう? と思っていたら、琴先輩が、苦笑しながら教えてくれた。
「眠れなかったんだってー」
ど、どういうことだろう……。
私は、ある意味でぐっすり眠れてしまえたのだけれども。
「あの、私とサキ先輩が、先に帰っちゃったの、見てました?」
放置して帰ってしまうって、どういうことなんだろうなんて思いながら、あんな調子のサキ先輩に逆らう訳にもいかず、何も言わずについて行ってしまったのだけど。
「視界には入ってただろうね。でも気づかなかったや」
私は別として、サキ先輩は、あんなに背が高いから目立つのに。
落ち込んでいるのか浮かれているのかよくわからなかったけれど、あのカリスマオーラがズーンという感じのオーラに変わっていたのもあるのかもしれない。
「ん、ダイジョーブだよ。帰ってこなかったら先に帰るって約束してるから」
そんな約束があるのね……。集団行動の中では割と重要なものに感じたけれど。
「サキ、見苦しいぞ……寝不足で顔も酷いし、寝癖ついてるし」
そう言いながらサキ先輩の前髪を整えてあげる笹神先輩は、さながらお母さんのようだと思った。
心なしか隣を歩く芳花先輩がちょっとびくびくしているけれど、サキ先輩はかなり眠そうで覇気がないので、蹴ることはしないだろう……。
「サキ先輩、元気ですか?」
苦笑しながら、声をかけると、少しばかり明るく笑い返してくれた。
もう……睡眠不足も、人気者の大敵でしょうに。
それからと言うものの、毎朝、芳花先輩、+αで登校し、下校はほとんど先輩たちと五人だった。
サキ先輩は物凄く優しくしてくれて、笹神先輩は相談相手だし、芳花先輩も一緒に登校するうちに、いい話相手にまでなった。
琴先輩は、人好きのする笑顔で、すごく話しやすい相手だし。
クラスの人とも、若干初期の溝が深いものの、なんとなく話せるようになってきた。だから、みんな聞きたがる先輩たちの話をしてあげている。
勿論、気にしていそうな事は言わないけれど……。
「桃歌ちゃんは、部活決めたの?」
「あ、あのね、男子ヒップホップ部のマネージャーやることに、いつの間にかなってたの」
とても短いいつの間にかだったけど、ホントのことだもんね!
もう、あの入学式の日から二週間くらい経って、そろそろ入部届が出せるようになるから、各部は勧誘に一生懸命だった。
今日は、男子ヒップホップ部の、新入生歓迎公演があるらしいから、行かなくちゃいけない。
どちらにせよ、先輩たちと帰らないと怒られるから。
「そうなんだ!! とことん羨ましい……ううん、羨ましいというか、うーん! 言葉にできないなぁ」
そう言って笑う紗奈は、本当に私の一番の友達になってくれている。彼女のすごいところは、親友と言えそうな友達が本当にたくさんいること。
私は、彼女の友達つながりで、何人か、他のクラスの子とも仲良くなったし、クラスの子とも仲良くなった。
「あはは。……今日ね、男子ヒップホップ部の新入生歓迎公演あるんだよ」
宣伝しておいてね! と一応言われていたから、する必要もないだろうけど、伝えておく。
「うん! 行こうかなぁ!」
あぁ、紗奈が一緒にマネージャーやってくれたら嬉しいのに。今いるマネージャーは、みんな男子、というか、三年に二人しかいないらしいのだ。
「あ、次移動だね。そろそろ行こっか」
私は頷いて、教科書を取りに机に戻った。
えっと……公演は三時五十分からだっけ。
こんな日に限って、終学活が早く終わってしまって、三十分も暇になってしまった。先輩たちは、準備だから、誰も相手がいないし……。
私は、何となく、気の向くまま、使い慣れている中庭のベンチに座ってぼーっと空を眺めていた。
ここにいても、先輩の誰も、「よ」って言ってくれないと思うと、少し寂しかった。早くも、私は彼らに依存しつつあるんだけど……。
「基山 桃歌チャンだよね?」
「わあ!」
意識が半分飛びかけていたので、私はびっくりして大きな声を上げてしまった。
振り返ると、男の子が立っていた。
えっと……一年生、かなあ。
「……近くで見ると、やっぱりカワイイね」
彼は、ベンチに座る私にどんどん近寄ってきて、顔を近づけてきた。
思わずベンチから腰を上げて後ずさったけれど、彼は追い詰めてくる。
「えっと、あの……何か、用……?」
とりあえずそう聞くと、彼は高く笑った。
「あんな男共と意味もなく戯れあってる君が、よくそんなコト言えるよね」
私は、その言葉に完全にスイッチが切り替わって、彼をきっと見据えた。
先輩たちを……貶すことは、許さない。
「……何? 怒ってるの? 君もバカだよな、ちょっとカワイイから、アイツらの手の平で踊らされてるだけなのにさ」
バカにしたように、男の子は笑った。
手は、出しちゃいけないし、私みたいな非力なヤツが敵うはずがないけど……っ。
「僕が、君をどうにかしたら、アイツらはどうするかな……? 大事なお人形を、取り返しにくるのかな?」
この人……きっと知ってる。
あと五分で新入生歓迎公演が始まって、先輩たちが来られないこと。そして、ほとんどの生徒が帰路についているか、その公演に行っていて、この辺りに人気が残っていないこと。
私に近づいてくるだけだった彼が、私の左手首を強く掴んだ。
振り払おうとしたけれど、案の定、力負けしてしまう。
「や、やめて!」
ダメだ、ダメだよ。先輩たちに迷惑かけちゃいけない。
このケース、悪いのは私だもの。
どうにかしなくちゃいけないけれど。
彼は、私の左手首を掴んだまま、右手首もまとめて片手に掴んでしまった。
ど、どうしよう……。使えるのは、がくがく震える足だけ……。
……足?
相手が、優位に立っているつもりになっているうちに、早く……っ!
私は、どうにか、恐怖で震える足を真っ直ぐ伸ばして、右足を、すぐ目の前の彼の股間目指して振り上げた。
彼は、やっぱり予測していなかったみたいで、倒れこんだから、私は早くもない足を頑張って振って走った。
今は……四十八分! 体育館の人ごみに紛れれば、きっと……!
上履きが脱げそうになって、転びかけてるうちに、目的地がわかっていたみたいだから、男の子が追いかけてくる。
体育館を目の前にして、上履きを決死の思いで脱ぎ捨てて、片手に片足ずつ持って中に走りこんだ。
やっぱり、人で溢れていた。前の方に行ったら、睨まれそうだけど、我慢するしかない。
あんまり高くない身長を生かして、生徒の間をすり抜けて、なんとか人の多いところに隠れることができた。
人がいる中なら……大丈夫、きっと。
ばくばくしている鼓動を、息を押し殺しながら静めて、開演を待つ。
舞台袖の方から、何人か顔を出していて、その中に芳花先輩もいたような気がした。
音楽が始まって、上がる幕。自然と、湧き上がる歓声。
やっぱり、最初は、二年生と三年生全員、大体二十人くらいだろうか、で踊っていた。
目が、サキ先輩たちを探してしまうけど、サキ先輩はすぐに見つかった。三年生と合わせても、多分一番高いであろう身長と、あの輝く雰囲気。
入学式の時は、衣装はジャケットだったけれど、今回はカジュアルな感じだった。
ジャケットの時でも、あの四人は、すごくキャラクター性の出るアレンジがしてある衣装だったけれど、今回もなかなか絶妙な感じであった。
ほとんど黒一色だけれど、手っ取り早い「おしゃれ」ではない、本格的な何かを感じる、笹神先輩。
さすが、と言えるラフさの芳花先輩と、四人の中では一番幼い雰囲気の琴先輩は、パーカーで少しかわいらしい感じだった。
続いて、三年生のみの演目だったけれど、三年生の踊りも、さすがに上手かったし、私は彼らを批判することはできなかった。
二年生の四人に舞台が渡されたとき、体育館全体が、入学式のときの、あの驚きのような感嘆のようなものとは少し違う、でも待ち侘びた、という空気になった。
やっぱり、センターはサキ先輩。
今回は、革靴ではなくてスニーカーだったから、あの時よりはステップを踏みやすいだろうけど、それでも外見重視の衣装である。
華麗にキレのある動きを繰り返す。
四人の息は、さすがにぴったりだったし、お互いをフォローし合っているように見えた。彼らを知ってこそ、本当に楽しめる舞台だなあ、と思った。
公演が終わって、公演中忘れかけていたあの男の子のことを思い出して、辺りを警戒しながら体育館の中を移動していたら、出口で出際に振り返ったところで目が合ってしまった。
かなりすごい剣幕で睨まれて、私は、少し酷いことをしたかな、と思った。
だって……あんまり股間は蹴り上げると、ホントに危ないって、聞くから……。
とにもかくにも、怖い経験をさせたんだから、その代償とくらいは思って欲しいなぁ。
彼が出るまで、私はその場から動けなかったから、実質、体育館内に取り残されてしまって、慌てて外に出た。
体育館の前で、芳花先輩が待っていて、私を見るなりウィンクなんてしてきた。
「ありがとーな。……基山チャン、来たのギリギリだろ。何かあの咲哉殿下が心配しちゃってさー……アイツ、探しに行こうとしたんだぜ。ちゃんと、開演前に見つけたけどさ」
心配させてしまっていたのか。
何だか、ここまで当たり前のように逃げて来られたけど、あの時、あんな行動をできなかったら、どうなっていたかと思うと、怖くて怖くて仕方がない。
不安になって、芳花先輩の近くまで駆けて行ってその右手を両手で握ると、驚いた顔をして、
「おいおい、泣きそうな顔すんじゃねーよ。サキ呼んで来っから、ちょっと待ってろよ」
と言って、頭を軽く撫でてくれた。
さっきも、公演までの待ち時間にああやって……。
一人が、少し怖い。
自分の左手を右手で握り締めて、俯いて立っていると、誰かが私を抱き寄せてくれた。身をよじって顔を上げると、サキ先輩だった。
サキ先輩の顔で、舞台の上じゃなくて、すぐ側で見るその顔で、本当に不安と安心が一気に流れ込んできて、涙が溢れてきた。
「桃歌チャン……? 大丈夫だよ。ダイジョーブ。俺がここにいるから」
久しぶり……ううん、そんなことない。
つい最近、中学を卒業する時に、私はたくさん泣いたもの。
でも、ここ最近、ずっと先輩たちのおかけで笑えていたから、久しぶりのように感じる。
背中を撫でてくれる温かい手が、肩を抱いてくれる力強い腕が、私を見守ってくれる優しい瞳が、愛おしく感じられた。彼は、それから何も言わずに、三十分間もずっと私を抱き締めていてくれた。
「で、体育館に逃げてきたとね……」
帰り道、なんとか気持ちが治まった私は、先輩たちに事情を説明していた。
「ケータイは持ち歩いてるから、連絡してくれてよかったんだよー?」
「でもっ、公演が始まっちゃうからと思って……」
優しく笑いながらそう言ってくれる琴先輩に、ついつい反発してしまう。
すると、笹神先輩に、頭をこつんと小突かれた。
「ばか。お前が時間の前に来ないだけで、いてもたってもいられなくてリハどころじゃねーヤツがここにいんだよ。舞台の上から、チビを見つけられなかったら、絶対に何かしらミスするぞ」
そう言って、少し前を大股で歩くサキ先輩を指差す。
な、何か物凄くイライラしてませんか殿下……。
「……はい。――舞台の上から、背が高くない私を、見つけられるんですか?」
入学式のときも、思った。よく見えたなって。
私だって、他の人たちの頭で彼らがよく見えなかったのに。
「俺、見えたよ。ちらっとだけどね」
琴先輩が真っ先に元気よく手を挙げて答えてくれた。
「俺はわからん。舞台より下は見てない」
「サキはほぼ一瞬で見つけられるらしいよー?」
笹神先輩、芳花先輩と続いて、前の咲哉殿下も足を止めて、振り返ってこう言った。
「見えないハズねーだろ」
殿下、ちょっと機嫌悪いと言葉遣い悪くなられますよね……。
でも、そうか。
見えていなかったら、入学式、彼は私をその辺から適当に見繕って話しかけた……ナンパみたいなことをしてただけになるんだもの。
私、全然目立たないのにな。
眉を潜めてご立腹な殿下が、私を手招きしたので、隣まで行くと、私の右手を、左手で握り締めた。前につないだ時も思ったけれど、何だか、つなぎ始めが、不器用なのは……そういうことなんだろうか。
「あの……私、絶対、次から気をつけますから」
何でだか、自分が怒られてるような気分になったから、そう言ったら、サキ先輩は首を振って微笑んだ。
「桃歌チャンは悪くないってば。……その一年、見つけ出して、ボコらないと気が済まない」
笑顔で言わないでください……冗談じゃ、ないんですよね。
右手を握り締める、痛くないけれど強い力が、今はとても頼もしいと感じた。
「男子ヒップホップ部をよろしくねー! 初心者大歓迎! 男の子のマネージャーも大歓迎!」
あ、朝斗先輩だ。
放課後になって、今日はどうするのかな、なんて思いながら紗奈と雑談をしていたら、一年の教室の前まで、男子ヒップホップ部の先輩集団が来ていた。
「桃ちー桃ちー! 仮入期間だよぉ!」
若干遠巻きに見ていた女の子たちが、私に近寄ってくる琴先輩に、歓声を上げた。先輩はそんな子たちを見てにっこり笑って、手を振っていた。
あ、もう仮入部ができる……つまり、一年生が放課後に残れる、ということ。
どうしよう、そうなると、私は半強制的に、三年の先輩と対峙しなくちゃいけなくなる。
あぁ、心の準備ができてないよ……。
「チビ、ダイジョーブかお前。若干放心状態だぞ」
笹神先輩が、私の髪を気にしつつ適度にくしゃくしゃとしてくれた。そういうところが、ホントにお母さんらしいなぁ……。
私は、両手で握り拳を作って、笹神先輩の顔元まで突き出した。
「頑張ります!」
そう言うと、笹神先輩は笑って、「何が?」と言いつつ私の頭をぽんぽんと叩いた。
三年生の先輩が向こうへ行ってしまっても、笹神先輩たちは残ってくれていたので、私は急いでカバンをとりに戻った。
「とりあえず……いつもの桃歌チャンでいれば、大丈夫だよ。変な気は遣わない方がいいと思う」
サキ先輩にそう言われて、私はちょっと緊張してきた体をなんとか緩めようとした。
向かう先は、三年生の教室だった。
いつもは適当な場所で練習しているらしいけど、仮入部のために場所をとってあるとか。
中に入る先輩たちの後に続く。
「こんにちは」
彼らがそれぞれ、一応挨拶をしたところで、後ろから出てくると、中にいた三年生たちに物凄く視線を浴びせられた。
朝斗先輩だけ笑っていたけど、他の人の表情が怖くて泣きたくなったけれど、私は深く頭を下げて言った。
「一年C組、基山 桃歌です。よろしくお願いします!」
とりあえずは、これ、だよね……?
恐る恐る頭を上げたら、一人が笑い出した。きょとんとして彼を見つめると、彼は笑いながら言った。
「うん、まあ、知ってるけどな。……葉山 悠輔(はやま ゆうすけ)。よろしくぅ」
彼が自己紹介をしてくれたことで、場の空気がちょっと緩んだ。
元部長さん……とか、かな。
金髪だし着崩してるしで、チャラチャラな感じに見えるけど、悪い人では……ないのかも。
よく見たら、あの入学式の日……笹神先輩に話しかけてたダンス部の人と歩いていた人もいた。
「イジワルするほど暇じゃねーし、本人の顔見たらやる気なくなったわ。……ん、とりあえず部活動見学ってことで、いいんじゃないかい?」
集団の中の一人が、抑揚のない声でそう言った。
どうか、そういう感じで穏便にお願いします……。
ああそうだな、と葉山先輩が言うと、サキ先輩たちも荷物を置いて、彼らの方へ行ってしまった。
葉山先輩に手招きされたのでそちらに行くと、肩を抱かれてしまった。彼の脇腹の横に鎮座しているそのままの状態でいなきゃいけない流れだったけれど……。
三年生の「は?」って顔が怖いですすごく……っ!
あと、サキ先輩の視線が……ごめんなさい。
私は心の中で謝るしかなかった。だって、葉山先輩もちょっと怖かったから……。
「はーいはい、ウォームー」
手を叩いて進める。
端に立っている人はマネージャー、か。
というか、教室、狭そうだなぁ。ストレッチなんかをやっているけれど、足の長い男集団が、机を下げても教室の半分程度のスペースで、長座体前屈なんてできるはずがない。若干重なってる人とかやってない人とか前屈してる人とかになっていて、とても気になってしまう。
「狭いよね。しょーがないんだけどさ……」
その時、教室の扉が開いて、数人がぞろぞろと入ってきた。
「はい! 集めてきたよー!」
先頭の……三年生が、両手を振って元気よくそう叫んだ。
「おう。……ん、その辺座って見てていいよー」
そう葉山先輩が言うと、入ってきた先輩が一年生を座らせていたから、視線を滑らせていたら……。
あ、ああああ!! あの日の、あの人。
私を見るなり、挑戦的な目をしてきた。
な、何よ!
私もできる限り睨み返してやったら、ちょっと笑われて、余計腹が立った。
よく考えたら、私は今、葉山先輩に抱きかかえられてる訳なんだけども……。
それにしても、一年生は、いち、に……十人はいるかな。やっぱり、憧れるんだろうか。男の人の感覚はわからないから、なんとも言えないけれど……。
着々と基礎練習が進められていく中、私はあの男子が気になって気になって仕方なかった。あの交線の後、彼は何事もなかったかのように先輩たちを眺めていたから、私も気にしないようにしたかったのだけど……。
「桃ちー、どうした?」
休憩時間になって、琴先輩が声をかけてくれる。
あくまで自然に、不審に見えないように、彼があの日の人だと告げる。
「え、マジで……。どーしよ、今サキに言ったら部活どころじゃなくなっちゃうからなぁ」
頭をかきながらサキ先輩をちらっと見る。
せ、先輩、葉山先輩物凄く睨んでませんか……?
とりあえず、不機嫌そうな殿下をどうにかすべく近寄ると、急に腕を伸ばして抱き締められた。
「葉山先輩何かに触らせんなよ……」
「す、すいません……」
いつからそんな条約が……とは思ったけれど、もう、サキ先輩との色々な相互関係は固まりつつあるから、仕方ないかな、と思った。
やっぱり、こんな時だから、あの匂いはしない。
サキ先輩に近づく時、毎回気にしてしまう。一番、不思議で不思議で、気になるから。
「……やべ」
そう言って彼は私の体を解放した。
振り返ると、半分がにやけ顔、半分が睨みの三年と、やっちゃったな顔の二年。そして、何かすごく気まずそうな一年。
「……おい、サキ。お前、挑発乗ったな」
あ、あああ……私がいけないんだ……。
私は別にサキ先輩に手招きされた訳じゃないのに、申し訳なくなっちゃってそばに行ってしまったから。
どうしよう、どう弁解すればいいんだろう。
「桃歌チャン、そんな顔すんなって。俺は見てたからわかってんよ」
朝斗先輩がそう言ってくれるけど……。
葉山先輩はよくわからない笑みを浮かべているから、私はどうしたらいいのかさっぱりわからなかった。
「面白いねぇ。松岡がそこまで君を気に入ってるとは思わなかったよ」
そう言って声を立てて笑った。
「でも君、わかってんのか? 松岡のワガママに付き合う必要はないって……。自分の意思で行動できないマネジなんて、いらねぇんだケド」
急に真剣な顔になった葉山先輩に、少し気圧される。
大丈夫……冷静になって、私。
「ただ引きずられてるだけのお人形じゃないって、証明できる?」
咄嗟に頷く。ここで引いたら相手の思う通りだもの。
私は葉山先輩を見つめていた視線を左にずらして、あの男子を捉えた。
そして、近寄って行くと、その右頬を思いっきり殴ってやった。痛くないとは思うけれど、それなりの覚悟は持ってやった。
だから、彼もすごく驚いた顔をしていたし、教室内の空気は騒然としていた。
「この前ので、仕返し。今ので、二倍返し」
自分では出来る限り挑戦的な顔をしてみたつもりだけど、彼は、それを見るなり噴き出した。
「お前、何のためにあんなバカなことしたかなぁ。サキにバレたら大変なのによお」
「まさか、本気だと思ってますか? ……ちょっと試しただけですよ」
「基山チャンを泣かせたから、サキはブチギレてたぞー。……体は大事にしろよ」
「……まァ、覚悟はありますよ」
何だか私もちょっと腹が立ってきた。
じゅ、純粋な乙女の心を踏みにじりやがって……!
もう二倍返ししたから、私はこれ以上手は出さないけどっ。
サキ先輩、思う存分やっちゃってください……。
「気にすんな。一発で終わる」
いつの間にか教室から出てきていたサキ先輩は、彼の肩を掴むと、強く引いた。
そして、その右拳を握り締めて、私の殴ったのと逆の頬を殴った。思わず目をつぶってしまうほど、恐ろしく感じた。
少しの沈黙の後……ゆっくりと目を開けると、彼はサキ先輩に肩を抱かれていた。
「男が見苦しいぞ。……立て」
そう言うと、彼はきちんと立って、頭を下げた。
……あれ?
「ありがとうございます。申し訳ありませんでした。……僕は、木田 梢(きだ しょう)といいます。よろしくお願いします」
「俺にじゃなくて桃歌チャンに謝れ。……俺は、何ともないから」
そっぽを向いて、そう呟いたサキ先輩は、何だか雰囲気が違った。
どうしたのかな……。
「ごめんなさい。……ただ、用心した方がいいよ、本当に」
木田君は、私にも頭を下げて、マジメな顔でそう言った。
悪い人なんかじゃ、ないのかな……。
私は頷いて、さっきもう二倍返ししたからいいよ、と言った。
「ホント、アイツの言う通りだからな。ずっと一緒にいてあげられる訳じゃないから……特に学校の外では、気をつけてね」
今日は、優しく、しっかりと、私の右手を握ってくれる。
手を繋ぐ感覚って、麻痺してるけれど……私は、幸せなんだなあ。
「わかってます」
言うほど、わかっちゃいないけれど。
だって、自分自身に魅力なんて、これっぽっちも感じない。私が傷つけばサキ先輩が悲しむであろう。それだけ……。
「あんまり一人でいるなよ。何かあったら、すぐ電話。オーケー?」
頷くと、サキ先輩は満足そうに笑った。
振り返ると、いつものように先輩たちは、それぞれ空を見上げていたり、ケータイをいじっていたりしていた。
とにかく、気を強く持っていないと。ナメられたら、そこで終わりだもの。
……私なんて、典型的な力のない女子なんだけど、それだけはできる。
ただ、巻き込まれてるだけじゃ、だめなんだ――。
「でも、暴力はなるべくやめてくださいね」
彼の気が済まなくても、私の気が済まなくても、これだけは頼みたかった。
だって、何の意味もないことだもの。サキ先輩が、私を大事にしてくれるのはわかってる。だから、証明してくれなくてもいいし、私は我慢できる。
私のせいで、サキ先輩達の評判が悪くなるのは、絶対に避けたいことだった。これ以上……になってしまうけれど。
「なるべく気をつけるよ」
そう言うサキ先輩も、複雑そうだったから、やっぱり私が気をつけるのが一番の解決策だ。
「一年はあんまサキの恐ろしさがわかってないし、三年はまだ見くびってるし。……二年はまァ、どうだろうな……」
芳花先輩の言葉には、色々と複雑な意味を感じた。
木田君のこともあったし、と一瞬思ったけれど、そんな野暮な考えの私が嫌になった。彼は、悪い人なんかじゃ、なかったじゃないか。利己主義になって、彼の件で得た利益を考えちゃいけない。利己主義で生きている人間なんて、そんなの、得できなくて当たり前だ……。
「今は、桃歌チャンの意思を尊重したいと思ってるから」
私の目をちゃんと見て、優しく言ってくれるサキ先輩が嬉しかった。
私が、一体どうしたいのかは……まだ、わからないケド。
「しばらくは……プラトニックに、お願いします」
わざとわからないように変な言葉で表現してみたつもりだった。
サキ先輩は不思議そうに笑ったけど、芳花先輩はその後ろで噴き出していた。
ど、どうしてこうなるの……。
「サキ。『しばらくは』つってんだ。喜べや」
にやにやしながら小突く芳花先輩に対して、「うん?」とおかしそうに笑ったサキ先輩に、私も笑ってしまった。
春の陽気が、サキ先輩の、あの甘い香りを、引き立てていた。
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