Blossom

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 ノリノリのお母さんの押しでお父さんの許可もあっさり頂けてしまい、半ば強制的に男子ヒップホップ部のマネージャーになることが確定してしまった訳なのですが。
 今思うと、サキ先輩のとても上手いあの言い訳が、裏をかけば、マネージャーにさせるための戦略だったのかもしれないとまで思えるようになってしまった。
 ……彼のあまりにも強制的で完璧すぎる言動は、時たま恨めしくなるけれど、今は、最初に思ったような不満じみた感情じゃなくて、どこか嬉しさも入っているのだけど。
 とにもかくにも、今の私の方針は、彼らにいかに上手く巻き込まれるかを考えなくてはいけない、といったところだった。
 あぁ……私、流されてるなぁ。
 最初に体育館で、こんなことになるなんて考えもしなかった。というか、あの時は何がなんだかさっぱりわからなかったし、とにかくサキ先輩の色々な迫力に圧倒されてしまっていた。
 今思えば、あの時……サキ先輩も、どこか変だった気もする。
 思い出したとき、急にあの花のような匂いを思い出した。忘れてたけれど……あれ、体育館以来、一度も嗅いでいないんだ。
 どうしてだろう。
 昨日の放課後は手を繋いでいたから割とくっついていたし、昼休みだって隣にいた。
 そういう意味でもサキ先輩は……まだ、掴みどころが、ないかな。

「オハヨ。基山チャン」
 学校の最寄り駅のホームから階段を下りた時、少々高めの男の声に呼ばれて、私は心底びっくりしてしまった。
 階段の脇を見ると、明るい赤っぽい茶色の髪と、へらっとした笑みの彼。芳花 水瀬サンが堂々とそこにおわした。
「え、あ、おはようございます……?」
 どうして朝から、というか、一人で。
 頭の周りにハテナマークを浮かべていたのがさすがにわかったのか、彼は笑いを押し殺して言った。
「なんかね、朝、基山チャンについてけってさ。サキ様命令。……何で俺なんかねぇ」
 私が訊きたいですってば。
 四人と一緒より、一人と一緒の方が数十倍ドキドキしてしまうのは、不可抗力だと思う。
 いや、そう思いたい……。
 あの芳花先輩とはいえ、イケメン集団の一人である。
 すらっとしたシルエットと、垂れ気味の目と対照的な眉毛。物凄くマジメな顔をしていれば、物凄くかっこいいのだけれど……。
「ほら。オヒメサマはこちらへどーぞ」
 そう言ったからさり気なくも何ともなくなってしまうけれど、車道側を自ら歩く辺りは物凄く紳士だった。貼り付けたような笑顔は何を考えているのかわからないけど、思っていたよりは……マジメな人、なのかな。
「あの、芳花先輩」
 何だか、何ともなく無言でずっと歩いていて、気まずくなった訳でもなかったけれど、訊きたいことを思い出したのだった。
 彼は何も言わずに目で返事をして、その何気ない仕草に少しどきっとしてしまった。
「昨日、サキ先輩と笹神先輩が幼馴染って言ってましたよね。……私、先輩たちの話が聞きたいんです」
 不良グループみたいな集まりだったら、何となくどうして固まっているのかはわかるのだけれど。
 彼らは、マジメとは言えないとしても、不良ではなかったから。でも、ただの部活の友達と言うには、仲良し、いや信頼し合っているように見える。
「んー……。他のヤツらの話はさ、あんま他人が突っ込むことでもないと思うから、俺の話でも聞くか?」
 ちょっと真顔っぽい横顔越しの問いに、私はすぐさま頷く。
 そう……芳花先輩のことも、結構気になる。
「俺なぁ、最初、フツーに男子ヒップホップ部入るって決めてて、入ったんだけど。最初、サキのことが嫌いで嫌いで。あんな顔だけヤローみたいなの、どうせ、とか思ってたんだけどさ」
 何気ない口調で話し始めたことは、彼の過去の話だった。
 そっか、ちょうど、一年前。
「アイツのダンス見て、そんな考え捨てた。基山チャンも、何となく思ってるかもしんないけど、アイツさ、踊ってる時、全然雰囲気違うだろ? 俺、初めて見た時に、アレに圧倒されちまった。コイツには勝てねぇと思ったわさ」
 あの――輝かんばかりのオーラのことだろうか。
 確かに、サキ先輩は、ダンスの時は不思議と、一際輝いて見える。
「で、マジメにダンス教えてもらった。最初の頃はまだ敵対感も残ってたケド、今は全然かな。……サキがさ、俺ばっかり蹴ってくるのはさ、まぁ他にも色々理由はあるだろうけど、まあ小学生の友達付き合いみたいなモンだと俺は思ってるんだよ」
 まるで、私が訊いたからしぶしぶ喋った、という訳ではなくて、話したいから話しているかのように、芳花先輩は続けた。
 そうなんだ……一番、仲が悪いからとか、そういう訳には見えなかったけれど。
「あ、消去法ってのもあるかな。多分隼には昔から世話になってるし、琴はサキよりケッコーちっちゃいし、へにゃ男だから……」
 へにゃ男……? 聞き慣れない単語が物凄く気になったけれど、先輩たち四人の間には、友情とか信頼以外にも色々あるんだなぁ、と思った。
「基山チャンは、中学の時とかどーだったんだ?」
 ふと、話し続けていた芳花先輩が、私に尋ねてきた。
 私の……中学の話、か。
「どーもありませんでした。地元の中学校で、元小の友達と変わらずワイワイやって、ちょっとだけ友達も増えて、割とマジメに勉強して。……恋も、しなかった、し」
 どうしてか、気にしてないハズの、最後の一言が自分の中で反芻される。
 別に、別にどうってことは。
 周りが誰も恋愛の話をしなかったから。私に、誰も恋愛の話をしてくれなかったから。
 好きな人がいても、誰にも言えないから、それは好きにならなかっただけだもの。
「――じゃあ、キスしたコト、ないんだ」
 ぽつり、と彼は吐き出した。
 彼が何を考えていたのか、私がそれを聞いて何を思ったのか、何故か全然わからなくて。ただ、急に重くなった声が、耳に残って離れなくて、どうしても気になって仕方なくて。
 意味もワケもなく、二人沈黙に戻って、私は今度は気まずさを感じた。
 最後の一言、余計だったかな。そんな私の杞憂のような心配をかき消すように、学校が近づいてきた。
 サキ先輩たちは、先に来ているのかな。それとも、後から来るのかな。
 当然のように浮かび上がってくる何てことはない疑問に、何だか白々しさを感じてしまって。
 上履きに履き替えた後、私を待ってくれていた芳花先輩に、こう言ってしまった。
「キス、したコト、ありません」
 自分でも、わからなかった。
 どうしてさっきの言葉に答えなくちゃいけない気がしたのか、それが今だったのか。
 一瞬のうちに、誰にもわからないように、行われたそれが、どれほどの意味を持っていたのか。
 真っ赤になった私の頬を軽く撫でて、彼は笑った。先ほどからの不思議な感触を一掃するように、イタズラっぽく笑った。
「もーらい」
 私のファーストキスは、赤っぽい茶色の髪の人の、レモンの匂いの唇でした。

 お母さんに、笹神先輩がお昼作ってくれるから、と言ったら、何だかもう、笹神先輩大感激というか、もはや崇拝みたいな感じのことを言っていた。
 やっぱり、お母さん的には嬉しいのね……私がどうせ毎日作るワケないもの。
「桃歌ちゃん、やっぱり今日も先輩たちとお昼ご飯食べちゃう?」
 昼休みになって、四時間目の片付けをしていたら、紗奈が話しかけてくれた。
「うん、多分……。いつか、一緒に食べようね」
「あ、ううん。――桃歌ちゃんと一緒に食べるのはいいけど、先輩たちの中には私はさすがにいられないよ?」
 参ったように紗奈は笑ったけど、私は本当に申し訳ないなぁ、と思った。
 それでも、彼女にはたくさん友達がいるみたいだから、心の中で「後は頼む!」と言い残して、中庭へと向かった。

 学校の構造がまだよくわからなくて、ちょっと遠回りしてしまったけれど、何とか中庭に辿り着くことができた。
 しかし、そこにはお弁当を食べる千種先輩の姿しかなかった。
「千種先輩、こんにちは。……他の先輩たちは?」
「あ、あれ、桃ちー。サキと水瀬は、桃ちー呼びに行ったんだけど……隼は、わかんないや」
 入れ違ってしまった。
 とにもかくにも、こういう時はなるべく動かないのが一番かもしれない。きっと、教室に行けば、もう私が中庭に行ったって、紗奈とかが伝えてくれるだろう。
「ねぇ……水瀬が、何か変だったんだケド、朝何かあった?」
 いつの間にやら弁当箱を空にして、水筒を口にしながら千種先輩が小さな声で訊いた。
 う、バレてる……っ!
 千種先輩にバレて、笹神先輩にお見通しじゃない訳がない。笹神先輩の方は、ある程度考えていることがあるみたいだから、そうそう口を滑らせたりはしないだろうけれど……。
「えと、あー……。ヒミツ、です」
 こ、これじゃあだめかなぁ!?
 できる限りお願いするような心持でトップシークレットを主張してみたのだけれど……。
「…………」
 千種先輩は、それを見るなり、ちょっとびっくりしたような顔になって、顔を背けてしまった。
 え……、私、何かしたかな。
 逆にこれ以上言及されない方が怖い。水瀬先輩とサキ先輩が帰ってこないのも、余計怖い……。
「琴吹、お前何変な顔してんだ」
 低く響く、だけど透き通ったあの声。笹神先輩だ。
 右手にペットボトルを持って、左手にあの包み。
「へ!? あーいやいやいやいや……まぁ、チョットネ」
 何故か千種先輩の方が挙動不審になっていて、私は首を傾げた。
 まあ、そのお陰で隠し事をしている事が笹神先輩にもバレなかったようだけれど……。
「つか、サキと水瀬は帰ってないのか。チビは先に来ちまったみたいだしな」
 そう溜息混じりに言って、中庭のベンチに包みとペットボトルを置いた。
「何、してるんでしょうね……」
 先ほどの不安がやっぱりぶり返してきてしまって、ついつい訊いてしまった。
「……お前、」
 だから、笹神先輩にも感づかれてしまったかもしれない。
 別に、後ろめたいことではないかもしれないけれど。私は、芳花先輩の、敵にはなりたくないから。
「へい! あーやっぱり基山チャンもう来てたよ」
 という、私の心配をヨソに、芳花先輩が何事もなく中庭に現れた。
 そして、その後ろから、いつもどおりの笑顔のサキ先輩。
「桃歌チャン。はい」
 サキ先輩が近づいてきて、私に渡したのは。
「あれ? これ私のケータイですよね」
「うん」
 ポケット、入れてたはずなんだけどな。確かに入れてたはずのポケットは空だった。
「サキが拾ったんだけど、何かな、フォルダの」
「水瀬」
 へ、な、なんか見られたかなぁ。
 そんな、何にも入ってないはずだけれど。
 サキ先輩の、芳花先輩を制する声は、ちょっと怒ってるような感じでもあったけれど、でも、その表情を見て安心した。
 先輩、照れてる……?
「写真フォルダの、男の子とのツーショットに妬いちゃったんだヨ」
 芳花先輩がさっと私の横に来て耳打ちしてくれた。
 あ……あれで。
 サキ先輩は、平静を装ってあちらを向いて鼻歌なんて歌っている。……十分変ですって。
「あの……あれ、幼馴染だった子なんですけど……」
 そう。今はもう、近所には住んでいない。
 高校進学と共に引っ越すと言うから、ノリもあったし、頼まれたので一緒に写真を撮った。
 私にとっては、ただそれだけの思い出だったのだけれど。
「あ!? うん。うん……」
 せ、先輩、変ですってば。
 どうしようかな……。
「基山チャン、ケータイ貸ーして」
 芳花先輩に半分ひったくられる形でケータイを取り上げられて、急に彼にサキ先輩の方に体を押された。
「は!? おい、水瀬!」
 サキ先輩に受け止められた、という感触の次に、シャッター音。
「うん。……咲哉殿下、これで満足だろ」
 私には確実に見えないように私の頭の上で、芳花先輩は私のケータイをサキ先輩に見せた。
「へ? あ、あの!」
 サキ先輩に後ろから抱きとめられる体勢になっていたから、サキ先輩の顔が見えなかったのだけれど。
 必死の努力の結果、視界に入った彼は、何だか素晴らしい、いや逆に怖くなるほどの笑顔を浮かべていた……。
 と思ったら。一度体を離されて、正面から抱きしめられた。
 ――あ、あの匂い。お花の匂い。綺麗なお姉さんみたいな、可憐な匂い。
 サキ先輩が、何か言ったみたいだったけれど。
 私の頭は、思いっきり彼の胸に押し付けられていたから、全然聞こえなかった。
「はいはい。サキ、ほどほどにしとかないと、コイツ、機能停止しちまうぞ」
 力強い腕によって、サキ先輩の体から引き剥がされる。
 あ、あはは、何だか、確かにすごくクラクラする。
「酸欠だよ」
 笹神先輩の冷静なツッコミが面白く感じられる程に私も何だかおかしくなってしまったようだった。
「ほい。俺らのアドレスとか、登録しといた」
 そう言って芳花先輩から返された、私のケータイ。
 開いたら――
「ちょ、あのっ!」
 天国にいるようなフワフワとした気分だったのに、急に現実に戻されたようで、泣きたくなった。

 その後、サキ先輩は何か……言葉にできないほどに不思議な言動ばかりしていた。
「サキ、あんまり機嫌良くなるとああいう感じになっちまうんだよ……」
 お、王様って、色々な意味で難しいのね。
 何だか、意外と単純な彼を見ていると、芳花先輩とキスしてしまった事が、本当に後ろめたくなってきた。
 でも、代わりにしてあげられる程の勇気なんて私にある訳ない……。せめて、オブラートに包んで事実を告げることができるのやら。
「あの、さっきサキ先輩、何て言ってたんですか?」
 本人に聞こえないように小声で笹神先輩に尋ねたけれど、「……聞かなかったことにした方がいいようなコト」としか言われなかった。
 一体何だったんだろう。
 今日は昨日ほど窓からの野次馬はいなかったし、多分野次馬の人が聞こえるほど大声で言っていたら、私も聞こえるだろう。
 それにしても、何だかサキ先輩の暴走で、私の立場がもっと危うくなってきたけれど、大丈夫なんだろうか……。
「はー……サキってこーゆートコ子供だよなぁ……」
 芳花先輩が面白そうに呟く。
 先ほどから何かのリズムに乗せて体を揺らして完全に自分の世界に浸っている。目が合うと、どきっとするほどに熱い視線を向けてきたと思ったら、子供みたいににこっと笑ったり。
 無事に元の待ち受け画面――結構気に入っているウサギの写真、に戻ったケータイを開いて、先輩たちのアドレスを見る。人のアドレス見るのって、結構楽しい。
 アドレスって、作ったときのノリですごく意味わからない内容になっていたりするから、自分で見直すと面白いものだけれど……。
 やっぱりよくはわからない!!
「ん? アドレス見てんのか? 俺のは、『六月の王子』ってことな!」
「このjuin……が六月ですか?」
「ジュアンね。フランス語。フランス語なんてサッパリだけど、juneって書いてもかっこよくないからな」
 異国語をアドレスに混ぜている人は多いなぁ。わかりにくいけれど、確かにかっこいいとは思う。
「あ、なぁ、サキってさ、花の匂いするだろ」
「え、そ、そうですね……?」
「アレな、サキの家の匂い。……つーか、サキのねーちゃんたちの匂い……うーん、家全体あんな感じなんだけど」
 ねーちゃん……お姉さんがいたんだ!
 家全体がああいう匂いって、どういうことだろう。
「そう、花屋」
 芳花先輩には珍しく私の先取りをして、にや、と笑った。
 お花屋さん。
 咲哉、という少し綺麗な感じの名前が、合っているなぁと思った。
「サキのねーちゃん、香水作ってるらしいから、それの匂いだと踏んでるんだケド……香水とは、ちょっと違うんだよなあ。あれが体臭だったらどうするよ」
 す、素敵だとは思うけれど……。あの匂いは、キンモクセイの匂いにも似ているけれど、もっと華やかな感じもするし、もっと清楚な感じもする。
 と言っても、二度しか嗅いだことはないのだけど……。
「でもさ、気づいてるかもしれないけど、匂う時と匂わない時があるんだよな」
「やっぱりそうなんですか。私……体育館での時と、さっきしか嗅いでないんですけど」
 そう言うと、芳花先輩は、うーんと唸った。
「機嫌なのかなー。新歓の発表の後は確実に浮かれてたし、今は、言わずもがな」
 機嫌で香る人間というのも、よく考えてみたら不思議なものだった。
 サキ先輩って、不思議なことが多いなぁ。実は、本人とまだそんなに話せていないから、謎のままなのかもしれないけれど。
「チビ、もういいか? そろそろ片付ける」
「あ、はい、あとちょっとだけ!」
 笹神先輩のハンバーグは、やっぱり物凄くおいしかった。

「桃歌ちゃん、桃歌ちゃん!! 松岡、先輩!」
 終学活が終わって、今日はどうしたものかと考えていたら、紗奈が私の腕を掴んで廊下まで引きずり出した。
 正常に戻ったように見えるサキ先輩が、壁にもたれかかっていた。
「ありがと。――桃歌チャン、帰るぞ」
 よかった。確実に正常に戻ってる。
 それにしても、写真を撮っただけなのに、どうして、あんなことになってしまったんだろう。
「先輩、昼休みの時……」
「あ、それ謝ろうと思ってたんだけど……。ゴメン、ちょっと俺、調子乗りすぎた。いきなりああいうの、普通困るよな……」
 実際物凄く嬉しかったものの、困ったけれど、がっくりとうなだれて自己嫌悪に陥る先輩に止めを刺すことなんて無理だった。
「その、写真に妬いたのは、ホントなんだけど……。何か、水瀬の撮った写真見たら、急に嬉しくなって」
 そんな風に言う先輩が、ちょっとかわいらしくて、私は笑ってしまった。
「大丈夫です。……ちょっとは、慣れました」
 ホントは、全然慣れてないつもりだけど。でも、慣れた方だとは思う。
 あそこで卒倒しなかっただけ、私はよくやったもの。
 芳花先輩とやらかしてしまった事実は、多分私から告げるのが一番だろうけれど、このタイミングは明らかに空気違いだから、言える訳なかった。
 二人きりであの話はしたいんだけどな。後で、メールすればいいかなぁ。
「入部届出せるまでまだまだだけど、三年の先輩と、今日は帰るから」
 昨日と同じように、余裕な態度になったサキ先輩を見て、なんだか安心した。
 味方と言っていたあの人だろうか。
 一体どういう繋がりがあるのか気になるところではあった。多分、いい人なのではあろうけれど。

「そりゃ見てたから顔はちらっと見たよ。でも、お前が、カワイイとか思っちゃうような仕草をするような子には見えなかったけどなー」
「その話はもういいよ……。ともかく、サキの太鼓判付きだかんな」
 あら?
 あの声は、千種先輩。
 そして、あそこにいるのは、千種先輩と、誰だろう。
「ん、あれが先輩」
 染めてない、自然なこげ茶色が、なんだか目に新鮮だった。
 その頭が、こちら側を向いたとき、何だか物凄い既視感を覚えた。
 あれ、アレ……?
 ふ、と隣の千種先輩に視線を移して、気がついた。
 に、似てる!?
「んあ、ウワサの桃歌チャンだ。おいっす、俺、コイツの兄貴。朝斗っつーんで、ヨロシク」
 そう言って、千種先輩を小突く。
 兄弟なんていたんだ……。
 そりゃあ、別の人間だから、それなりの違いはあれど、並んでいれば「似てる!」と言えるほどに似通った顔立ちをしていた。
 となると、勿論、かっこいい訳で。
「ウチの兄貴、似てるでしょ。よく言われる」
 苦笑いしながら、千種……朝斗先輩に小突き返した琴先輩が、急に子供っぽく見えて、ちょっと面白くなった。
 朝斗先輩が、琴先輩の攻撃を回避して、私の元へと歩み寄ってくる。私の隣に立っている、サキ先輩が、少し身構えたのがわかった。
「うん、確かにカワイイ。ソックリ兄弟見たくらいで、こんなどんぐり眼なる女の子、そうそういねぇな」
 数十センチ低いところにある私の顔を覗き込んで、笑いながらそう言った。
「えと、えーと……ありがとうございます?」
 とりあえず感謝しておくと、また笑った。
 声は違う風に聞こえるのに、笑い方は、似てるんだなぁ。
「朝斗先輩、あんまりからかってやらないでください」
 ちょっと低いトーンでサキ先輩が言うから、はいはい、と朝斗先輩は身を引いた。
「んでまあ、顔は余裕でパスだな。……あとは?」
 彼が笑顔のまま尋ねたが、私はどうすればいいのかわからない。
 何だかちょっと気まずい空気が流れる。
「おい、チビ、特技とかないのか」
 押し殺したような笹神先輩の声に、私は焦った。
 ……ない!
「桃ちーの弁当、うまかったけど、隼がいるからナ……」
 うーん、と琴先輩が腕を組む。
「じゃーさ、桃歌チャン」
 朝斗先輩が、にやりと笑った。そして、私に耳打ちした。
 何を企んでいるんだ、この人は。
「ちょっとさ、俺にだけ聞こえるように、ここにいるヤツらの長所言っていってよ」
 長所……?
 私を試しているかのようなその表情に、ごくりと唾を飲み込んだ。
「じゃ、まず松岡」
 さ、最初に王様来てしまいますか。
「え、えっと。まず、私にすごく優しくしてくれて……話もちゃんと聞いてくれて、お母さんにもすごく丁寧に挨拶してくれて、変なことしても後で謝ってくれて」
 ちょっとしたパニックになって、とにかく昨日と今日の出来事をひとつずつ思い出していく。
「あの、私を巻き込んでしまったことに、責任を持ってくれてます」
 これが、一番大きいんじゃないかなって、そう思うんだ。
 そこまで言うと、朝斗先輩はいきなり大きな声で笑い出した。
「はははっ! ……桃歌チャン、負けたわ。――松岡、オマエ愛されてんな」
 そう言って、自分より高い、サキ先輩の頭を叩いた。
 サキ先輩は、少しの間きょとんとしていたけど、案の定、何だか物凄く嬉しそうに笑った。
「チビ、何言ったんだ」
「え、昨日と今日の出来事と……、私を巻き込んでしまったことに、責任を持ってくれてるって言っただけなんですけど」
 サキ先輩に聞こえないように、笹神先輩に告げると、彼はああー、と声を漏らした。
「お前、『カッコイイ』とか一言も口にしなかっただろ。上手く言ったもんだ」
 そういえば。
 それって、重要なことだったのだろうか。
 私としては、外見なんてものは、長所のうちに入るかと言ったら、微妙なものだと思っているのだけれど……。
「男子ヒップホップ部のマネージャーなんて希望するヤツに、顔目当てじゃねぇヤツなんてそうそういねぇよ」
 不満げな私に、笹神先輩はそう言って私の頭を軽く叩いた。
 そっか……そうだもんね。
 私は、そりゃあ、彼らと一緒にいられることになって嬉しいけれど。今の今まで、私はほとんど自発的に動いていないもの。
 こう言っては何だけれど、マネージャーは自分から希望した訳ではないし。
「大丈夫だ。お前は、俺らと敵対している三年だからと言って、態度が悪くなったりする人間じゃないだろう? それが、後々、良い方向に向かうだろうよ」
 それは、身構えてしまっても仕方がないと思うけれど、態度を悪くするのはお門違いと言うか、馬鹿らしいことだろう。なぜなら、敵対しているままよりも、懇親を深めた方が、得になるはずだから。
 そう考えるのが普通だと思うのだけれど……違ったのかな?
「あの、ありがとうございます」
 一応、お礼は言っておいた方がいいかなあ。
 朝斗先輩の仲介がなければ、私がマネージャーになることなんてできないだろう。
 彼は、言葉もなしに、手で返事をして、口角を上げた。
 その様子を見ていたサキ先輩が、ふと、私の肩にそっと手を置いた。
「ちょっと、桃歌チャン、いいか」
「あ、はい」
 何か、みんなの前では言えないような話だろうか。私も、彼に隠してちゃいけないことがあるもの。
 中庭の隅っこまで連れられて、サキ先輩は足を止めた。
「今朝、水瀬と……何の話をした?」
「……!」
 いきなり核心に迫られて、私は内心物凄く焦った。
 話、ということだから、とりあえず冷静に、昨日の放課後の会話を聞いていたところから説明したのだけれど……。
「それって……本当なのか?」
「自分では、そう思って、マシタ」
『恋もしなかったし』。
 でも、そんなことを言ったのは、一種の強がりでもあった。
 だって、ひとつも実っていないんだもの。
「じゃあ」
 デジャヴ。
 同じような瞳を、今朝、芳花先輩に向けられた。
「じゃあ、水瀬とキスしたんだ」
「……っ」
 無表情な声が、私の罪悪感をかき立てた。
 当然かのように、彼は、自分に言い聞かせるようにしっかりと言った。
 どうして……どうして?
「水瀬……、アレはアイツなりの気遣いなのかもしれないけど。――恋してない女の子の、ファーストキス、よく奪ってんだ」
 ここに来て、昨日の、三年ダンス部の先輩の言葉を思い出す。
 芳花先輩は、頼めばキスしてくれるって、言っていた。
「桃歌チャンは、酷いと、思わなかっただろ? だから、よくわからない」
 小さく、自分に答えるかのように頷いて、彼の顔を思い出す。
 どうしてなんだろう。
「でも、サ。俺は許さないよ」
 そう言って、顔を上げた私の肩を引き寄せた。身長差がかなりあるから、そのままじゃあ、密接していても顔は近くに来ないけれど。
 あの花の匂いは、全然しなかった。
「桃歌チャンが、水瀬を蹴るなって、そういう顔してたカラ」
 サキ先輩は、私の肩を抱いて、頭を撫でる。
「代わり、な。俺、悔しいんだよ」
 それだけ、短く急ぎ足で言って、私の頬に手を添えて唇を重ねた。
 少しだけ、少しだけのひととき。
 その瞬間に、あの花の匂いが戻ってきた。
 甘い香りに瞳を閉じると、サキ先輩が、私の瞼をなぞった。目を開けて、と言っているように。
 ゆっくりと目を開けると、彼の透き通った、綺麗な瞳がまず目に入って。少し赤い頬に、やっぱり照れたように寄せられた眉と緩んだ口端が、何故だか、嬉しくなった。
 彼は今一度、私の頬に唇を落とすと、私の頭を胸に埋めさせた。昼休みみたいに、変な調子じゃなくて、優しく、ゆっくりと。
 彼の左胸に当たる耳が、その鼓動を拾い集めた。まるで、自分のものかのように、強く聞こえる。それは、私のそれとほとんど同じ速さで動いていたから。
「俺、」
 私に聞こえるように、耳元に落とされた声が、
「桃歌チャンのこと、大好きだからな」
 くすぐったくて、甘くて、嘘みたいで、夢みたいで。
 夢だったら覚めないでいい。それでも、夢じゃない。温かい胸に包まれていることが、それを教えてくれている。

「何でこのタイミングだったんだろうね」
「……さ、さァ……? (あー怖ぇ。基山チャンパワーでとばっちりなくならないかな……)
「サキは、今は落ち着いてるから、大丈夫……と信じたいな」
「あそこの二人、ラブラブなんね〜」


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