Argento - ep.04「不穏なモノ - encounter」
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 ワンダと二人で歩く町の中は、恐ろしく静かだった。
 何となく気まずい沈黙の中、隣のワンダを盗み見る。
 太陽が非常に似合う、ハイラと違って明るい草色の髪ごしに見える、黄金色の瞳。
 初めて話したときからずっと、この二つの対比がとても綺麗だと思っていた。
 サクサクと芝の音だけが響く中で、私はじっと彼を見つめていた。
「……なーに?」
 急にワンダは横に振り返って私に笑いかけた。
 予想していなかったわけではないけれど、ビックリして肩を震わせてしまい、なんだか恥ずかしくなってくる。
「あ、えっと、ごめんなさい。……ワンダの髪と目の色が、綺麗だと思って」
 何でもないって言えなかった。そんなことばっかり考えていたから。
「……ありがとう?」
 キョトンとした顔で答えた彼は、ほどなくして再度、明るい笑みを浮かべた。
「初めて言われた。ウチの家系、みんなこの色だよ。あ、兄さんはちょっと母さんに似てるから……って、そんな話、いっか」
 彼の呆れた自嘲に、首を横に振る。ワンダはおしゃべりだけど、私にとってはそれは嬉しいこと。信用されている気がするから。
「ワンダの家って……やっぱりお金持ちだったりするの?」
 風の神子、と呼ばれるのは、彼の魔術故ではない。そもそも彼の魔術が彼の家柄に拠っているわけだし。
「ん〜。ちょっと方向性は違うけど、現代じゃ神官系の家も魔術の名門の家と同じ扱いみたいだからね、財産はいっぱいあるけどお金はないよ」
 財産、つまり値打ちのある物や情報、はたまた、人物。
 そういえば、今彼は兄がいると言っていなかったか……?
「ワンダが、跡取り……なの? お兄さんは」
「兄さんは、家の血が薄くて、風とあんまり仲良くできなかったんだ。だから、僕が、って、ずっと前から決まってる」
 ワンダは、遠くを見るように、彼らしくない落ち着いた低いトーンで話してくれた。
 私には、わからないけれど、きっと彼には複雑な感情があるのだろう。きちんとした家に生まれた、責任とか。
「……そうなの」
 まだ、全然彼のことを知らない。ハルクやアイン、はたまたユーリアのことだって。私には、他人の事情に踏み込む勇気がなかった。
「でも、僕だって風のことは大好きだし、学校にいる間は楽で楽しいよ。イールみたいな子とも会えたし」
 屈託のない笑顔に、どう返せばいいのかわからなかった。
 彼の私に対する態度が、何を意図しているのか、はかり知ろうともする勇気がなかったから。
 また何とも言えない沈黙に包まれて、私は前方遠くを見た。そこには、久しく見ていなかった木の小屋が佇んでいて、私は咄嗟にワンダと顔を合わせた。新しくはないが綺麗な小屋で、外から生活感は感じられない。
 とにもかくにもワンダが扉をノックしたが、何も反応がなかった。二度、三度とノックを繰り返す。
 諦めようかというとき、扉が開いた。
「あの……何か、御用ですか」
 中年の、少し幸薄そうな、細身の女性が出てきた。不自然に旅人の格好をした彼女は、ワンダを見上げておずおずと問うた。
「この町の宿屋で昨晩、商人の男性が殺害されたのですが、何か知っていませんか?」
 安心はされていないから、優しく丁寧に尋ねると、彼女は目を見開いてうつむいた。
「……もしかして。いえ……」
 ぶつぶつと一人呟いた後、眉をひそめて扉の取っ手に手をかけた。
「知りませんわ。物騒ですので、これで」
 半分家に入っていたワンダを追い出して、無理矢理に扉を閉められる。
 数秒間唖然とした後、私たちは顔を見合わせた。
「どう考えても何か知ってるよね」
「私、彼女が待ち合わせしていた人だと思うわ」
 旅人の格好は、今すぐにでも出かけられるような支度までしてある感じだった。
「もう一度、話を聞いてみよう」
 強めに再度ノックをすると、今度は一度目で扉が開けられた。
「お帰りください……っ」
「僕たち、シャルドネの魔術学校から来た者です。事件を解決しに。何か知っていることがあったら、何でもいいので教えてくださいませんか?」
 どうしてだか、少しヒステリックになっている彼女に、ワンダが優しく微笑みかけると、彼女は少しうつむいた後、身を引いた。
「……中へ、どうぞ」
 言われて入った小屋の中は、机一つと椅子以外には、何もなかった。
 すすめられた椅子に腰かけ、目線を合わせようとしない彼女を見据える。
「私は、彼の妻です……」
 呟くような、か細く震える声だった。
 殺害された、と何の考えもなしに言ってしまったことを後悔する。
「……すいません、彼は殺されてしまったかどうかは……」
「いえ、いいんです」
 遮った彼女は、やはり何か知っていて、わかっているようだった。
「私は今日、彼とここで会う約束でした。私も商売をやっていて、定住している場所はありません。この小屋は、旅人たちの休憩に使う小屋だそうです」
 やはり目線を合わせようとしないが、時折申し訳なさそうにこちらをちらちらと見てくる。
「主人が狙われた理由はわかっています。ですが……。多くを話せば、あなた達が狙われます。私からは、言えません。あなた達が何も動かなくても、事は変わりません」
 一度目に断った理由は、そういうことだった。
 彼女は弱々しい声ながらに、意志を感じさせて、私は口をつぐむしかなかった。
「僕たちはあと五人でここに来ています。魔術学校で一番の実力者もいます。僕たちを信じることはできませんか?」
 そう、だ。その辺の大人の旅人のパーティには決して劣らないほどの実力者揃いのメンバーでやって来ている。何も恐れることはないはずだ。
「……無理です! あなた達みたいな子供じゃ何もできない相手なのよ……。もう話すことはありません、早くここから離れなさい!」
 大きく首を振って、また少しヒステリックになってしまった彼女に小屋を追い出されて、私たちは呆けるしかなかった。
「彼女が犯人を知っていることは確かだ。……そして、敵に見張られている可能性も高い」
 私は頷く。小屋の中ですら話そうとせずに、わざわざ中に入れたのに何の話もせずに追い出された。
 ……危険だ、という忠告以外には。


 魔術通信も、距離を跳躍する点で、かなり高度な魔術だ。
 私は生まれつき自然魔術以外が恐ろしく使えないから、もってのほかだとしても、ワンダにも無理な話だ。
 メンバーで使えるのがわかっているのは、ユーリアとハイラ。
 といっても、魔力拡散している今では、魔術通信は使えないのだが。
 決められた集合場所には、まだ誰も来ていないだろう。とにかく走って誰かを見つけるしかなかった。
 教えて……私の仲間は、今どこにいるの?
 幸い森のように自然の多い場所だから、木々に助けてもらえる。木々のささやかな声に耳を傾け、走る。
 ワンダの風のおかげで、本当に身体が軽く、速く走ることができる。
 そのとき、辺りの魔力が変わった。魔力拡散が、元に戻ったのだった。それと同時に、おぞましい魔力を感じ、思わず立ち止まった。
 木々も、不安そうに佇んでいた。


「さて、出てくるなら出てくれば? 僕はやることはやったのでね」
 魔力拡散の状況下でも、わからないはずがない。
 背後の木の向こうの人物に、視線を向ける。
 実際のところ、二人でここにいた方が安全とも考えられた。しかし、イールは敵に気がついていなかったから、適当に理由をつけて逃がした。
 彼女は魔術に優れていても、実戦は心配だった。手強い相手なら尚更、身体的には劣っている少女を前に置いておくことはできない。
 木の向こうから出てきた姿は、いかにも、といった黒ずくめの格好の、体格からして、男。魔術で姿を隠していたのだろうが、風のかすかな動きで、生命体の存在くらいはわかる。
 敵は何も言わずに、低い姿勢を保っている。
 こちらは、火力の高い一撃を放つことは得意とはしない。風を自由に操れるということも、隠しておいた方が立ち回りやすい。
 敵は武器を出していない。どこから来てもいいように、360度に警戒する。
 にらみ合いが続き、息を一つついた瞬間。
 光のような速さで目の前に迫った刃を、反射的に風の刃で受け止め、流す。流す軌跡が風の力を受けて、相手の体勢を崩すが、柔軟にすぐ立ち直られる。
 素早い太刀筋を受け止めきるのには限界がある。手元の風を掴んで、二、三歩下がって距離をとった。
「集風、薙ぎ風」
 申し訳程度の詠唱だが、自分にはこれで十分すぎるほどだ。
 次の一閃を構える敵を薙ぎ払う強い風が吹く。
 しかし、相手も直撃は逃れようと、魔術の盾を生成する。
 自然魔術ではないのは確実だが、魔力拡散の影響もあって、その特性まではわからなかった。
 相手を一つ睨み付けて、距離をとる。
 こちらは身体を動かすこと以外ではあまり消耗しないから良いが、このままでは埒があかなかった。
 抑えていた魔力を少しずつ身体の外側に放出していく。
 自然と風が巻き起こって、身体を包み込み、敵を牽制する。
 敵は……かなり、慎重になっている。
 こちらも相手の実力がわからない中、本気を出しきるわけにはいかない、が……。
「ん……?」
 魔力拡散が、解除された……?
 相手もはっとして、身を引いてしばし動きを止める。
 相手も動揺しているようだから、敵側の仕業ではないのだろう。もしかしたら、味方の誰かがやったことかもしれない。
 そう考えているうちに、男は風属性の転移を使って姿を消してしまった。
 とりあえずの目的は、すぐそこの小屋の中にいる婦人を守ることだったから、魔力放出をやめて、息をつく。
 イールが心配だが、ここを離れるわけにはいかない。しばらくは彼女と自分の授けた風を信じるしかないだろう。
 敵は一人じゃない可能性が高いように思う。確実にひとつを足止めするか、仕留めたいところだが、動きすぎるのも危険だ。
 小屋にもたれかかって、瞼を落とす。感じるようになった辺りの風の動きは、恐ろしく静かだった。


 魔力拡散が解除されて、しばし立ち止まった後、私はまた木々の導く方へと走っていた。
 しかし、決してそれが正しいとも断言できなかった。
 ふと目前の空に、灰色の煙が上がっていた。味方の狼煙かどうかはわからないけれど、確かにその場所に何かはある。実際、木々が導くのもその方向だった。
 傷がまだ少し痛む足を踏み出して、力の限り走る。
 昔は自然の中で遊んでいたから今より体力はあったけれど、学校に入ってからぐんと落ちたように思う。
 ワンダの風に助けてもらいながらも息の切れて軋みだした気管を呪った。
 目の前が霞んで見えるほどに走り続けて、何か物音と人の声を聞いた。
 私は慎重になるべきだと判断して、ゆっくり静かに歩を進める。
 木の枝の軋む音、そして、大きな声を張っているのは――ユーリアのように聞こえる。
 急ぐ気持ちを少し落ち着けて、木の影に隠れながら音源に近づいていく。
 木の隙間からやっと開けたところと人影が見えたときには、前方の木々はもはや木々ではなかった。
 木に魔力を注いで自律して動けるようにした、ウッドゴーレムとでもいうのだろうか。たくさんのそれが人影を囲んで襲いかかっていた。
 多分、人影はユーリアたち三人のものだろう。ここまで来れば確かにユーリアの声だと認識できる。
 私は様子をうかがいながら、どうするべきか考えた。恐らく、この木の化け物にも、自然魔術の呼びかけが効くだろう。そう考えると、この場を収めるのに一番有利なのは私だ。
 唾をひとつ飲み込んで、決心する。幸い、ワンダの風もまだついてきてくれている。
 走り込んでいき、木々の隙間から転がり出た私は、ユーリアたちの驚くのを聞かずに、集中を始める。
「大地の子らよ、我が魔力を証として我に従え!」
 結構に広域にわたる魔力制御。こういう場合、意味もなく魔力を吸いとられていくことは知れている。
 ガツン、と殴られたような錯覚を覚える頭の重さが、自分には重すぎることをしたと思い知らせる。
 身体から力が抜けるのを感じながら、やっとのことで辺りを見渡す余裕ができた。
 足元が崩れて肩が地につく頃には、木々は元通りになっていた。
「イール!」
 ユーリアの声がしても、振り返る元気が今はなかった。
 横たわったまま、彼女が私の頭に触れるまで、ただぼうっとしている他なかった。
「……ホント、無理するよね。助けてくれたことは感謝するけどさ」
 アインの呆れたような言い種に、私も笑いたかった。しかし、やはり魔力の落ちた身体には力が入らなかった。
 昨日と同じように簡単な魔法陣で魔力を分けてくれたから、私は大分楽になった。
「イールさん……大丈夫ですか」
 ハイラが本当に心配そうに覗いてきたから、私は笑顔でうなずいた。
「多分、コーネリアちゃんならもっと魔力供給できると思う。とりあえずは安全とも言えないけど、俺が……」
 アインが私の方へ伸ばした腕を、ユーリアが素早く払った。
「私がイールを背負うわ。……あなたは軽いから大丈夫よ」
 私にはそう言って笑いかけて、しかし彼女のアインに対する瞳は恐ろしさを感じさせた。
「弱るな。ここまで信用されてないとなると」
 苦笑しながら言うアインの言葉の意味が、私にはよく理解できなかった。


 相手はよほど慎重さに欠けているのか、俺が剣を抜いた途端気配を隠すことをやめた。
 しかし、それを笑い飛ばせるような余裕はなかった。何故なら、感じる気配は、非常に重々しく、簡単な相手ではないと示唆していたからだ。
 背中合わせに立ったコーネリアの方を気にしながら、相手の出方をうかがう。ここまできたのなら、今すぐにでも姿を現すだろう。
 風が木々を揺らす音と、二人の息づかいだけが静かに聞こえる。音は周囲を察知するのにかなり頼りになる。
 その影が姿を現した瞬間、俺はコーネリアを突き飛ばして、自分もそのまま受け身をとった。
 断りなく女性を突き飛ばしてしまったのは申し訳ないが、こうする他なかった。敵は一直線に彼女を狙っていた。
 幸い、身体が地に叩きつけられる前に受け身をとった彼女は、辺りを警戒してじっとしていた。
「おうおう、荒い真似すんなぁ。女の子は丁重に扱わなきゃな」
 着地したその男は、下卑た笑いを浮かべながら、俺と彼女を見やって言った。
「ハルク様、お気になさらず」
 男を睨み付けながら立ち上がったコーネリアは、すかさず俺にフォローを入れる。言われるまでもなくわかっている。あそこでコーネリアが一撃を食らっていたらどうなっていたか知れん。
 剣というよりは鈍器のような巨大な剣を肩に背負い、男は笑ったままだ。
「ふん、お前らを殺す気はないんだけどな……。なんせ面倒なことになってるんでなぁ」
 断言はできないが、彼がこの事件に関わっている可能性は十分にある。
 しかし、どちらかと言えばならず者の風貌だが、犯罪者のにおいというのがするわけでもない。
「お前は何者だ」
 とりあえず話のできる相手かどうかもわからないが、まだ話をする気があるようだから、探りを入れてみる。
「名乗る名はねぇなあ。心配しなくてもお前らの味方ではないんじゃないかぁ」
 下品な笑みをまだ飽きずに浮かべ、男は俺の頭からつま先までじっとりと見つめた。
「お前はいいとこの坊っちゃんだろ。どう見てもそうだ」
 この男の知的な言動のないことには、全く呆れるばかりだが、やはり馬鹿にはできない気配を纏っている。
 一つ溜め息をついて、男を見据える。殺し屋ではないだろう。組織やらの人間でもなさそうだ。傭兵か、浮浪の乱暴者といったところか。
「……俺は、お前にやる気があるなら受けて立つが」
 そう言った途端、男はにやりと口端を吊り上げ――動いた。
 驚いた訳ではないが、男が目の前まで寄ってきたと認識したとき、反射的に炎を爆発させた。
 動きは速いその男が面白そうに笑ったのが見えた。
 男が剣を振るために構えたと見えた次の瞬間、剣は思ったところよりもずいぶん身体の近くを切った。
 この男の歩術は、危険だ。避けるのに賭ける余裕がひとつもない。
 警戒して、避けきれる距離の二倍も三倍も離れるが、俺が身軽に避けたところで、コーネリアをどうすることもできない。
「ネル、風の加護術をかける。お前はこの場を離れろ。こいつ相手じゃ無理だ」
 後ろをついてきていた彼女に、男に聞こえないように告げる。
 実際、俺には彼女を守りながら戦う自信がなかった。
 きっとコーネリアのことだから何も言わずとも了解しているはずだ。
 男が振り出した次の一撃、そしてその次の一撃を避けてタイミングを見計らう。
 クソ、キツいな……。
 あんな大剣相手に、自分の片手剣を当てに行っても不利になるだけだ。魔術で勝負するほかない。
 男の剣が身体の前を切った隙に、自分も剣を振りかざし、足元から炎で地面ごと焼き、男を退かせた。
 続いて軽く剣を振り、風の刃を送り、当たったかどうかは見ずに詠唱に入る。
「大いなる空を満たす風、そのもとにある我らに力を与えたまえ」
 加護の魔術は、普通のもの以上に集中しないと失敗しやすい。時間が必要だった。
 土を蹴る音が聞こえたが、焦ってはいけない。無心で詠唱を続ける。
「汝と我が身の間にある風の魔力をもって信仰の証とする。それをもって我らに加護を」
 言い切る直前に、コーネリアの姿が視界に入った。
 加護の魔術は成功したが、彼女が魔力の盾で受け止めた大剣は力を発散することを知らずギチギチと音を立てていた。
「コーネリア、下がれ!」
 彼女は一瞬戸惑いを見せたが、魔力の展開をやめようとする。
 風の加護は、動きを劇的に軽くしてくれる。
 魔力の盾が消えたあと、大剣が彼女に振りかかるその間に、剣を割り込ませた。
 コーネリアは先ほど言った通り、走ってこの場を去った。
 予想以上の重圧に腕が悲鳴を上げ始めるが、うまいこと、直撃を食らわないように剣を滑らせて相手の懐の方に避ける。
 男が自分の動きを追う前に、腹に向けて一発炎の爆発を叩き込む。
 低くはぜたその音を聞きながら、男が怯んだ隙に自分は身を翻して距離をとる。
 男はあの恐ろしい歩術で間合いを詰めるが、あえてそれを待った。
 風の加護と魔術を利用して、剣のスピードを最大限に上げる。そして、男の手首を狙ってそれを突き刺した。
「ぐっ」
 剣は刺さったことには刺さったが、深く刺さり抜けないので、そのまま手を離しまた間合いをとる。
 刺された手首の方の手を支える手に変えて、それでも大剣を持ち直した。
 叩き落とすことは無理だが、手首一本であの大剣を振り回すのは難しいだろうから、もう一本も潰すか、その隙を狙って他の急所を狙うか、だ。
 男の血が地面に滴り落ちた。俺の剣は抜かないまま、振りかかってくる。
 その攻撃をすれすれのところで避け、風で剣を作り上げる。
 男の動きは衰えることなく、むしろ先ほどより積極的に、荒々しい一撃を繰り出してくる。その一つ一つを避けながら、自分も男も確実に疲労していく。
 こちらに加勢の望みはないが、あちらはどうだかわからない。長引かせて消耗戦にはしたくなかった。
 しばらく様子を見て、攻撃を避けるだけ避けていたが、そのままでは埒があかないので、右手に作った風の刃を振りかざす。
 刃自体が風で、そして今身体全体が風の加護を受けている。
 男の胸を切りつけた一撃は、相手の思っているよりずっと速く、鋭く命中した。
 しかし、たいしたダメージにはならない。男は構わず大剣を振り上げ、振り下げ、振り回す。
 気配で感じた通り、一筋縄ではいかない相手だ。しかも――手を抜いている。先ほどから避けさせるばかりで、当てに来ている攻撃がほとんどない。
 これでは消耗戦になるしかなかった。しかしこちらは魔術を使っている分、体力も魔力も消耗して、それほど長くは持たない。
 一撃を避けた際に、後ろに下がって距離をとり、男の手に刺さっている剣を見つめた。
 いけなくても――現状打開を目指す!
「錬成の火炎、はぜろ!」
 剣にこめられた魔力が炎となって、先ほど反射で発生させたのとは比にならない規模の爆発が起きる。
 しかし、男は魔力の溢れ出た剣を手首から抜いて遠くへ投げ捨てた。
 ――やっぱり、か。
 予想通りの動きだ。その動作でできた隙につけて、右手の刃を男に向かって突き出した。
 風の刃は素早く懐へ向かったが、すれすれのところで避けられる。
 男は大剣から片手を離していて、しかも今大剣を持っている手は、先ほど刺した手だ、剣で叩かれることはない。
 後からついてきた左の手に、炎を生み出して、できる限りの力を込めて男を殴り付けるように突き出した。
 渾身の一撃は直撃したが、その手応えは堅かった。
 まずいと思ったときには、男の蹴りで吹き飛ばされていた。
 受け身をとるが、無理な体勢から飛ばされたため、うまく身を守れず、右の肩から腕を思いっきり擦る。
 すぐに起き上がって見ると、男は地に向けて剣を振りかざしており――金属の当たる音がして、剣が地に埋まった。
 俺の剣が、真っ二つに折れて、使えるものではなくなってしまっていた。
 剣がなくても魔術がある。それに、もう魔力のない剣に意味はないだろうが、剣の魔力を使うことで、剣を回収できると思ったので、少し愕然とした。
「クッソ……」
 ここに来て初めて口に出して悪態をついてしまった。
 こちらを振り向いていた男は、それを聞いてにやりと笑った。
「俺はもう帰りてェんだが、お前に戦う気はあるか? もう疲れただろうに」
 なるほど、な……。
 男が剣を避けさせていたのは、本当に疲れさせるためだったのだ。
 一つ溜め息をついて、男の目を見る。
「そうしてくれると助かる。――こいつの仇はいつか返すぞ」
 折れた剣に目配せして、作り笑いを浮かべる。実際に、ここで引くと言うなら、引かせた方がいいと断言できる状況だ。
「俺もだなぁ。お前は坊っちゃんかもしれねェが、なかなか面白ェ。いつかまた戦うだろうな」
 そう言うと、男はあの歩術で姿を消した。
 擦った肩の傷は、思ったよりも深刻だった。痛みとその異常感に、少しふらつく。
 あの男は、事件と関わっているのだろうか……。それならば、本当にもう一度戦うことになるだろう。
 全力を出していたとは言えないが、それは男も同じだ。もし他の仲間と共に立ち向かっても、どうにかできる自信がなかった。


 森をとりあえず、ワンダと別れた方向に向かって進んでいった。彼はあの言い方だとあそこを離れる気はないようだったから、確実に会うことはできるだろう。
 ユーリアの背に背負われて、あてのない視線は、自然と横を歩くアインに向かう。
 ユーリアとアインの間には、いつの間にか不思議な緊張感のようなものが芽生えていた。
 ユーリアはアインを嫌っている、というほどでもないが、何だかとても警戒していた。
 かく言う私も、アインに100%気を許すことはどうしてかできないのだけれど。
 それなりに走った道のりだ、それほど短いというわけでもない。私たちは、言葉少なに、ただ歩き続けた。
 ハイラの召喚獣が魔力拡散を解いたというところまでは聞いたから、ウッドゴーレムの現れた理由をあれこれ考えていた。
 魔力拡散を解いたタイミングで現れたなら、トラップとして仕掛けられていた可能性も高いのだろうが、そうなると、やはり魔力拡散は犯人側の仕業なのだろうか。
 先ほどから感じている不穏な空気は消えることはなく、街の外れの森の中はしんと静まり返っている。
「……ユーリアさん、アインさん!」
 考え事をしていた頭に、ふいに飛び込んできた声は、コーネリアさんのものだった。
 ユーリアの頭越しに見た彼女は、焦燥を顔に浮かべて、肩で息をしていた。
「ハルク様といたのですが……とても手強い剣士と遭遇いたしまして、こうして私だけ逃げさせていただきました」
 悔しさなども交じる彼女の表情に、ユーリアも口を閉ざす。
「そりゃ、加勢に行った方がいいんじゃない?」
「いいえ……。相手の剣士は非常に歩術に優れておりまして、多勢で向かっても難しいようなのです。ハルク様のことですから、無理はなされないと思いますが……」
 オブラートに包んではいるが、つまり、加勢に行くだけ無駄だと言うコーネリアさん。
 ハルクが勝てない相手なんて、私はいないと信じているけど、彼女がこう言うということは、それなりに根拠のあることなのだろう。彼も、圧倒されているということが。
「ふうん……。そんじゃ、一緒にワンダのとこへ行こう。ハルクはきっと大丈夫さ」
 アインも、ハルクとは長い仲のはずだ。コーネリアさんの言うことを、また彼自身を信じられる根拠もあるのだろう。
「その前に。コーネリア、魔力供給はできる? イールに分けてあげてほしいの」
「ええと、はい。大丈夫ですよ」
 コーネリアさんがにこやかに、ユーリアに頷く。
 地面に座らせてもらった私は、彼女と目を合わせて、不思議な気持ちに襲われた。
 彼女の、青の深い瞳に、神秘的な――とは少し違うようなものを感じる。
「失礼しますね」
 コーネリアさんに正面から肩を抱かれて、頭同士をくっつける。
 魔力はその人の周りから、身体のいたるところに染み出ているわけだが、魔力供給は密着した方がしやすいのだった。
 同性同士だとわかっているのに、彼女からふわりと香った香水の匂いに、どきっとする。
 長いまつげを伏せて瞳を閉じた彼女につられて、私も目を閉じる。
 ぽつり、と彼女が一言呟いたことだけ確認した次の瞬間、大量の温かいものが流れ込んでくる感覚に襲われる。
 まだ知らない、コーネリアという女性の、魔力。人それぞれの魔力には、言葉では形容しがたい独特の雰囲気がある。魔力供給でたくさんの他人の魔力を受け取ると、それを直に感じることができる。
「……ありがとう」
 一通り流れが止んで、お礼を言うと、彼女はにこりと笑った。
「私……イール・ミュスタっていいます、よろしくね、コーネリアさん」
 すっかり軽くなった身体を確かめながら、心の中で彼女に感謝する。
「はい、よろしくお願いします。イールさん、ハルク様のことを呼び捨てでお呼びになるなら、私のことも、是非」
 堅苦しい言い方だったけれど、多分彼女にとっての、親しみを感じてほしいという主張なのだろう。
「わかったわ、コーネリア。それじゃ、行きましょうか」
 すっかり怪しい雰囲気に包まれた森の中を、五人で歩み進めていく。
 ワンダがいるはずの場所は、なんとなく自分が走ってきた方角でわかる。
「何かそちらでも起こったのですか?」
 唯一状況説明をしていなかったコーネリアに、商人の妻と自称する女性の家を見つけたこと、ハイラたちで魔力拡散を解除したらウッドゴーレムに襲われたことなどを説明する。
「魔力拡散が解除されたことで、敵が動き始めたと考えるのが妥当でしょうね……。とにかく、この街に彼らが滞在していること自体が危険です」
 コーネリアの神妙な面もちに、緊張がより張り詰める。
 ハルクでも苦戦するような相手がいるということが、大きな脅威だ、と私は思う。
 商人が殺された理由を突き止めて、また、解決をする。魔力拡散は解除されたから、あとは列車だけだ。
 しかし……。街の外れだとはいえ、コーネリアが言ったように、危険人物がいるということは非常に危ない。
 敵の素性どころか、敵かどうかも怪しいけれど、一刻も早くなんとかしなくちゃいけない。
「心配すんなって。ハルクだけじゃなくて俺もワンダもいるんだぜ? これ以上被害は出さないし、ちゃちゃっと解決して帰る、な」
 いつの間にか不安な表情を浮かべていたのか、アインが覗き込んで頼もしそうに笑んだ。
 また、そんなつもりはなかったんだけど、心配させてしまったかもしれない。ハルクやアインを力の面で信頼しているのは、本心からなのに。
「わかってるわ。私だって、必ず、解決する」
 四人を先導しながら、自分に言い聞かせるように言葉ごと踏みしめる。
 しばらくしてワンダと二人で訪れた小屋が見えたが、近くにワンダの姿はなかった。
 不思議に思って小屋に近づいていくと、間もなく扉が開いた。
「――!」
 小屋の扉の向こうから現れたのは、血だらけの、ワンダと商人の奥さんだった。ワンダの方はぱっと見たところケガはないようで、表情も元気だったが、彼女はワンダに支えられて歩くのがやっとというような様子だった。
 小屋の近くに立っていた私を認めたワンダは、はっとして、少し翳りのある表情を見せた。
「何が……あったの?」
 あまりの悲惨な状態に、声が震えた。
「僕が小屋に入ったら、彼女が切りつけられたみたいに……。何があったのか、僕にもわからない」
 背後のコーネリアが駆け寄ってきて、女性に治癒魔術をかける。しかし、魔術師でもない一般人の彼女に、この大怪我だ、難しいだろう。
「それと、イール。君を行かせた後、暗殺者らしき男と交戦をした。さっき逃げられたけど、彼女を襲ったのは多分ソイツじゃない」
 女性をコーネリアに任せたワンダは、難しい顔をした。
 と、いうことは、今確認できている中では敵は二人になった。もし他に敵がいない場合、女性を襲ったのは、ハルクたちを襲った剣士ということになるが……。
「コーネリアがハルクと別れて、ここに来るまでそんなに時間は経っていないはずよ。その女性を襲ったのがその剣士ということもあるけれど、可能性は低いわ」
 ユーリアの言うとおり、だ。しかし、剣士は歩術に優れていたとも言うから、実際のところどうだかはわからない。
 仲間内だけでなく、ついに新たな被害が出てしまった。彼女が狙われているのは確実で、敵はやはり挑発的に動いているとも言える。
「だ、大丈夫ですか?」
 張り詰めた緊張の中、コーネリアの治癒を受けていた女性は、もう起き上がって青白い顔のまま頷いた。
「……あなた方は、この騒動から身を引くつもりがないようなので、私から説明します。夫と私が狙われているのは、ある情報を手に入れたからです。その内容は言えませんが、あの男たちは、その情報をどうしても得たいようなのです」
 先ほどよりも大層焦燥しきった表情と声色で女性は語り始めた。
「彼らに情報を与えることは、いくら金を積まれてもできません。――よもや、夫が殺されたとしても」
 彼女が平静でいられたのは、そういうわけだった。強い覚悟を持って、敵と対峙していたのだ。
「彼らと交戦したのですよね……? 私たちをしばしば訪れたのは黒づくめの魔術師と、傭兵の剣士――かの悪名高い、ノラ=リンギットの二人でした。きっと、今この街にいるのもその二人のみです」
「ノラ=リンギットだって……!?」
 突拍子もなく出された名前に、ワンダが掠れた声で驚きを露わにした。
 私ですら、その名前は知っている。凶悪なまでの剣の腕を持ち、人間離れした怪力から、数々の破壊事件で実行犯となった。そして、自身の素性を隠そうともしない、余裕たっぷりの悪党だ。
 ……恐れていたことが、起きているというわけだ。世紀の悪党が、この事件には関わっている。
「……はい。しかし彼は、魔術師に雇われているというわけでもなさそうなのです。むしろ、仲間同士であるかのように、自分から動いています」
 世紀の悪党と言えども、ノラ=リンギットは金のために動いているだけだと言われる。その腕と、金さえ積まれれば何でもやるというから、様々な組織が彼を雇い事件を起こすのだ。
「……ん? 敵はそれだけなんですか? 僕が戦った暗殺者は――」
「恐らく魔術師のほうでしょう。その男はノラ=リンギットと違って素性を明かそうとしていませんが、私たちの調べによると、魔術を使う暗殺者として裏の世界で有名なそうです」
 女性が情報を提供したことで、事態が複雑だということがわかってくる。そして、敵の動き全てに直接関知した人は一人もいないから、私なんかは既に混乱しかけていた。
「そして……。夫はたぶん、殺されてはいません。夫を殺す方が、彼らにとって不利益の方が多いでしょうから」
 強い眼光が、彼女の意志の強さを、青白い顔でも感じさせた。
 側にいて話を聞いている私とワンダ、コーネリアだけでなく、少し離れたところでいまだ佇んでいるアインとハイラまでもが、それを感じ取って口をつぐんだ。
 彼女の発言は衝撃的ではあるのだけれど、彼女はそれが当たり前だと強く信じている声色で語ったから、驚くに驚けないのだった。
「『朝露の葉』は、私たち以外は魔術師の商人ギルドなのです。名を上げている魔術師たちが、気ままに副業として営む商売のギルドなのです。もし、彼らが夫を殺したならば、彼らを無条件で私たちの仲間は狙うことができる。彼らはそれを恐れているはずです」
 もしかしたら……列車の運行を停止させたり、魔力拡散を施したのは、ピンポイントで彼女たちの仲間を恐れていたからなのか。
 そして、私たち魔術師に、問答無用で襲いかかってくる、と。
 ここまで聞いた話を統合すると、商人が襲われた理由はその妻への見せしめに他ならなく、そして敵を撤退させることは、簡単にはいかない。
「僕たちの最終目的は列車を復旧させることだとは言っても……アイツらをどうにかしないわけにはいかないよね。でも、多分敵は、その情報を得ない限り、引こうとしませんよね?」
 そうともなると、一介の魔術学校の生徒である私たちが、ノラ=リンギットと戦わなければならなくなる。傷害事件を起こすくらいだから、相手も本気だ。そんなこと、私は嫌だ。
「そうでしょうね。しかし……この情報はかなり重要なものなのです。あなたたちに伝える分には構いませんが、万が一、悪者の耳に入ったら大変なので、お伝えできないというほどに。……先ほど、列車を復旧させると言いましたか? 列車が復旧すれば、私たちの仲間の魔術師に助けを求めることができますから、もしかしたら、打開策になるかもしれません」
 女性は、ほとんど追い詰められている状況であるにも関わらず、冷静に淡々と述べた。先ほど初めて見たときの取り乱した格好から、大分吹っ切れたのであろうか。
 朝露の葉という商人ギルドの魔術師の実力というのは、正直全くわからない。あてにしていいものだろうか。もちろん、私たちが事件に関与することを明らかに拒否した彼女が言うのだから、確実性がありそうだが。
「ん〜でもさ、それが唯一の打開策だとしたら、敵がそれを警戒してないはずないよね。ハルクと合流して、一回ちゃんと作戦を練らないと難しいと思う。――それと、貴女をこれ以上傷つけられないように護衛もした方が良さそうだ。何より、全員まとまろう。全員の力を合わせないと、一人一人潰されちまう」
 黙りこくって思案していた私の横からアインがひょいと前に出て私とワンダを振り返って言った。
 しばらく何も話していなかった彼だったけれど、やっぱり色々考えていた。
「ハルク君に魔術通信を送ってみるわ。受け取れるかわからないけど」
「うん、それが一番いいよ」
 ユーリアは魔術通信に長けていた。難しいというか、複雑な言語の記号化と、復元を使いこなさなければならないので、勉強が必要だが、それなりの遠距離間でも素早く通信ができる技術だ。
 彼女が輪から少し外れて集中している間、今後どうなるかを想像してみる。
 列車を復旧させるにも、敵に狙われてしまうし、また止められないようにしなければならない。人数は少なくても、やっていることは魔術戦争と変わらない。私たちはそういう交戦の経験はないから、非常に難しい状況だと思う。
 そうは言っても、強敵を倒す力は私たちにはない。どちらかと言えば、ギリギリだろうと守りきればいいだけの列車の方が簡単かもしれない。
「ハルク君と連絡がついたわ。ここに向かってくれるそうだから、少し休みましょう」


 ほとんど気疲れでの疲れに、休んでもなかなか気が休まらない。
 もうしばらく魔力は大丈夫だけど、あまり消耗していないのが、逆に落ち着かなかった。
「……っ遅くなってすまない」
 座り込んでいたところに息を切らして駆け込んできたのは、久しく感じるハルクだった。
「ハルク様! お怪我を……っ」
 肩を抑えて、半ばフラフラの状態だった彼をコーネリアが支えて、治療をする。
「……よし。念話で作戦の説明をするから、輪になって」
 ハルクとコーネリアは治療をしながら、全員で輪になってそれぞれの身体に触れた。
 アインが考えてくれた案は、こんな感じ。
 まず、全員で奥さんを護衛しながら、列車の停留所まで向かう。その後、アインとハルクで列車の復旧に努める。他の人は奥さんを護衛し、必要があれば二人を手伝う。アインの魔法陣術とハルクの解術で列車の復旧ができなかったら、再度話し合う。
 アインとハルクは離れず二人で行動して、襲撃に随時備える。私たちは奥さんの護衛と、アインやハルクに敵を行かせないための足止めをする。
 いかんせん二人の力を過信した作戦ではあったけれど、アイン本人が提案したのだから、信じる方がいいのだろう。
 二人の消耗と、列車の復旧にかかる時間が勝負の明暗を決める、と思う。現時点では私たちができることは何一つわかっていないのだから。
「列車が止まってる理由がどういうものなのかが、作戦の成功率を左右するけど、俺とハルクで頑張るから、そっちも無事でいてくれよな」
 列車の線路沿いに歩いて、駅のところで別れる。別れ際にアインは心底得意そうに笑った。
 私の心の中から不安が消えるはずはなかったのだけれど。
 私たちは駅の外に広く本拠地を置いた。ワンダと私で木の塀を作り、近接型の敵に備える。
 ユーリアとハイラで外を警戒し、私とワンダ、コーネリアは奥さんの傍にぴったりついて立った。
「……魔術学校の生徒さんっていうのは、すごいのね」
 初めて、奥さんは事件の話じゃないことを言った。その表情は、普通の、壮年の女性のものだった。
「どうしてですか?」
「若いのに、全然怖がらないんですもの。こんな状況で、まだ希望に満ちた目をしている」
 彼女は少し呆れたように笑った。
 確かに、先ほどのアインの笑顔もそうだけど、私たちの心持ちは少々場にそぐわないような気もする。
「きっと……希望を持っていたいのですよ。私たちだって、恐ろしいことを知らないために臆せずにいるわけではありませんから」
 コーネリアは、彼女は多分私やユーリアよりも年上だけれど、私も彼女の考え方に賛成だった。
 不安はあるけれど、私の心配を消してくれる何かは、きっと希望の中にあった。
 辺りはもう橙の光に照らされて、夕焼け空になりかけていた。
 月が出るまで、まだ少しある。



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