Argento - ep.03「不穏なモノ - survey」
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「え、事件?」
 翌朝、焦った様子のハイラが寮室にやってきて伝えたのは、ユーリアを含む生徒の宿泊している宿で事件が起きたということだった。
「はい、えっと、ユーリアさんへ魔術通信は繋がらなくなっちゃったんですが、今朝の新聞に載ってまして……。無事だと、いいんですが」
 ハイラはますますしゅんとして、心配そうに眉を潜めている。
 ユーリアならそう簡単に怪我したりはしないと思うけど、どういう事件かもわからないから、やっぱり心配ではある。
「列車が止まったのも、誰かの仕業だったのかしらね」
 列車という主な交通機関が止まれば、魔術都市の魔術師や、首都の騎士隊などの最も力の強いグループの動きも鈍る。
 転移魔術というものも勿論あるのだが、使うのも難しく、長距離の移動を安定させられる魔術師は、片手で数えられるほどだというから、あまり一般的ではない。
 大犯罪を犯すには、まず列車から止めるというのも有り得なくはないだろう。
「わかりませんが、心配です。他にも生徒が何人か、同じ宿に泊まっていたようですし」
「そうね。でも、魔術通信が繋がらなくて、交通機関が麻痺してる今、私たちにできることはないわ。ただ祈ってることしか」
 きっと、ユーリアなら他の子達だって守ってくれる。そう信じて、彼女の帰りを待つしかない。


 足のケガは大分良くなって、歩くのにも階段を上り下りするのもたいした苦ではなくなったから、私は勘を取り戻すためにも、一人で寮の外の森に出かけた。
 昨日まであれほど静かに感じていた自然だったから、今日はいつもより騒がしく聞こえるほどだった。
 広い森の中は、学校の敷地内だから魔物が出ることもなく、部外者立ち入り禁止だから安全で、訓練やら何やらに自由に使っていいことになっている。
 私は訓練所ではなかなか訓練はしなくって、いつも森に出かけていた。
 もう少し行くと、広場のようになっているところに出る。少しそこで、木々の声に耳を傾けたい。
 のんびりと進んでいくと、驚いたことに、人の声が聞こえてきた。
「退屈だな、うん……。僕もあっちに行けたらなぁ」
 広場に出て見つけた姿は――若草色のツンツン髪の小柄な少年、ワンダ君だった。
 手を組んで枕にして、足も組んで草原に横たわる彼は、陽の光を浴びて、まさに自然に溶け込んでいる。
「今日は、風が……」
 呟きかけて、彼はばっと身体を起こしてこちらを見た。
「……イールちゃん?」
 立ちすくむ私を見つけて、彼は数秒間唖然としていた。
 その雰囲気を壊さないようにと静かに現れたつもりだったけれど、特に風を操る自然魔術師の彼が微細な風の動きが読めないはずがない。
「あ、えっと、ワンダ君もここ、くるんだ?」
 なんだか浮かない様子で気まずかったから、そんな言葉しか出てこなくて、私はモジモジしてしまった。
 彼はそれを聞いてから、飛び上がるように立ち上がって、伸びをした。
「ん、そうだね。暇してたから、ちょうどいいや。話しようよ」
 そう笑ってもう一度胡座をかいて座った彼に続いて、私も座る。
「ケガは大分よくなったみたいだね? 魔力も戻ったみたいだし」
「ハルクとアインと……あとクレイバーン先生に色々手伝ってもらったの」
 前会ったときは太陽みたいな笑顔だと思ったワンダ君だけど、今日はちょっとだけ穏やかで静かだった。
「それはよかった。早くイールちゃんと魔術の訓練してみたくてさっ」
 そういえばそんな話もしてた……けど、別に約束はしてなかったような気がする。
 首を傾ける私に構わず、彼は楽しそうに笑んで続けた。
「今さ、なんか列車が止まって依頼先で立ち往生してる人いるじゃん? それで事件起きたとかでさ……僕も、そっちに行きたいなぁ」
 先程の呟きは、そういうことだったのね。ワンダ君は感傷的というか、本当に退屈そうなんだ。
「ワンダ君、そういうのっていうか、危ないのとか、好きなタイプ?」
 どう見てもそうだ。まぁイメージなのだけれど、ハルクと話していた彼は、あの日の戦闘の話に興奮していたみたいだったし。
「ん〜、っていうかさ、窮屈なんだよね。僕にとって、学校なんてさ」
 遠く空を見上げたワンダ君の黄金色の綺麗な瞳は、光を受けて透明に光っている。
 窮屈……。どちらかと言えば、自由奔放にやっていきたい方にも見える。けれど、そんな閉塞感を覚えるほどなのだろうか?
「イールちゃんはさ、何でこの学校に来たの?」
 彼の態度に違和感を覚えて、黙りこくってしかめっ面をしていると、逆にあちらから質問をしてきた。
 鼻先を滑るように照らした陽の光を受けた横顔があまりにも綺麗で、一瞬ドキッとする。
「私は……」
 元はと言えば、一人が寂しかった、ただそれだけ。優しいクレイにしがみついて、まだ子供のまま生きていたかっただけ。
 しかし、今はどうだろう? 彼を頼らないことを条件に一人になったはいいが、魔術師になって何かしようだなんて思えない。危険で、リスキーで、完全な幸せなんてそこにはないような気もしている。
 今の私にはただ、魔術学校で魔術を頑張るだけしかやることがないというのに。
「最初は、ある人を追いかけて来ただけだったの」
 彼に、一昨日会ったばかりの彼に話せるのはこれくらいしかない。だってここにいる理由が見出だせないから。
 彼は何とも言えない表情で私を見据えた後、くすくすと笑った。
「でもすごいね。それで魔術師やっていけるなんてさ。僕だったら絶対無理だなぁ」
 確かに、そうかもしれない。
 小さな頃から自然の中で生きていたり、両親が魔術師だったといっても、私は突然魔術学校に入っただけで、それまで魔術なんて使ったことがなかったんだ。
 きっと、風を祀る由緒正しい家系のワンダ君とは、根本的に違う。
「今、やりたいことがわからないの。魔術師として生きていくしかないとも思うんだけど、どうしたいのかとか」
 昨晩久しぶりにクレイと話して、実感したことだった。数日前からハルクやアイン、そしてワンダ君といった、並外れた魔術師たちと関わり始めて、私は彼らを尊敬はしているけれど、彼らみたいにはなれないし、なりたいとも思わないのだ。
「まだ、道は色々あるでしょ。多分人が思ってるより魔術は便利だ。ましてや、自然と関わって生きていく人間にとって、自然魔術の力は、喉から手が出るほどほしいもののはずだった」
 けど、私はそんな人には自然魔術は扱えない、と思う。自然と一体である自らではなく、自然そのものとして切り離してしか考えられない人には。
 ワンダ君はあくびを一つすると、ニカ、と笑った。
「重たい話になっちゃったね。僕がスリルが好きなのは間違っちゃいないね。戦うのってさ、遠慮なく魔術使うのってさ、気持ちいいんだよね、すっごく」
 穏やかな風に髪とマフラーをなびかせて、ワンダ君は瞳を輝かせた。
 うん、きっと、私とは自然の中にいて喜びを感じるポイントが違うんだ。彼は自然と一体になることは当然で、そしてそれ以上を求めるような。
「暇だな〜。依頼に行く予定だったんだけどさ、列車止まっちゃってるじゃん? だからやることないんだよね」
 列車が主な交通手段であるこの付近で馬車をつかまえるのはそう簡単な話じゃない。ましてや依頼に行くだけにそんなにお金もかけられない。
「練習試合とか、する相手いないのかしら?」
 依頼に出られなくなった人は彼だけではないだろう。
 しかし、彼は困った顔で肩をすくめた。
「誰誘っても乗ってくれないんだよね」
 ……ワンダ君が強すぎるか、嫌われてるか、何かそういう関係か。どうなのかわからないけど、でも――。
「ハルクとかも?」
 一昨日、彼と仲良くしていたのだし、ハルクには実力がある。人もいいし、私が思うにそのくらいやってくれそうだけど……。
「え、ハルク? ……あ、そっか、今日はいるかな? アイツいつも依頼か寝てばっかだから、候補にいなかったよ」
 昨日も寝て依頼行って寝て、だものね。いつものことは知らないけれど、アインもいつもそうだと言っていたし、そうなのだろう。
 ワンダ君は何か考えながら立ち上がって、ぐっと身体を伸ばす。
「そーだな……ハルクに会いに行ってみよ! イールちゃんも来る?」
 彼の首を傾けた問いに、ハルクとワンダ君、二人ともの魔術を見たかったから、私も立ち上がって頷いた。


「ハルク、今風呂入ってるけど……って、イールちゃんも。おはよ」
 扉を開けて出てきたのはアインで、ワンダ君は彼と私を何度か交互に見た。
「アインとも知り合いだったんだ」
「うん……色々あって」
 あんまり信用してないけど、なんて、一応お世話になった借りもあるし言えないわ。
 とりあえず部屋に入れてもらってハルクを待つことになったけど、アインとワンダ君は、二人ともハルクとよりは仲が良くないみたいで、微妙に気まずい雰囲気が流れていた。
「ね、ねぇねぇ、アインは宿屋の話、聞いた?」
 とりあえずとりとめもない世間話から、彼が適当に発展させてくれやしないかと期待して話題を出すと、アインははっとしたように反応した。
「そうそうそれそれ! なぁイールちゃん、ワンダ、行きたくない? 心配じゃない?」
「え?」
「行きたいっ!」
 私が意味がわからなくて聞き返すのとほぼ同時に、ワンダ君は細かいことも聞かずにそう答える。
 どういうことなの……?
「できるかわかんないけど、俺魔法陣で転移魔術使えるからさ。そんな近くないけどあの街に行ったことあるし、行ってみようかと思って」
 ワンダ君に引き続き、アインまで突拍子もないことを言い出して、私は正直ついていけなかった。
 ぽかんとしている私に代わって、ワンダ君はアインに前のめりになる勢いで突っかかる。
「行こうぜ!」
 まず、そんなことが本当にできるのか、ということ。あと、行ってもいいのか。
 彼らは軽い気持ちでこの話をしているような気がするけど、宿屋での事件がどの程度のものなのかわかってもいないのに、その中に乗り込んでいくなんて、賛成できない。
「ど、どうするの……? 稀代の殺人犯とかいたら」
 魔術の力は、魔術都市の研究機関で明らかにされている以上に、無限大で、誰の手にも負えない大犯罪者というのは、いつの時代にも一人はいた。
 今も、逮捕されず飛び回っているという有名な殺人犯や大犯罪者の名前は広く知れ渡っている。
「だから、じゃないの? ユーリアちゃん含め、生徒のコト、心配でしょ」
「でも、だったら、先生とか、もっとふさわしい人に任せるべきだわ」
 穏やかで優しい目をして、だけどやっぱり核心を探ってくるようなアインを、今度はしっかり見据えた。
 私は、わかる。クレイに心配かけちゃったのは、こういう判断の甘さがあったからだもの。
「わかってる? 教官は教官であって、保護者じゃない。生徒と言えども、依頼先での死傷はやむを得ないことになってる」
 つまり彼らに、生徒を助ける義務はない。
 わかっていることではあるけれど、だんだん膨れ上がった不安は、最悪のパターンをも連想させる。
 私たちが飛んで火に入る夏の虫になるのが、一番怖い。それが、一番誰も喜ばない。
「はい、僕、思うんだけど、魔術院が動かないってことは、大丈夫じゃない?」
「地脈を通した魔力量監視、か……。そうだね、それは確実かも」
 新聞は情報不足や魔術通信も繋がらないような状況のせいで、当たり障りなくしか書いていなかったが、確かにそれは言える。
 大きな魔力の動きは、地脈を通して王国全土から感知することができる。そしてそれはこの国の、いまだかつて、破られたことのない、強力な監視能力である。
「大丈夫なら大丈夫に超したことはないでしょ。俺もワンダも、実戦派だから安心して。ユーリアちゃんたちが無事帰れるようにする」
 納得しないことはない。勿論、危険が消えたわけではないけど……。
 でもそれなら、一緒に行きたいとも思う。こんな私でも、少しでも力になれる気がしたし、ユーリアのことはすごく心配だった。
「あれ、お前ら……」
 その時、タオルを頭にかぶったハルクが部屋に入ってきた。
 彼は私とワンダを見て一度首をひねって、手に持っていた荷物を机に置いて、三人の輪の中に入ってきた。
「何の話だ?」
 私とワンダが彼らの部屋に来ていることよりも、話し込んでいる状況に気が行ったようで、ハルクは三人を順番に見てそう問うた。
「ハルクも。事件が起きた宿屋まで行かない? コーネリアちゃんもいるみたいなんだけど」
 コーネリア、という私には耳慣れない名前が出たとき、ハルクは瞬時に顔をしかめた。
 この反応はもしかして、昨日言っていた、あの子なのだろうか。
「ヤツにわざわざ会いになんて行きたくない、って俺が言うことくらいわかってるだろ」
 溜め息をつきながらアインを見やるが、アインはただ単にハルクをからかいたくて言ったようには私には思えなかった。
「ちょっとした実習のつもりでいいよ。交戦があると考えると、君がいてくれるだけで大分違う」
 いつの間にか行くこと前提になっているけれど、ハルクは少し考えているようだった。
「イールちゃんは、ユーリアちゃんのこと、心配なんだよね?」
「そりゃ、勿論……」
 彼女は強いし、屈強だ。そう簡単にはやられたりしないと思うけど、心配ではある。相手がどんなものかもわからないし。
「行くのは不安定だけど、戻ってくるのは安定するんだ。俺は何度も学校の中で転移の魔法陣を描いてるから、その痕跡が座標を導いてくれる。つまり、彼女たちを安全に連れ帰ることもできるってワケだ。イールちゃんが一人で寝なくてよくなるよ」
 何故かアインは私の立場を振りかざしてハルクに訴えかけているが、彼は何も言わずに眉間にシワを寄せたままだ。
 ワンダ君も口を閉ざして、三人でハルクを見つめる妙な雰囲気の中、彼は口を開いた。
「行くからには徹底的にやる。列車が止まってる原因もつきとめて一刻も早く列車の運行を再開させる」
 つまり、ハルクさんも行く気になっちゃったと……。
 でもそうなると、どう考えたって一日じゃ足りない。宿屋の事件が必ずしも列車と関連しているとは限らないから。
「でもハルク、列車が止まってるのとこれとは関係があるとは限らないのよ?」
 なかった場合、ハルクがついてきても徒労になってしまう。
「行くからには、って言っただろ? 軽い気持ちじゃない。俺は一週間以上は覚悟ができてる」
 それは、学校をサボるということで……。優等生の彼にとって、それはそんなに軽いことでもないはずだ。授業は受けなければいけないわけではなくても、出席しないと得点はつかない。実技授業もあるはずで、あっちに行っている間にハルクの順位が誰かに抜かれてしまうかもしれない。
「列車の復旧に尽力すれば、特別依頼の得点が成り立つ。一週間や二週間そこらなら休む価値もあると思う。まあそこは現地に行ってから考えるのでもいいとは思うが」
 特別依頼……というのは呼称で、実際には成績アップの抜け道だ。一般の依頼にはならないが、確実に社会に大きな利益をもたらす仕事。
 それはほとんど普段の成績に関わらず、成績に大きくプラスされる。
 ハルクはそれを狙うと言うのだ。
「さすが、でっかいコト言ってくれるね。で、イールちゃんはどうする? 多分行けば巻き込まれると思うけど」
 私は成績を気にしているわけでもないし、落第になるほど悪いわけでもないから、行くも行かないも、自由だ。
「イールちゃん、ね、行きたいでしょ。僕が守ってあげるから、行こう。絶対ケガさせない」
 ケガもして、クレイに心配をかけたばかりで、確かにそれは不安ではあったけど……。
 どうしても私を誘いたいのか、ワンダ君はまだまだ押してきた。
「それも気にしてるけど、それ以前にみんなも危ないのよ? 私はみんなが行くのを反対するわ」
 彼ののんきとも思えるニコニコ顔に、しかめっ面で答える。
 依頼実習で私がケガをしたのは、ハルクも私も悪いわけじゃない。ああいう事故は、必ず起きるものだ。いくら実戦派と豪語していて信頼の寄せられる彼らがいたとしても、行けない。行かせられない。
「ん〜、ちょっと僕、出てくる」
 私の真剣な言葉に首をひとつひねって、ワンダ君は唐突に立ち上がった。
「え、え?」
 ぽかんとする私や他の二人を気に留めずに彼は足早に部屋を出ていってしまった。
 振り返って目が合った二人は、二人とも何とも言えない表情をしていた。
「アイツ、たまにああいうことあるから……。多分すぐ帰ってくるが」
 呆れた溜め息と共に説明してくれたけど、私はこの状況をどう過ごせばいいのかわからなかった。
「そういえば、足、大分良くなったみたいだな」
 彼は、私の足のケガを誰よりも気にかけてくれていた。すっかり痛みも引いているから、しっかり頷くと、ハルクは満足そうに笑った。
「あと……クレイバーン先生と、どういう関係なんだ?」
「あぁ、クレイ……先生、は、私のお母さんの弟、つまり叔父さんにあたるの。私が小さい頃、一緒に済んでて、一緒にたくさん遊んだ仲だわ」
 十以上も離れているから、子守りをされているに相違なかったのだけれど。でも、我ながらに私は素直な子供だったから、彼をイライラさせたことは少ないと思う。
「あ、もしかして、だから先生呼ぶの嫌だったんだ? ケガしてるの知られたら怒られる、って」
「そうね」
 そういえばアインにも、先生を呼ぶのだけはやめて、みたいなことを言った気がする。
 まあ、結局知られちゃったし怒られもしたんだけど。
「俺もクレイバーン先生には色々個人的にお世話になってたんだ。先生、自然魔術だけじゃなくて色々なことを知っているから」
 彼とハルクの伝説の自然魔術師についての話題が一致していたのは、そういうことだったのかもしれない。
 ワンダ君の謎の行動によって、なんとなく断ち切られてしまった事件の話と代わって、他愛もないような話題になる。
 私は人に話せるような経歴は少ないし、二人もたいして話してはくれなかったけど、この学校に来てからだけでも、十分すぎるくらい話のネタにはなった。
 私は自然魔術一筋、アインも魔法陣術一筋だけど、ハルクは前も聞いたように、色々な魔術に手を出したという話。
 今の形に落ち着いたのはつい最近で、その理由は使いやすさだけだったというし、彼にはやっぱり魔術の才能があるんだろう。
「おまたせっ! クレイ先生に正式に依頼として許可もらってきた!」
 そこでワンダ君が扉を勢いよく開いて飛び込んできた。
 首のマフラーをふわりとたなびかせて、ぱっと座り込んだ彼は、先ほどにも増してニコニコしている。
 っていうか、彼も自然魔術師だから仕方ないけど、最近なんだかんだクレイと関わらなきゃいけないことが多くて困るな……。
「宿屋の方は、あっちで損害も出てるだろうし、生徒の安全を確保するって名目で依頼扱いできそうだって。列車の方は情報が少なすぎてわかんないから、やっぱ現地に行ってから考えた方がいいってさ。こっちは多分やっぱり特別依頼扱いだと思う」
 依頼として認めてもらったって、私が行きやすくするためにやってくれたんだよね……?
 でも行くためにはクレイと話さなくちゃいけない。逆に言えば、彼から許してもらえれば、何も気にせずに行けるってことで。
 ハルクとアインの方に目配せすると、二人とも私の返事を待っているようだったから、私は息を一つついた。
「行きたい、わ。――クレイが許してくれたら、私も行く」
 そう、本心はそうだもの。もうケガだって、枷になるほどじゃなくなってるし、私は行きたい。損得なんて考えずに。
「うん、わかった。じゃ、先生のとこ行ってから、準備して行くんでいいよね」
 ワンダ君や二人は満足そうに頷いて、とりあえずの方針が決まる。
 嫌な予感はしていなかった……彼らと、一緒だから。


「ワンダ・コリアスに、ハルク・イーネス、アイン・シューバーと、……イール」
 目を細めて私を見るクレイは、呆れたような、怒ったような雰囲気を纏っていて、私は思わず閉めた扉に軽く背をもたれかけた。
 でも、私がいることを、ワンダ君が言ってたのかもしれない。私はあんまりこういうの好きじゃないのに、彼は驚いていなかったから。
 何も言わないクレイの態度に、近くへ来いと言われているのだと気付き、みんなの間を抜けて彼の前に立つと、肩に手をぽんと置かれた。
『ワンダが、お前をちゃんと守る、とか言った』
 魔術を通しての念話で、語りかけてくる。
 他の三人には絶対に聞こえない対話に、少し緊張をして、唾を飲み込む。
『ハルクは、お前にケガさせたことを俺に詫びてきた。俺はお前の保護者じゃないのに、だ』
 しかも彼が、私とクレイとの血縁を知ったのは先ほどのはずで、そうなると、ハルクはクレイが単純に自然魔術の教官だという理由だけでそんな行動をとったのかもしれない。
『自分の身くらい、頼むから自分で守ってくれ。お前を心配する人の気持ちもわかれ』
 クレイの瞳は、揺れていた。お世話焼きで、なんだかんだ心配性な彼だから、今回のことに私はあまり気負っていないのに、私よりも心配してくれたのかもしれない。
「わかってる……わ」
 本当はわかっていないのかもしれない。私はワガママばっかりでここまで来て、覚悟なんてものを全然知らない。
『お前は、普段のハルクを知っているか? ソイツは、元々こんな気が利くヤツじゃない。お前のケガに責任を感じて、昨日のことだって全部手引きした。それの意味がわかってるか?』
 初めて彼と出会った日、彼と依頼に行った最初の頃を振り返ってみると、確かにそうかもしれなかった。あの日、背負われて話したことに嘘はなかったとは思うけど、行動なにもかもから私を気遣ってくれていた。
「もし、私じゃない誰かがそうなったら……私も、そんな風に行動したい。できるわ」
 ここにいる三人はもう、ただの『昨日会った他人』じゃない。全員と何かしらの接点があって、全員に恩がある。
 向こうにいる人は、ユーリアと、コーネリアという人しか知らないけれど、みんなでなら守れるし、もし何かあっても、支えられる。
『そうか。……約束してくれ。これは、今回だけの話じゃない。これからもずっとだ。お前は俺と兄さんにとってかけがえのない存在だ。だから、絶対に無事でいてくれ。知らないところで、ケガなんてしないでくれ』
 お父さんは、私のこと構ってくれないくせに、なんて言えなかった。クレイの切実な想いが、尋常ではない彼の感情の揺れから感じられたから。
「……うん」
 頷くと、クレイは私の肩を引き寄せて抱きとめた。久々の彼の胸の中は、どこか懐かしくて、でもやっぱり昔とは違うにおいがした。
「お前らも、くれぐれも気をつけろよ」
 ずっとクレイは念話で話していたから他の人に彼の言葉は聞こえていないけど、私の返答と雰囲気でなんとなく内容を読み取っていたようで、みんないつもより神妙な面持ちで頷いた。
「本当は仲良しなんだね、クレイ先生と」
 ワンダ君の驚いたような興味津々な表情に、私は苦笑いで返した。
 改めて振り返るとちょっと恥ずかしい。別にただの叔父さんなわけで、異性とは言えど男女の感情はないけど、みんなの前で抱き合ってしまって。
「実際、二人は全然素っ気ないのに、クレイ先生、自分の話するときにいっつも君のことばっかりだったから、本当はすごい親密なんだろーな、とは思ってたんだ」
 ……ちょっと待て、それは知らないわよ。
 そうなると、ここ何年もの彼の態度は完全にわざとだったということで、なんだか嬉しいやら、悔しいやら、だ。
「あの人もあんまり素直じゃないわね……」
 愚痴に近い言葉だったけれど、彼に対して不満を抱いたことは、過去一度しかない。ちょっと意地悪なくらいが、心地よい昔からのクレイだったから。
「そんじゃ、準備出来次第、ここに集合で、よろしく」
 クレイの部屋を出て、一旦寮の広場に戻ってから、アインの言葉で解散する。
 自分の部屋に戻ると、ユーリアの荷物や私物が昨日からそのままなのが、やっぱり気になってしまう。
 きっと多分、帰ってくることはできると思うけれど……。
 事件が解決できるかは、わからない。私もそんなに複雑な依頼には行ったことがないから、いざ実際に現場に行ってみて、何ができるかわからない。
 みんなで全部解決しないまでも、まず一番に、帰ってくること、よね。


「イールさんっ待ってくださいっ」
 歩き始めた背後から飛んできた、か細いような声は、昨日や今朝に聞いたもので、私は思わずはにかんで振り返った。
 背丈より大きな木の杖を抱えた、小柄な少女。今朝も見た深い緑の髪は、綺麗に編まれている。
「あの、私も連れて行ってください!」
 見れば制服ではなくて着替えていたハイラは、そのつもりで追いかけてきたのだろうか。
 他の三人が振り返って、彼女も私たちの近くまで追いつき、一つ息をついて、しっかり私を見据えた。
「クレイバーン先生に聞きました。是非私も連れて行ってください! ……役には、立てないかもしれませんが」
 クレイが……。ということは、彼が私や彼女に気を遣って自ら伝えてくれたのだろう。
 控えめな彼女でも、しっかりその意思の強さが伝わってきて、私は首を振る。
「そんなことないわ。みんなも、いいよね?」
 覚悟はあるか、とか、聞くまでもなかった。ハイラの態度は昨日や今朝とは全く違うものだったから。
 三人に促すと、みんな頷いてくれたので、ハイラをもう一度見ると、彼女は明るく笑った。
「ありがとうございます! よろしく、お願いします」
 ぺこりと頭を下げて、集団に加わる。
 ワンダ君とは初対面だったから、二人とも軽く自己紹介をして、陽気な彼だから、すぐに彼女を馴染ませてくれた。
「ん、この辺かな。しばらくかかるけど、終わるまで入ってこないでね」
 寮を出て少し森の中を進んだところ、開けていて草が生えておらず、地面の露出したところに出た。
 言うなりアインは鞄から地図を引っ張り出して、時折ハルクに何か聞きながら魔法陣を描き始めた。
 そのスピードは清々しいほどのもので、直径3メートルほどの円形の中に、線だけでなく、魔法文字も書き込んでいく。
「すごい、ですね」
 私はアインに魔法陣をたくさん見せてもらったから驚きと言ったらそれほどでもなかったけど、初めて見るハイラは、彼の描く魔法陣に釘付けになっていた。
 転移魔術が難しいとされるのは、魔術のセンスや感覚だけでなく、経験の土地勘や計算が必要になってくるからだと聞いたことがある。
 距離が長くなれば長くなるほど、移送の間に生じる干渉は大きくなり、計算との誤差が発生してしまう。
 アインは、ハルクの手を借りることで、それを補っている。彼は勉強熱心な上に、依頼によく行くというから。
「……よし、こんなもんかな。準備ができたら中に入ってくれ」
 大きな円と、その中にびっしりと魔法文字で文章や指示を書き終えた。
 何のためらいもなく踏み込んだワンダ君とハルクに続いて、私とハイラは目を合わせた後、魔法陣をまたいだ。
「どこに出るか、何が起こるか、わからないから、覚悟はしておいてね」
 言って、最後にアインが円の内側に歩み入る。
 程なくして円全体が輝き始め、光の眩しさに目を閉じた。
 上空に出たら、風の魔力を展開する……。
 高鳴っていく鼓動の中、とりあえずそれだけ決めて、私は意識を集中させた。


 風が、空間の広さを教えてくれた。と、同時に落下感。
 目を開いたときには、もう下は見られないくらいのスピードで落下していて、私は何もできなかった。
 地面に、当たってしまう――!
 それだけが緊張を促して、ただ脳は鮮明になっていって、それでも身体は何の随意も受け付けない。
 しかし、思っていたよりも早く、それは訪れた。
 いや、それ、とは言えない予想外の感触だった。
 私の身体を包んだのは、温かくて、柔らかな何か。
 落ちた先に現れたそれが何なのか、全く検討もつかない。
 ふわふわとしたそれをかき分け顔を出すと、ハイラがびっくりしたような顔で座っていた。
「あ、イールさん……よかった」
 彼女ははにかんでそう言うと、私の方に寄ってきた。
「ハイラ、もしかしてこれ、あなたが?」
 今身体の下に感じているふわふわのものは、ときどき動いて、生きているように感じられる。
 召喚獣だと考えるのが一番妥当に直結する考えだった。
「シーメィシープだ。抗魔力の高い毛を持つ天獣で、召喚獣としてはポピュラー……だよな?」
 向こうの方から姿を見せたハルクがハイラに問いかける。
 ぶんぶんと頷く彼女を見ると、彼の言ったことは全て当たっていたようだった。
「よく、知ってるんですね」
 ビックリした顔のハイラに、ハルクは笑ってみせる。
「依頼でコイツらの毛刈りに駆り出されたことがあってな」
 座ってみれば胸まで埋まるような長くて柔らかい毛。
 その背中の上か、に今いるから、いまだにこの生き物が羊だという実感がない。
「どうしたの?」
 シーメィシープに語りかけるようにハイラが問うと、不意にその身体が揺らされた。
 メェ、と羊らしい鳴き声と共に、ゆさゆさと揺れて、私はとっさに毛をつかんで踏ん張る。
「あ……えっと、どうしよう」
 困ったようにハイラは私とハルクを交互に見る。
 首を傾げ返すと、彼女はうつむいた。


「う、わ、なんだコイツ」
 落ちる途中にちょうどよく柔らかな毛を持つ生き物につかまったのはいいが、ソイツが少し動くたびに静電気のように魔力が放出されているのだった。
 メェ、と鳴いて、振り落とされそうになるが、地上から大分離れているため、ここから落ちたら危険だ。
 両手が塞がっていて魔法陣も描けない。
 バチバチと音を立てて弾ける魔力が、痛みを誘う。
 意を決して手を離すか、どうにかして足をたどって地上に下りるか。
 この羊のような生き物に悪意はないのだろうが、仕方ない、俺も危険にさらされている。
「アイン!」
 背後からかけられた声になんとか振り返ったとき、不意に揺さぶられた手元に、つい片手が離れてしまう。
 よく滑り、弱そうな毛を片手に握るだけでは、すぐにでも落ちてしまいそうで、俺は離れた片手をもう一度伸ばす。
 ――が、そのタイミングで魔力が放出されて、手が離れる。
 しかし、背中から落ちた感触は、ふわり、としていた。
「あっぶねぇ。間一髪、だな」
 首を回して後ろを見ると、先ほどにも声をかけてきたワンダが背中を支えていた。
 ゆっくりと地に下り立って、ワンダと目を合わせる。
「助かった。……コイツ、なんなんだ?」
 見上げた生き物は、巨大な羊だった。
 先ほどまであんなに暴れるように身体を揺すっていたのに、今はのんきに草を食んでいる。
「背中にハルク達三人がいる。ハイラの召喚獣かもしれないな」
「なるほど。……にしても、ムカつくヤツだな」
 人を虫か何かと勘違いしてたんじゃないか。
 程なくして羊は足を折って座り込んで、ハルク達の姿をかすかながら見せた。


「あの、すいません……。くすぐったかった、みたいで」
 シーメィシープはひとしきり身体を揺らした後、座り込んで、私たちが地上に下りると、ワンダ君とアインがそこにはいた。
 どうやら身体を揺すっていたのは、アインを振り落とそうとしていたからだったようで、その理由も何てこともないことだった。
「はあ、まぁ、ワンダが助けてくれたからよかったんだけどね」
 地上から、のほほんとした表情のシーメィシープを見ると、その愛嬌に釘付けになる。
「でも、ありがとう、ハイラ。ハイラがこの子を召喚してくれなかったら、私はそのまま地面に落ちてたわ」
 光の粒を放って消え行くシーメィシープを見ながら、ハイラにお礼を言う。
 いざとなって、全然何もできそうになかったから……本当に助かった。
「いえいえ。それにしても……本当に、来れちゃいましたね」
 そう、そうだ。本来の目的を思い出して、私たちは町の方を見やった。
「シャーロの町に宿屋はひとつだ。早いところ行こう」
 すたすたと先を行くハルクについていく。
 この町に来たことがあるのは私たちの中で彼だけだったから、彼に案内される形で、町を歩いていく。
 やはり人の多くはない町でも、少しざわついていて、雰囲気に違和感を覚える。
 私服ながらに若い人が五人もまとまって歩いていると、このような市場のない町では少し浮く。
 事件のあった宿屋にたどり着くと、その建物の外に、宿泊者とみられる人たちがたむろしていた。
 その中に――。
「ユーリアッ!」
 丸一日会っていなかっただけだったけれど、心配していたこともあって、懐かしく感じる長い金髪の姿に、駆け寄っていく。
「イール! ハイラに、ハルク君たちまで。どうしたの?」
 少し疲れたような彼女の笑顔に、距離をとってしまう。
「私たち、ユーリアが心配で来たの。大丈夫? 何もなかった?」
 辺りを見渡してもケガ人らしき人は見当たらないし、彼女もなんとなく元気がないだけで、ケガをしているわけでもなさそうだった。
 はぁ、と溜め息をついたユーリアは、宿屋の建物をちらりと見て答えた。
「昨晩、泊まっていた人が襲われてそのまま連れ去られたんだけど、それ以来、何も起きてないの。警戒して起きてるのがバカみたいに」
 ユーリアや他の宿泊者に何もなかったというのはいいことだけど、一応事件を解決しに来た私たちにとっては、難しい知らせだった。
「でも、やっぱり魔力は拡散してるのね」
 魔術通信の繋がらない原因はそれだろうと踏んではいたが、きっとまだ残っているということは、事件はまだ終わってはいないということだ。
「一応依頼という名目で来てるんだ。どうにか事件を解決したいから、話を聞きたいんだが……」
「――ハルク様!?」
 ハルクがユーリアに声をかけている時、遠くから飛んできた、驚きをあらわにした声。
 さっと反射的にそちらを見ると、そこには燃えるような赤髪の、すらっとした少女が立っていた。
 と、ハルクが身構えるのがわかる。
 次の瞬間、彼女は猛ダッシュでこちらに寄ってきた。
「どうしてこちらにいらっしゃるのですか!」
 怒るでもなく、ただただ驚き、そして呆然としたような表情と声色で、彼女はハルクに突っかかった。
「……大事になってるかもしれないと思って、事件を解決しに来たんだ」
 彼は、なんだか物凄く面倒そうな表情をしていて……。
 もしかして、彼女が噂のコーネリアさん?
「そうですか……。あ、皆様、自己紹介が遅れました。私、コーネリア・サルファと申します。よろしくお願いいたします」
 女性としては結構高い身長。肩までの赤毛を半分お団子にしていて、きりっとした眉と爛々と輝く青の瞳が印象的な、綺麗な人だった。
 確かに、あまり嫌な人でもなさそうな気がするんだけど……。
「ネル、わかっていることだけでいいから、教えてくれ」
 ハルクもあまりいい表情はしていないながらに、自分から話しかけるくらいだし。
 少し疑問を抱えながら二人の会話を見ていると、アインが耳打ちしてきた。
「コーネリアちゃんはさ、なんて言うの、超献身的でさ。ハルクのためなら何でもやっちゃうーみたいなところあってね。別にいいって言うと、何のために存在すれば、とか言い出しちゃって」
 なるほど、どちらかと言うと恩に篤いハルクにとって、少しやりにくい相手なのだろう。
 二人の話を聞いていると、確かにほとんど何もわかっていないまま、また何も起こっていないことがわかった。
 襲われたのは、商人の男性。金や荷目当てではなかったようで、扉が派手に壊されていたにも関わらず、荷物や金庫に触れた形跡はないという。
 残っている血痕を見ると、生存している可能性は低く、しかし遺体ごと連れ去られているという。
 魔力が拡散していて魔術通信は繋がらず、列車も止まっているまま。
 それ以外に異常も事件もないという。
「変だな……。商人一人殺すのに、ここまで情報網を麻痺させなくてもいいだろう。ましてや、もっと穏便にやれるはずだ」
 ハルクの言葉に、みんな頷く。魔術師ならともかく、一介の商人なら、素人でも地味に殺せるレベルだろう。
 情報網を麻痺させるということは、遠くからの弾圧を避けることがまず大きな目的だろう。しかし、麻痺させるといっても、いつかは情報は届いてくる。隠蔽には使えないだろう。だから、犯人は、まだ何かたくらんでいる可能性が高い。
「見せしめ、とも考えられないかしら」
 聞いた限り、無駄に派手な犯行だ。
 他の誰かへの脅しになり得る悲惨さも持ち合わせている。しかし……。
「で、でも、それだったら情報は伝えさせた方がいいんじゃないですか?」
 ハイラの言う通り、だ。派手にやらかした後、目的の相手に伝える必要がある。
 どちらにせよ、今ある情報だけでは何も進みそうにないことは確かだった。
「私も調査してこようと思いまして、建物の中を見てきたのですが、やはり特にわかることはなくて」
 コーネリアさんの言葉に、一同が言葉もなく顔を合わせあった。
「はい、はい、提案。とりあえずこの町の人に、被害者と関係がある人がいないか聞き込まない? その見せしめっていうの、この近くの人に対してだったら、有効じゃないかな」
 ワンダ君が挙手して提案する。
 確かに、それが一番つじつまが合うような気もする。
 事情や細かいことは全くわからないから、事件の真相まではまだ何も見えない。
「コーネリア……さん、被害者の身元について細かいことはわかる?」
「ええと、中年の男性で、旅をしながら商売をする、行商人のようなことをしていたそうです。あとは……」
 空を仰ぎ見た彼女の言葉を継いでユーリアが口を開く。
「宿屋の食堂の人の話によると、商業ギルドの『朝露の葉』の人だったらしいわ。この町で人と待ち合わせをしていたらしいんだけど」
 商業ギルドは、商人たちの集まりで、情報や品物などを共有する団体だ。
 大きいもので有名なものはあるが、『朝露の葉』というのは初めて聞いた。
 これで被害者が狙われた理由の候補が、本人に関わることと、見せしめ、ギルドに関わることの三つになった。
「いずれにしても、情報が少なすぎるから、ワンダの言ったようにしよう。それほど広くはないといっても町一つ分だ、三つくらいに別れて行動しよう」
 ハルクの提案によって、私たちは一応襲われたときのことも考えて、三つのグループに別れた。
 ハルクとコーネリアさん、ワンダ君と私、ユーリアとアインとハイラ。
「俺とコーネリアは町の西に行く。ワンダとイールは南、他の三人は北を頼む」
 他の人と別れて、ワンダ君と共に南の方へ向かうことになった。
「よろしくね。……そだ、呼び捨てで呼んでい? 俺も呼び捨てで呼んで! その方が楽だし」
 屈託のない笑顔に、頷く。
 ワンダも、アインとはまた違った明るさや人懐こさを持っている。
 彼と共に、道行く人――は事件のせいか全然いないんだけど、や、民家を訪ねて情報を聞き出すが、みんな首を横に振るばかりだった。
「ん〜。やっぱ、その待ち合わせしてた人ってのに会えないと、手がかりはないかもだよなー。僕の予想では、見せしめの相手は待ち合わせしてた人で、その人はギルドの人ってとこなんだけど、イールは?」
「見せしめってだけじゃない可能性もあるんじゃないかと思い始めてきたわ。……被害者はまだ死んではいなくて、どこかで監禁されてる、とか」
 広範囲への見せしめ、というのがまず選択肢として大分薄くなっている以外に、何も手がかりがない。
 せめて関係がなくても、待ち合わせしていたという人に会えれば――。
 私たちは妙にひっそりとした町の中で、しばし立ち止まった。


「お前も、依頼だったのか?」
 みんなと別れ、自分たちが向かうのは、東に位置する宿屋から一番離れる西の地区。
 コーネリア――呼びにくいのでネルと呼んでいる、はいつものことだが終始ニコニコしていて、こんな時だから少し気持ち悪い。
「いえ、私は私用で。しかし、ユーリアさんが魔術通信で学校に伝えてくださったんです」
 この丁寧な言葉遣いを、彼女は会ったとき、つまりもう何年も前からしている。当時彼女も俺も子供とはっきり言える年齢であったにも関わらず。
「なるほどね。……事件より前に、何かおかしなところはあったか?」
 そうですね、と呟き、ネルは丁寧な動きで、先ほどと同じように空を仰ぎ見た。
 彼女の視線がしばらく空をなぞる。
「一番に、魔力拡散でしょうか。列車が止まったこととタイミングが合っているので、人為的なものと考えるのが妥当かと思います。あとは……」
 穏やかな彼女の目が、鋭く光った。
「私は、この町はあまりにも商人が来るには場違いのように思います。買うものも何もなければ、売る人も来ない。もしかしたら、だからこそ被害者の方はここで待ち合わせなどしたのかもしれませんが」
 コーネリアは、言うほど頭が切れるわけでも、魔術や武道の心得があるというわけでもない。
 しかし、彼女の柔らかな物腰や洗練された仕草から窺えるように、コーネリアにはきちんとした教養があり、冷静に物事を判断できる。
「被害者の方にやましいことがあった可能性も考えるか。だが、今のところ全てが憶測にすぎないから、結局は調べてみるしかないな」
 一応は状況を整理しておかないと、情報が一気に流れ込んできたときに混乱してしまう。
 しかし、あまりにも固定しすぎた推理や憶測は、偏見を産みかねない。
「はい」
 にっこりと微笑んだ彼女に、見慣れているのについ頬が緩む。
 アインには勘違いされているが、コーネリアのことが、嫌いというわけはないのだ。
 ただ、そう……苦手。やりにくい性格と立場の人間だからそう思うのだった。


「情報収集、とは言ったものの……。結局、待ち合わせの人を見つける以外に手がないんだろ? 俺、他にもやるべきことがあると思うんだよね。ちょっと魔力拡散について調べない?」
 アイン君とハイラと私の三人で別れた。
 アイン君にわざわざ女子二人を合わせるなんて、ちょっとどういうことかと思ったら、ハルク君が私を信用してのことらしい。
 今がそれほどお気楽な雰囲気でもないことも、起きっぱなしで私が疲れていることも、アイン君はわかっているだろうけど、ハイラのために気は抜けないな、と思った。
「どうやってやるんですか?」
 魔力拡散はちょっとした異常気象のようなもので、魔術や道具で人為的に起こされたり、強力な魔力を持つ魔物や、時には人の存在だけでも起きたりする。
 魔術通信などの魔力をそのまま飛ばすような魔術が、他の強い魔術や、異質な引力性を持っている魔力に引き寄せられて効力をなくしてしまうのが主に面倒な点。
「魔法陣は描き方によっては、魔力拡散に干渉されるような魔力の塊になり得る。しかも目に見えるわけだから、こーやって……」
 アイン君が魔術ペンでさっと描いた魔法陣が、空にふわっと消える。
 次々と描いていくと、だんだん微かにだけれど、その方向がわかってくる。
「追うのもできそうな気がする。魔術拡散はどうやって発動するのか知らないけど、引き寄せられてる先に行けば、原因が見つかるかもってね」
 長い睫毛を見せつけるようにウインクしてみて、アイン君は何でもないように空に魔法陣を描きながら先を歩きだした。
 私は速足でその横に並んで、覗き込む。
「思ってたより、頭がいいのね。……ううん、と言うよりは」
 言葉を言い切るより早く、アイン君が動いた。
 最初はこちらも見ずに頭に手をかけられて、気づけば彼のブロンドの髪が鼻にかかるくらい近くにあった。
「ユーリアちゃん、俺のことヤバいヤツだと思いすぎ。そんなに警戒されるとできることもできないって」
 冗談じゃない、と思うけど、確かに疑いすぎているのも事実だった。
「……。アイン君も、イールの面倒見てくれたの?」
 綺麗な彼の顔を見ていたいと思わないこともないけれど、ハイラの目もあるし、何より別にこんな形じゃなくたっていいから、一歩二歩下がって、問う。
 なんだかんだバタバタしていて聞けなかったけれど、イールの調子はほぼ完全に治ったようだったし、ここまで一緒に来たのだから、なんとなく関係はあったのだろう。
「うん、まぁちょっとね。あの子、結構意地っ張りなのに鈍感で、全然見てられなかったからさ」
 大体合ってる。イールは自分のことに一番気づけない不器用なタイプだと思う。
「そう、なの」
 そうと知れば、まだ少しは信用できる気がした。
 とは言っても、押しの弱いハイラを守る役目を担っているのは私だから、あまり油断もできない。
「あはは。まぁ、わざわざ君みたいな腕が立つ子の前で変なコトはしないよ。約束する」
 少し疑いを交えて睨み付けると、彼はそれを爽やかに笑い飛ばした。
 ……なんだか、タフな男だ。自分の外見の良さを武器に使う方法をかなり心得ている。
 後ろで佇むハイラがオドオドし始めたので、彼女にひとつ笑いかけてから、アイン君に突っかかるのはもうやめた。
 通りかかる民家を訪ねては事件について聞き、魔法陣を追ってまた進む。
 退屈ではあるけれど、人が死んでいる――または、かもしれない――状況からか、変な緊張感もあって気が緩まない。
 変わらず飄々としたアイン君の背中をじっと睨み付けながら、もう長いこと歩いた頃。
「ここらへんに、何かあるかも」
 急に足を止めてぽつりと呟いた彼の手元の魔法陣は、白く霧のように辺りに消えた。
「……って言っても」
 その場所は、何の変哲もない、町を外れかけた森の一角。目に見えて何かがあるというわけではない。
「ん〜。わかんないなー。拡散してるせいで全然魔力が読み取れない」
 頭をかきながら辺りを見回したアイン君と目が合ったけど、私も肩をすくめた。
 膝をついて芝をじっと見つめたハイラが、あっ、と声を上げた。何か見つけたのかと思ったら、彼女が珍しく杖から手を離していた。というよりはむしろ、杖が彼女の手から離れていて。
 瞬間、杖から目眩ましのような眩しい光が放たれた。
 反射的に目をつぶり、収まった頃に開けると――。栗色の髪の、背の高い青年が、その杖を握っていた。
「珍しいな。今は自然魔術性の魔力拡散もできるものなのか? この地面の下、いや全体が魔力を引き付けているようだ」
 杖の先で地面をつつきながら、こちらには目もくれず、ハイラの方を向いてそう呟く。
「あ、ああああの、この方、契約はしていないんですが私の召喚獣……? です」
 ハイラがワタワタしながら私たちに弁明をしていると、彼は何か詠唱を始め、耳を傾ける前に終えてしまった。
 音もなく、しかし確実に空気が変わった。
「ふむ。カモフラージュはしやすいが、解術は至って単純のようだな」
 隣でアイン君が魔法陣を描いたけど、それは先ほどまでとは違って、その場に留まった。
 この一瞬で、この魔術を解除した魔術師……。召喚獣って言ったって、人間のようだし、自分の意思で出てきたようだし。
「アンタ一体……」
 アイン君が問おうとしたときに、その彼はハイラの元へと歩み寄った。
「手助けをするつもりはなかったんだがな。面白いものを見ると出てきたくなってしまう。また、会うことがあれば。さらば、ハイラ嬢」
 軽く彼女をハグして、押し付けるように杖を渡したら、いつの間にか彼の姿はなくなっていた。
 立ちすくむ私とアイン君と、座り込んでまた呆然とするハイラ。
「……ま、とりあえず魔力拡散が解決できたから、細かいことは気にしないことにするか。――それより、感じない? ヤバい、魔力」
 アイン君は佇んだまま、何とも言えない微笑を浮かべた。
 私もハイラも、同じようにして頷くほかなかった。


「……あんなこと言うってことは、彼女も危ないわ。ここで見張って――」
「それじゃ僕らも危険かもしれない。できれば、イール、君がみんなを連れてきてほしい」
 物事が急に進展した今、町の中を歩くのには、やはり不安を感じる。
 しかし、やらなければならない。そう思ったから、ワンダの言葉に頷き、走り出した。
「僕の風を連れていきな! 速く走れるから」
 ふわりと包んだ風に押されて、驚くほど身体が軽い。
 とにかく、急ぐ気持ちが強かった。彼にも、彼女にも、何かあったらと思うと、いてもたってもいられなくなった。


「ネル、お前の魔術は治癒系だったな」
「……はい、そうです」
 怪しい魔力に包まれ、とてもじゃないが、危機を感じずにはいられなくなった。
 怪我ももう治ったし、上手く立ち回れる自信がある。
 辺りを警戒しながら、剣の柄に右手を添える。
 魔力拡散が解除されたから、誰かが何かをしたのは確実だったが、それが敵の所業か、味方の所業かはわからなかった。
 分かれて調査することを提案したのは自分だが、少しその方法に後悔する。
 離れた味方と通信する手段を持っているユーリアとハイラをかためてしまった。現状を他の誰かと共有することも、助けを求めることも難しい。
 とりあえず、コーネリアは自分の身は守ることができる、という前提で構成を考えていく。
 治癒魔術は傷を塞ぐことはできても、治すことは魔術自体ではできないに等しい。しかし、傷を塞ぐことができれば、どんなにダメージを受けても、ある程度は強行突破ができる。
 幸い自分の魔術は最もオーソドックスで、様々な武器、魔術の相手に相性の良いものだ。驕ることほど危険なことはないが、相手の特性を天に願うことをしなくて済む。
「ひとまずは自分の身を守ってくれ。場合によっては俺が捨て身に出る。そのときは治癒を頼む」
 俺が捨て身に出る、というのが気に入らないのか、しぶしぶだが、コーネリアは頷く。
 それが二人分の魔術を合わせても最も激しい攻撃となるであろうことを、彼女はわかっているだろう。
 覚悟を決めて、瞼を落とす。
 微細な気配の動きに集中させて、敵の素早い一撃に備える。
 ――今度こそは、守ってみせる。自分も、その側にいる人も。



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