Argento - ep.04「不穏なモノ - resultant」
--------------------


 アインも俺も、大して自信があるというわけはなかった。勿論、先ほどの剣士に勝てる自信という意味でも、上手く解決する自信という意味でも。
 アインは横着したがりだが頭だけは無駄に使う。そんな彼が、思索をせずに大丈夫と言い張ってみせたのは、何も考えていない証拠だった。
「お前さ、誰か怪我したりしたらどうするんだ?」
 無茶をして被害を被るのは決まって他人の方だ。俺たちがやると言って引き受けたことが原因で、イール達に何かあったら。
「今更なーに考えてんの。キミだって今から手を引こうだなんてこれっぽっちも思ってないくせに。――今は頑張るしかないでしょ。魔術の力は無限大だ、自分たちにだってその限界はわかってないはずだ。ま、自分を信じるしかないでしょ」
 ……お気楽なヤツめ。無責任な発言にムッとして睨むと、また楽天的な笑顔で流された。
 俺だってあの剣士――聞いたところによると、世紀の大剣士であり大悪党のノラ=リンギットとの交戦でそれなりに消耗している。今から彼とまたやり合ったところで、勝算が増えるわけもない。
 線路沿いに、静まり返って、奇妙に恐ろしくも感じられる街の郊外を歩く。今は事件が起きているということもあるだろうが、ここ、シャーロの街の郊外は無人で、魔物除けの結界内だとは思えないくらいだった。
 サクサクと草を踏む音と、今だけは呑気には聞こえない、自然の風の音が不思議な緊張感を生む。
 まだ、特に魔力に変化は――。
 そう確認した矢先、アインがふと立ち止まった。
「この魔力……まさか」
 その真剣な表情に、俺も意識を集中させてみるが、何も感じ取ることはできない。
 彼は、もう一歩踏み出してから、一つ頷いて言った。
「ドラゴンの魔力を感じる」
 人間から見ても、魔物や動物から見ても、並外れた魔力と知性、そして剛強な肉体を持つ稀少な生物だ。精霊の次に魔力の扱いが上手いとされるその種は、なかなか人前には姿を現さないことで知られる。
「……なんでそんなの知ってるんだ」
 元々魔力を嗅ぎ分けるのに並外れた能力を持っているアインだが、ドラゴンなんてもの、普通の人じゃ見かけることすらできないものだ。
「ん、あぁ。ドラゴンの血っていうの、強い薬効があるんだけど、あれを飲んだことがあるんだよね」
 またそんな貴重そうな薬を……と思いながら、アインが気にする方向を見やる。
 線路近くか、線路上か。もしかしたら、ドラゴンが列車の運休に関係している可能性もある。
 覚悟を決めて進んでいこうとしたところで、右手の物寂しさに気がつく。
「そうだ、アイン、剣生成できたりするか」
「えー、基本形は知ってるけど、やったことあんまりないよ」
 ふむ、と考える。どちらにせよ、それほど重要ではないから……いいだろう。
「じゃ、アーロアの第二パターンの織り込みは」
「なんだそれ。……あー、もしかして、エンチャントってやつ? 魔力完全展開するから、自分でやってくれ」
 無茶苦茶言いやがる。まぁ、アインもアインで、別に万能というわけではないから仕方がない。剣が折られるなんて思ってもいなかったから、調達の方法なんて考えてもいないし。
 さっとアインが描き始めた陣が、溢れんばかりの光を放つ。さらりと高度な技術である魔力の完全展開をするなんて、末恐ろしいやつだ。とにかく、そこに手を突っ込んで、――俺も見よう見まねだが――織り込み式のエンチャントを組んでいく。なんとか、上手くいきそうだ。
「よし、いいぞ」
 完成した織り込みが畳まれるようにして形を成す。陣の中から出てきた剣は、俺が以前使っていたのとほとんど同じ形をしていた。
 一振りして、感触を確かめる。なかなかのものだ。さすが、アイン。
「助かった、ありがとう」
「どーいたしまして。……さて、見に行きましょうかね」
 一応警戒しながら道を進む。確かに、徐々に強大な魔力を感じる。
 見えてきたのは、赤黒い鱗に覆われた巨大な身体を持つ、ドラゴンだった。
 大きさ的には、まだリアリティがあるから……ドラゴンとしては、小さい方かもしれない。わからないが。
 荒く息を吐くその生き物を見据えて――気づく。
「コイツ……召還獣だな」
「信じがたいけど、そうだろうね」
 召還獣に独特の、二つが混ざり合った魔力を感じる。それは、術者と召還獣のものだが、術者の方もとんでもなく大きいと感じられる。
「まあそれなら、いくら稀少な生き物でも、全力でボコっていいってコトでしょ」
 魔術ペンで陣を描き始めながら、アインは笑った。そして、彼がこちらを見て、目が合った途端が、合図となる。
 魔法陣が発動して、属性魔術の高威力のものが砲射される。
 俺はそれと共に、ドラゴンの足下まで走っていく。
 ドラゴンは咆哮をしつつもこちらに敵意を示していなかったが、こちらが魔術を使い始めたと同時に、再度吼え、大きな足で足踏みをして地を揺らした。
 ヤツの瞳はアインを見ている。初動で大きな魔術を撃つのはハイリスクだが……時間もさほどあるわけではない。
「安らかなれば大海、荒れなんは氷槍、我が魔力は"怒り"なり」
 瞬時に魔力で氷の槍を生成し、肥大化、硬化。
 冷気にドラゴンの頭が振り向くと同時に、その瞳めがけて投射した。
 ギリギリのところで、鋭い爪の足に蹴られそうになり、地を転がって回避する。
 おぞましい鳴き声が、魔術が命中したことを告げる。しかし、まだまだ。ドラゴンの動きは元気そのものだった。
 アインの魔術砲火に喘ぎつつも、大きな瞳で俺を捉える。何かくる、と思った時には、既にドラゴンの口からは炎が噴き出していた。
「クッソ!」
 魔力で生成しているといっても、極めて自然のものに近い炎。風で逸らしたため、大部分は避けられたが、上着の裾が焦げた。
 隙のできたドラゴンに、こちらも魔術を撃ち込む準備をするが、案外に相手は早くクールダウンして、次の攻撃に入る。
 襲い掛かってくる――と思った時、ドラゴンの顔に横から大きな雪の塊が飛んできた。アインは、いち早く隙に気づいていたようだ。
「そう簡単にはやられないだろうけど、気をつけろよ! ハルクがケガしたら、コーネリアちゃんが病んじまう」
 ……冗談じゃないぞ。お気楽男め。
 コーネリアが手のつけられない状態になって迷惑被るのは、こっちの方だ。まぁ、様々な意味で、だが。
 ドラゴンに有効な属性は、知られていない。唯一、炎の魔術を使ってくるため、氷ならば反撃に利用されることもないし、弱点なのではないか、というのは有名な話で。
 しかし……正直なところ、魔術の撃ち合いでは、消耗も激しく、勝ててもほぼ相打ちになってしまう。
「アイン! 送還とか使えないのか」
「できたらやってるよ」
 召還術に長けている人ならば、もしかしたらとは思うが、送還は非常に高度な術でもあるから、ハイラですらできないだろう。
 頭を使うんだ、頭……。
 距離をとった俺たちを、ドラゴンは見据えている。荒い鼻息と熱気がまだ伝わってくる。
 そもそも俺たちは、アレを倒すのが目的ではない。列車運休の原因を探して、それを潰すことが目的だ。
 しかし――。
 先ほど、ドラゴンの足下に行ったときの風景を思い出すと、コイツは、線路の上に鎮座しているのだった。
 アレを動かすか、倒すか。それをしなければならない。
 見たところ、そういう命令なのか、線路の上からは動こうとしない。遠距離での魔術の撃ち合いの方がいいのかもしれないが――それは、先ほども考えたとおり、だった。
「あ、俺、いいこと思いついた。……こういうの、どう?」
 アインが策を説明してくれる。できるのか? と思う内容だったが……彼の自信は、たいてい現実的なものだ。
 剣を握り締める。早いところ、片付けなければ。イール達が心配なのも事実だ。
「いくぞ、アイン!」


 何も起こらなさすぎて怖い、というのはこのことだろう。商人の奥さんの護衛のために残った私たちは、拠点を築いた後、特にこれといった動向もない。沈黙の中どれだけの時が過ぎただろう。
 ハイラの召還獣――フォル=ベールと呼ばれる犬の姿をした天獣すらも退屈そうに寝そべっている。
 日はすっかり落ち、その前に私はマントのフードを深くかぶっていた。夜空はすっきりと晴れ、群青の中に白い月が浮かんでいた。
 髪のことを唯一知るユーリアは、心配そうな視線を送ってきたりもしたけど、大丈夫。むしろ、今ならば魔力が無限に使えるかもしれない。コーネリアにもらったとはいえ、空っぽのような状態だったのが、既に満ち溢れていたのが、その証拠だ。
 布陣は、ワンダ、コーネリアと私が、奥さんの隣で、拠点の中に座り、ハイラとユーリアで周囲を警戒する形。
 一応、ハルク達と別れる前に、駅員に話を聞いたけれど、線路の故障なのか、何なのかわからないが、とにかく線路沿いが危険な状態にあるということしかわからなかった。
 ざわざわと風が通り抜け、木々が揺れる。木々の魔力は、そう――言うなれば、どよめいていた。
「――ッ!?」
 カラン、という乾いた音と、息を飲む音がした。
 その襲撃は、思っていたよりも突然だった。音もなく現れ、ハイラの後ろにつき、首をとるところまで、何も見ることすらできなかった。
 息を飲んだハイラと私との距離は、歩いて数歩ほど。彼女と共に拠点の外を守っていたユーリアが、大槌を構える。
 ハイラの召還獣が彼女に向かうが、彼女の首に剣を当てた男は、目にもとまらぬ速さで移動する。これが、コーネリアの言っていた歩術……!
 敵――黒いマントに鎧の剣士は、ニヤリと笑った。私がそれを見て歯を食いしばったとき、突風が吹いた。ワンダの魔術だ。
 しかし、その剣士、ノラ=リンギットは、ハイラを抱えたまま瞬時に移動をして避ける。ワンダが繰り返し断続的に攻撃を仕掛けるが、ことごとくかわされている。
「イ、イールさんっ」
 ハイラは泣きそうだった。不穏な笑みを浮かべたリンギットは、彼女に危害を加える気はなさそうだったが、いかんせん、手前に彼女を構えているから、むやみに攻撃をできない。その上、辺りを照らすものは月明かりのみ。視界が悪くて上手く追うことができていない。
「気にしないで、ハイラ! 僕の風は君を避けるから」
 風を集めながら、ワンダが言う。しかし、コーネリアはもとより、私やユーリアでは迂闊に手が出せない。
 ワンダとリンギットの攻防――というより、追いかけっこを、ただ呆然と見ていることしかできない。
「おいおいにーちゃん。あんま暴れると、駅壊れるぜ?」
 駅の屋根の上を跳び回るリンギットの後をワンダは確実に捉えるが、彼の言うとおり、屋根が吹き飛びそうになっている。
 ッチ、と彼らしくもなく舌打ちをしたワンダは、今度は自らリンギットに向かっていく。
「まぁ落ち着けって。俺はこの嬢ちゃんに何かしようってんじゃないんだ。――ただ、そこの奥様に用があってね」
「そんなこと、わかってるッ!」
 風を纏って超人的な高さを跳び、リンギットの腹に蹴りを叩き込もうとするが、歩術で逃げられる。自ら宙を舞ったワンダは、マフラーをはためかせ、上手に体勢を整える。
 リンギットは、剣を抜いていない。しかし、彼を追いかけ続けるだけでは埒があかないだろう。
「ふむ、あの坊ちゃんはいないんだな。予想通りだが――っつ!」
 遠くの屋根に身を移したリンギットが私たちを見回した後……ハイラを、放り投げた。リンギットの身体に、ツタのようなものが巻きつく。そこで彼は初めて剣を抜いた。
「ハイラ!」
 三階ほどの高さの屋根から落下する無防備な彼女の身体を、ワンダが追う。……こっちは大丈夫、見てる場合じゃない。
 そう思っている間に、ユーリアが動いていた。
「翔脚っ」
 鎚を振り回して地面を叩く。瞬間、魔法陣が輝き、爆発の勢いで高く跳び上がる。
 リンギットが剣でツタを切り捨て終わったところに、ユーリアが突っ込んだ。
「風塵連打!」
 再度魔法陣が光り、遠心力で二、三度回る。そのうちの一撃がリンギットに回避を許さず、剣と鎚がぶつかり合った。と、同時に、爆発。これが、ユーリアの魔術。
 ワンダがハイラを抱えて、私たちのところへ戻ってくる。彼女はケガなどはしていないようだったが、新しく召還するために、フォル=ベールは召還が解除されてしまった。依然、ユーリアがリンギットと交戦を続ける。
「奥様、イールさん、ワンダさん、伏せてください」
 コーネリアが早口で告げる。そして、防御魔術を詠唱する。壁が発動したギリギリのところで、魔術が飛んできた。
 背後ではユーリアとリンギットが、そしてこちらでは、新たな敵が現れた。
「小屋で会ったヤツだ……」
 殺し屋の魔術師。姿を現したのは、黒の装束に身を包んだ男だった。
「嬢ちゃん、ちょい飛ばしすぎたねぇ」
「きゃあ!」
 ユーリアが、リンギットに押されている。リンギットの大剣に彼女の鎚が弾かれ、一階分飛ばされていた。
「ユーリア……っ」
 彼女の方に向かっていこうとしたところで、肩を押さえられる。振り向けば、ワンダだった。
「今は僕から離れないで」
 そう、だ。今強い戦力となるのは、ユーリアとワンダのみ。私たちだけでは、対抗して耐えることすらできるか危うい。
 ――それならば、やはり。目の前の敵に立ち向かうことに集中しないと。
 ワンダの立ち上がって魔術師に向かっていく背中を見ながら、私も立ち上がる。
 コーネリアは、ワンダをちらりと振り返り、前を譲った。彼女自身も、自分の力をわかっているのだろう。
 ワンダが風を纏って走っていく。彼を支援するために、私も詠唱をする。
「集闇、樹上の舞!」
 男の背後に、急成長した木々の壁を作り、逃げ場をなくす。突っ込んでいくワンダと共に、挟み込む形を作った。
 しかし彼は、それにたじろぎも、ましてや逃げようともせず、構えた。
「銀の月、墜ちる――」
 そういう風に聞こえた。その聞き覚えのない詠唱は、私の身体に異変をもたらした。
「っう、あっ!」
 がくんと膝をつき、ついで支えられなくなり、肩から崩れる。魔力の欠乏と似たその状態に、フードに手をかけ頭をさらすが、身体中を巡る魔力の反発のようなものはより酷くなった。
 苦しい。息をすることさえままならない。地に寝そべっているのはわかるのに、ぐるぐると回っている感覚。
「はぁあ!」
 ワンダが応戦する声だけが、耳の奥の方で聞こえた。しかし、それに集中すると意識が飛びそうになる。
 どこまでがどの感覚かわからないまま、不意に誰かが私の頭を抱えた。
「イールさん……」
 優しく撫でながら声をかけてくれたのは、コーネリアのようだった。目は開くことがままならない。せめて心の中でお礼を言った。
 しばらく何もできなかった。遠くでみんなの声がすることはわかったのだが。
「ネル! 解術を一緒にやってくれないか」
 いきなり耳に飛び込んできたのは、聞き慣れた彼の声だった。けれど、どうして……。
 しばらくして、嘘のように状態が収まる。顔を上げたところには、コーネリアが心配そうに覗き込んでいた。
 そして、遠くには、ワンダと並んでハルク。折られたはずの剣を片手に、男と対峙していた。
「もう大丈夫なのですか? ご無理はなさらず」
 身体を起こすと、コーネリアがそれを支えてくれる。けれど、本当に嘘みたいに正常に戻っていた。
「もちろんよ。心配ないわ」
 まず、状況を把握するのに頭を使う。目の前の敵は、ワンダとハルクが対応している。私は、たぶんハルクの解術であの変な術から逃れた。背後を見れば、ユーリアの前にアインが立っていた。
「線路は直してきた。お前らを足止めしさえすればいいってワケだ」
 得意気にハルクが宣言するが、彼の表情に余裕はない。敵が大変な相手だと、わかっている。
「やるわね、ハルクもアインも」
 完全に立ち上がって、二人に目配せをする。こちらが優勢になるのは、このまま耐えられれば時間の問題だ。このとてつもない相手に耐えられれば、だが。
「坊ちゃんよお、時間もないことだし、決着つけるとするか?」
 黒ずくめの魔術師のそばに現れたリンギットは、そう言ってハルクを見据えた。顔には、怪しげな笑みを浮かべて。
「あぁ。望むところだ。――さて、名乗りがまだだったな。俺はハルク・イーネス。ヨルデルの魔術学校の生徒だ」
 ハルクはなおも余裕そうな、しかし真剣な表情で答える。リンギットを追いかけてきたアインと、彼との交戦で消耗しながらも戦意を保つユーリアを、ハルク自身が制止した。
「イーネスったぁ、本当に坊ちゃんじゃねぇか。俺は知っての通り、フリーの傭兵のノラ=リンギットさ」
 二人の対峙は、睨み合いというよりむしろ、楽しそうにも見えて。一度剣を交えた同士は、同様に笑った。
「リンギットは俺が相手する。お前らはアイツを頼む」
 そんなヤツを一人でなんて、無茶を言う、とは思うけれど、ハルクにもリンギットにも、誰にも邪魔されたくないという思いがあるようだった。それに、黒衣の魔術師はそのやり取りを見つつ私たちを窺っている。ハルクの言ったとおりにするほかなかった。
「イール。君は、アイツの魔術に気をつけた方がいいみたいだ。アイツが君をピンポイントで狙ってくる可能性も高い」
 ワンダが私の前に立ちはだかって、魔術師を見据える。解術ができるとわかってはいるが、肝心のハルクはリンギットを相手にしている。またあの魔術を使われたら、私はとにかく足手まといになる。
「それに関しては、俺に任せな? 解術は下手だけど、無効化ならできる。イールちゃん、俺から離れないで」
 後ろからやってきたアインにウインクを送られる。こんなときに余裕な、とは思うけれど、そう言ってる暇もない。
 あの術に警戒しながら、月の魔力を使ってなるべく役に立ちたい……!
 先ほど発動した木の壁は既に消え去っていたから、少し考える。
 自然魔術は、もともと攻撃にはあまり長けない。属性魔術の魔術砲火のような、魔力の量そのものが威力になるような魔術としては使えない。
 しかし、攻撃以外ならどうだろう。自然魔術の中でも特に月――空の第二属性の魔術は、治癒や援護系が多い。私には高度なものは扱えないし、魔力の効率はいいとは言えないが、こちらの方が役に立てそうな気もする。
 ちらりと、風になびくワンダのマフラーが目に入る。そうだ、まずは……。
「集風、押し進め、追い風!」
 びゅう、とぬるい風が吹き、ワンダの周りの空気があらぶって動く。動き回る風は、静止した空気よりも、より自然魔術の魔力に近い。ワンダがそれを操るのも易くなる。
 それに気がついたワンダが、私を振り向いてにっと笑う。目線を交わし合った直後、彼と黒の魔術師が同時に動いた。
「――十二の二節。……の……」
 見れば、アインも真剣そのものといった表情で、あれほど省略にこだわっていた詠唱をぶつぶつとしながら恐るべき速さで魔法陣を描いていた。しかも、両の手で同時に違ったものを。
 次々と発動し光を放つアインの魔法陣。そして、向こうでは、ワンダの風の刃と魔術師の短剣が鍔迫り合いをしている。
 魔術師の唇がかすかに動いたかと思うと、ワンダが発生した爆発に巻き込まれ吹き飛ばされる。しかし、彼は上手くその勢いによって生じた風を踏んで体勢を整える。
「天界の門番、禍々しき牙爪を持つ掟の外者。我が名は天の眷属のもの。声に応えよ!」
 よっぽど高負荷の召還なのか、ハイラは詠唱しながら肩で息をしている。詠唱を終え現れたのは、大きな銀色の狼。いかにも強力そうである。
 コーネリアはユーリアの治癒に徹している。前衛にワンダとハイラの召還獣、後衛に私とアインという布陣。
 銀狼が魔術師に向かって駆けるが、魔術師はそれに向けて風の刃を断続的にぶつける。
 前にワンダと対峙したときも風属性で逃げたと聞くし、彼は風属性を得意とする可能性が高い。しかし、属性魔術の風と自然魔術の風では、圧倒的に自然魔術が強い。自然魔術はいかなる風も操ることができるから、全てがワンダの手の内に渡る可能性がある。
 だから、さっきから窺うような仕草ばかりしているのか。
 アインは魔法陣で援護魔術の重ねがけをしている。攻撃はしていないから、今魔術師を攻撃しているのは狼とワンダのみ。
 それをかわされ続けていると言うならば。
「集光、空の第二属性。水を統べる月の光、我が魔力に応じて集え。裁きの光矢、ルナーライン!」
 凝縮に魔力を要す自然魔術の魔術砲火攻撃。集中の手間はあれど、月からの満ち溢れる魔力が、これを苦としない。
 青白い光が魔術師に向かうが、彼は一歩下がってまた詠唱した。――と言うよりも、
「墜ちろ!」
 叫んだ。光の矢は粒となって消え去る。私の方は、アインの魔力無効化によって無事だが……。
「何、あれ……」
 解術ではない。無効化であれほどの魔力の塊を防ぐことは難しい。何よりも、先ほど私の身体に異変をもたらしたものと、おそらく同じなのだ。
「月の魔術は諦めるしかないみたいだね。……さてと」
 手を一旦止めて再度無効化をかけてくれるアインは、くるりと魔術ペンを一度回した。
「派手に行くよ、覚悟しといて」
 私の魔術を防いだ魔術師は、突っ込んでいき近接戦闘を続ける仲間たちによっておさえられている。そして、アインが彼の前方に並べた魔法陣全てに発動を書き加えた。
 瞬間、言うなれば花火のように色とりどりな光が魔術師に向かう。気がついたワンダと狼は距離をとり、魔術師は――。
「放射された線は断ち切られ、点となる」
 それが起きる前に、アインはふうん、と不機嫌そうに漏らした。
 アインの魔法陣から発生した魔術の砲火弾幕は、魔術師の言葉通りにぱっと散って消えてしまった。
 しかしアインは臆することなく、手を動かした。魔術ペンをしまい、何かごそごそとやっている。
「イールちゃん、ちょっと紙をばらまくから、アイツのとこまで飛ばしてもらえる?」
 彼の左手に納められたくしゃくしゃの紙片。私は彼の本意がわからないままに、頷く。
 アインが左手を振り、紙がひらひらと舞う。
「――集風」
 私は、少しだけ試してみた。ワンダの言うように、これだけで風を操れるのか。
 ばっと吹いた風は、ちょっとした紙吹雪を乗せて、魔術師へと向かう。
 しかし、見ていないうちにあちらも行動をしていた。
 彼に切りかかっていたワンダに、魔術師がそれをそのまま利用して反撃をする。風には必ず流れがある。それがワンダの方に向かっているところに、短剣を滑り込ませたのだ。
 ワンダの左わき腹あたりに、魔術師の短剣が入る。かすかに、血が飛んだのが見える。
 そこに、私とアインの紙吹雪が向かった。ワンダをまいた魔術師は、それに対抗して風を起こそうと試みたのだろうが、それよりも少し早くアインの魔法陣が発動する。
 光と爆発の後、燃えながら舞う紙片が見えたのみ。
 ぱらぱらと地に落ちたそれらの辺りには、魔術師の姿はない。
 魔術砲火をするにおいて、近衛を下げなければならないのが裏目に出たのだ。くい止める者がなく、転移を許してしまった。
 一体、どこに――? 一同が警戒したまま姿を探し視線を走らせたとき。
 私をなぎ倒した影が一つ。鮮血を散らして、同じ方向に倒れてきたそれを私はなんとか受け止める。
「……! 集闇、大地の盾」
 金髪頭を思いきり引き寄せて、間一髪で守りきる。考えてる暇なんて、ない。
「我らが母なる大地の同胞ら、力を貸したまえ」
 大地の盾のせいで、何も敵のことが窺えない。私は、目をつぶっていた。祈るようにアインの襟元をきゅっと握って。
「悪しきに汚されし故郷の上、安寧のため、どうか」
 "怒りたまえ"。
 それは声にならなかった。地の魔力に、まるで阻止されたかのようだった。
 しかし、地は鳴る。まさに怒るように、響き、揺れた。エネルギーが集まるのがわかる。
 祈るばかりだった。つぶった目は開けられなかったが、それは恐怖から以外の何でもない。
 荒れ狂う大地が順調に高まりつつあるとき、震えた熱い指が、髪に触れた。
 弾かれたように目を開ける。頭越しに、アインが手を伸ばしていた。そして、私は彼がこんな状態でなお魔法陣を描くのを見た。
『――月に縛られた子よ、その運命、嘆くがいい』
 低く遠くから聞こえるような声。違う。これは念話だ、と認識したときには。
 先ほどと同じ。二度目だからわかる。これは、魔力を急激に抜かれているんだ。普通の人ならば、一瞬で気絶する。しかし、私は同じように急激に入り込んでくる。それが身体の異変として訪れたのだ。
 手放すことのできない苦痛に堪えるために再度目をつぶったとき。
「……イール、ちゃん。ちょっと許して」
 私の手を手探りで握ったアインは、おかしな行動に出た。それを理解しようとする間に、身体は楽になり、意識を手放した。


 リンギットと向き合ったとき、自分でも驚くほど静かに興奮していた。それは、全てがここで終わりを迎えることへの期待と不安のようでもあった。
 二度目の交戦だが、彼は常識外れの歩術を多用しなかった。また俺のつけた手首の傷によって、逆構えになっているにも関わらず、剣の重さは変わらないどころか、むしろ重い。ヤツも本気なのだ。
「ひょろいのにタフなんだなぁ、お前」
「お前も、デカいのに速いんだな」
 皮肉を言う余裕があるというわけではないが、売り言葉に買い言葉を言ってしまうのは悪いクセだ。
「はは、まぁ理由は同じだろうな」
 ぶん、と質量を感じさせる低い音を立てて、大剣をひとつ振った。
「そうだな。――鍛えてるからな、ってトコかッ」
 再び明らかにこちらの不利な鍔迫り合いになる。喋っているときでも容赦がない。むしろこの口数の多さも作戦のうちなのでは、と思うほどだ。
 アインの生成した剣は、折れたりひびすら入る気配がない。アイツの要領の良さには感服だ。
 集中してはいるが、やはりリンギットの振りを直接受け止めるのは負担が大きすぎる。しかし、何度も繰り返すうちに抜け出し方を見抜かれやすくなっているのも事実だ。
 剣士としては劣りに劣っている。ならば。
「…………」
 剣を滑らせて切り抜けるようにフェイントをしながら、無詠唱の魔術を組み立てる。演技に失敗してはいけない――。
 そして、あえてリンギットの剣先の方に剣を滑らせる。交わった二つが離れる瞬間が、合図だ。
 左前方から迫ってくる刃。それに怯むことなく、作戦通りにやる。
 金属のこすれ合う音が、高くとぎれた瞬間。足下で風と火の複合属性魔術が弾ける。下半身からひらりと宙に舞い、一回転してリンギットの頭上に出る。
 ここも、詠唱の暇がない、か。唇を噛み締める。リンギットも驚きつつも笑んでいる。
 イールとの依頼のときに繰り出した風の突きの簡易版――無詠唱ではそれでしかできない、で素早く降下する。
 リンギットの戦場で洗練された目は、捉えきれないまでも反射で動いていた。ここからは、俺の実力次第。
 振り切ってしまった剣を振りかぶるのは間に合わない。篭手で受け流そうと腕を掲げたリンギットを見据える。
 風のある状態で照準まで合わせるのは至難の業だ。しかし集中する。篭手に流されなければなんでもいいのだ。
 接触するほんの一瞬前、身体を捻る。剣先は、カツンという音を立てて、篭手に垂直に近い方の角度で当たった。
 来た――。その感触が伝わったときには、爆発が煙をあげていた。
 無詠唱の三つ目。ほぼ反射で扱うことのできる爆発の魔術だ。
 その勢いでもう一度宙に舞い、ゆっくり風を利用して地に着く。しかし、油断してはならない。爆発は確実に命中したといっても、反射で扱える爆発程度では金属の鎧の下には衝撃を与えるくらいしかできない。
「眠りし魔力、シルフの風とウンディーネの水。織りなす怒りの嵐。……略式、氷嵐属性魔術。――全部持っていけえぇ!」
 自分の魔力には自信がある。全力で魔術を撃つことは諸刃の剣でもあるが、今使わずしていつ使う。
 煙のまだ消え去らないリンギットのいるであろう方向を見据える。出現した氷をはらんだ嵐のような巨大な竜巻は、方向など構わず大きくなっていく。どんどん魔力が奪われていくが、まだまだ。
 急激に速度を増し、全範囲に襲いかかるそれ。ようやく現れたリンギットの影は、大剣を盾に小さくなってしのいでいた。ぼろぼろの布となった衣服が、効いていることを示す。
 しかし。リンギットは魔術をしのぎつつ、魔術詠唱の反動で若干怯んでいる俺をただ眺めているだけではなかった。
 大剣が、目の前に振りかざされていた。きらめくそれと、時折降り注ぐ血の滴。
 右手にぶらりとぶら下げた剣を前方に押し出そうと思ったときには――。
 覚悟を決めたその瞬間、乾いた銃声がひとつ、響いた。
 そして、数秒後に、大剣が地についた。滴ったのは、俺の血ではなく、リンギットの血だった。
 呆然とした俺の前から、リンギットが姿を消す。視線で追えば、一度遠くへ。いつの間にか血まみれになった彼は、視線で何かを訴え、姿を消した。
 銃声の時から既に嵐は消えていた。明らかにおかしい。あれは、魔術なのか。
 思考がはっきりしてきたとき、ぐらりと視界が揺れた。魔力の使いすぎが、もう、きたか……。
 ひとまず、リンギットは突然消えてしまった。地に膝を突いて、頭をおさえる。
「あら、アナタ、どっかで見たことある〜? こんなイケメン君、忘れるワケないんだけど」
 足音と共に、高く朗らかな少女の声が届いた。
 顔を上げると、拳銃を右手に掲げた、淡い桃色がかった茶髪の少女が立っていた。
 敵意はなさそう、だが……。彼女が、先ほどの一発を撃ち込んだとはにわかに信じがたい、普通の女の子だった。
「アナタ、なんて名前?」
 立ち上がらせようとはせず、しゃがんで俺の鼻先くらいまで顔を近づけてきた。赤っぽい瞳が無邪気に輝いているが、近い。
「ハルク・イーネス。お前は……」
 名前を聞いた途端、彼女はあああ、と叫んで一歩引き、指をビシッと指してきた。
「イーネスの養子の坊ちゃんだ! はーなるほど〜……。私、ローロ・アイリ・コーシャス。多分会ったことあるよ、五年かそこら前に」
 イーネス家――生家ではなく養家なのだが、についての話題が今日は多いな、と思いながら考える。
 コーシャス家……。確か、魔術武器の販売をする商人の名家だったか。会ったことがあるというのは、パーティや品評会だろう。魔術学校に入ってからほとんど行っていないし、五年以上前の話である気がする。
 明るい茶色の髪に、深い赤の目……。
「……え」
 記憶にある。あった。挨拶をさせられた数多い名家の当主と子息。その中にいた、少女。
 俺よりも結構年上だったし、なんかこう、もっと違ったような。
「思い出した? 私、この数年でちょっとイメチェン? しちゃったからね〜。ハルク君は、私の記憶の中そのまんまだ」
 ……ある意味、数年前年上らしかった外見と変わっていないのは、きっと気にしているだろうから言わないでおこう。
「はぁ。それで、貴女が何故ここに」
 すっかり地べたに座り込んで、曲がりなりにも名家の子息同士とはいえない。
 ローロは、明るく笑って恐ろしいことを言った。
「仲間に痛いことした犯罪者をぶち殺しに来たんだよ」
 仲間、ということは彼女は『朝露の葉』の者なのだろうか。俺たちの時間稼ぎは、有効だったと――!
「でも逃げられちゃったな〜」
 おもちゃをとられた子供みたいに拗ねた顔をした彼女と、言っている内容の深刻さがあまりにもかみ合わず、俺は苦笑いするしかない。
「ローロ、こっちも逃げられた。デルトランの居場所はマスターが探っている。とりあえず私達は負傷者の保護を、だそうだ」
 そこに、長身に青白い髪が腰ほどまである青年がやってきた。彼も「朝露の葉」なのだろうか……。
「りょーかい。ハルク君、立てる?」
 あぁ、と頷きゆっくり立ち上がる。だいぶ落ち着いてきたが、魔力消費は深刻なようだ。
 向こうではコーネリア以外の全員が傷を負うかひどく消耗していた。特に、アインとイールは共に気を失っていた。
 イールの銀に輝く髪は、惜しげもなく外気に触れているどころか、彼女はアインを抱き締めた状態で、髪は彼の頭にかかっていた。


 目を覚ましたとき、辺りは騒がしい……と言うよりも、賑やかだった。身体は重いが、怪我はしていないはず。ゆっくりと上体を起こすと、コーネリアが飛んできた。
「イールさん! ご調子はいかがですか……っ?」
「平気よ、ちょっと気分が悪いくらい。……ねぇ、どうなったの?」
 心底心配そうな彼女をなだめるように無理に笑って辺りを見渡すと、そこは宿屋の大部屋で、みんながちゃんと揃っていて、見知らぬ人も何人かいた。
「『朝露の葉』の方々がいらっしゃって、敵は逃げ、私たちは保護していただいたのです」
 並べられた簡易ベッドで寝そべっているのは私とアインだけのようだった。アインは、その長い睫毛を伏せて、死んだように眠っている。
 意識のとぎれる直前、彼は私の指を、噛んだ。見ると左指には包帯は巻かれておらず、既に傷はふさがっているが、確かにアインに血が出るほど歯を立てられた、そんな痛みがあった。しかもその後……まさかとは思ったけれど、舐められているような感触があった。
 でも、もしかして。あの魔術師のあの魔術が、本当に魔力を抜き取るものだったとしたら。アインが私と魔力を一部でも共有したことが、あの時ふっと楽になった理由になるのかもしれない。そうだったら、アインに感謝しなければならない。そうでなくても、だが。
「あ、アインさん」
 コーネリアがまたもや駆けてアインのベッドに寄っていく。彼女と言葉を交わすアインは、至って元気そうだったから、安心する。しかし、胸の包帯の下の傷跡は、私をかばってついたものだった。
「イールちゃん」
 そんな感じでコーネリアの背中越しに見つめていたら、アインが彼女越しに声をかけてきた。
「守ってくれてありがとね」
 怪我をして、気を失うほどだったのに、アインは笑った。そんないつもと変わらない、彼の綺麗な笑顔に、目頭が熱くなる。
「守ってくれたのは、アインじゃない……っ」
 涙声になってしまって、思わず恥ずかしくなって俯く。
「いやいや、俺が何も考えてなかったから、あそこでイールちゃんが盾出してくれなかったら死んでたね」
 なおも、朗らかに笑う。まるで悲しくなってしまった私を慰めるかのように。
「アインさん、自分の血で魔法陣を描いて、イールさんが気を失ってからリファー様が助けてくださるまで、応戦していたんですよ」
 その言葉を聞いたコーネリアが教えてくれる。やっぱり、私の方が感謝しなきゃいけないわ。
「ともかく、私こそありがとう。……それで、リファー様って?」
 しっかり目を見てお礼を言った。これは、けじめだ。私も彼も甘いところはあったろうから。
 コーネリアの話に出てきた耳慣れない名前に、もう一度部屋の中を見渡す。三人の知らない人が、奥さんと話していた。背の高くて髪の長い青年と、茶髪の女の子と、黒髪のオールバックの中年の男性だ。
「あぁ、あちらの背の高い男性ですよ。アインさんも起きられたことですし、状況報告と致しましょうか」
 コーネリアの呼び声で、「朝露の葉」の魔術師や、あちらにいたみんなが集まった。
 みんなが治療を受けてどこかしら包帯を巻いているのが、事件の壮絶さを今になって物語っている。
「みなさん、まずは、どうもありがとう。君たちの尽力のおかげで、仲間の大事に至る前に駆けつけることができたよ。――さて、自己紹介かね。俺は、『朝露の葉』のギルドマスターのゴルハイだ」
 黒髪のオールバックの男性がラフに笑ってそう言った。いかにも、商人といった雰囲気だ。
「ホントにありがとう! 私はローロ。『朝露の葉』のメンバーで、魔術院魔術犯罪課第二特務でもあるよー」
 桃がかった薄い茶髪に赤い目の、小柄な女の子。……けれど、魔術院の魔術師ということは、そう若いわけでもないはずだから、年上かもしれない。
「感謝する。私は『朝露の葉』のサブマスターであると同時に国立の転移魔術師のリファーだ」
 最後に長身の青年。国立の転移魔術師とは、片手で数えるくらいしかいない、魔術院公認の転移魔術師で、精度の高い転移が使えるという。
 ここまで見て、『朝露の葉』のすごさがわかる。魔術師ギルドの有名なものなら納得できる面子だけど、かのギルドは商業ギルドなのだ。副業のギルドとはいえ、あの強敵たちが危惧する理由もわかる。
「まず……。私たちがここまで来られなかった理由、いや、来なかった理由なのだが。魔術拡散、また地脈を辿って魔力を探るときの微妙な変化を誤魔化す、という結界が張られていたせいで、私たちはシャーロで襲われたのがデルトランだと認識していなかったんだ。新聞に載ったのは商人の男だという情報だけだったからな」
「それでね、魔術院はまさか、列車の不通とシャーロの事件が関係してるなんて思ってなかったの。こんな小さな町だから魔術院に連絡をとるような魔術師もいない。地方の小さな事件よりも、列車の方に引っ張られてて、誰かを派遣するとかって話もなかったの」
「で、俺が一つ商売終えて仲間と飲みながら地脈通して場所探ってたらね、デルトランと奥さんがヤバい状態でこの町にいたから、ヤバいと思って。足にリファー、犯人逮捕用にローロを連れてきたんだが……。まさかあんなのがいたとはね」
 私たちは皆、あまりの事の複雑さに、一枚も二枚も噛んだのにたいていぽかんとしていた。
「地脈を誤魔化す結界は、列車の運行にも関わっている。あれが一種の転移魔術で、地脈を使っているということは、よっぽどのマニアか専門家、はたまた私のような魔術師しか知らないが。イーネス君とシューバー君がどうにかしてくれたドラゴンが、結界の生成に関わっていたようだ。だからあのタイミングでマスターが気づいて、私たちが集められたんだ」
 ドラゴンをどうにかしたって……。そんなことがあったなんて。と、聞いただけで納得できるような話ではないけれど、これについてはまた本人たちに聞いておこう。
「デルトランと奥さんについては、俺たちがあとでなんとかするさ。宿代は出すから、今夜は泊まっていくといいよ。夜が明けたらヨルデルまでリファーに送らせよう」
 ぺたぺたの頭を一つ撫でてにへらと笑ったゴルハイさんに、頷く。きっとハルクやあっちにいるみんなが説明してくれたんだろう。
 それにしたって、気絶している間に事が終わってしまったせいで、まだ実感がない。素直に安心感を貪ることができず、緊張したままだった。
「イールさん。私がお食事をいただいてきますから、休んでいてくださいね」
 再び寝転がった私を覗き込んでコーネリアは慈悲深い笑顔を向けた。
 けれど、私はもう大分楽になっていたから、ベッドから半分下りて腰掛けた。
「もう大丈夫だから、散歩に行きたいの。だめかしら?」
 あの魔術の効果はさすがに切れているはず。この状態だったら、魔力を回復しに行った方が早いし、気晴らしをしたいのも事実だ。
 コーネリアは非常に困ったという風に首を傾げる。そこで、私は思いつく。
「アイン、平気だったら一緒に行きましょう?」
 話したいことがあった。ハルク相手ではなく、アインに。それによく考えてみたら、戦っている間にフードを自ら脱いでしまったから、みんなの目に髪は当たり前のように映ってしまったはず。もう気にすることじゃない。
「俺? 嬉しいな、イールちゃんから誘ってもらえるなんて。寝てても歩いてても大して変わらないから、いいよ。行こう」
 もう一人負傷者の外出の意思を聞いて、コーネリアはもはや焦っているようだった。キョロキョロして、これでいいのか、と独り言を言っている。
「ネル、行かせてやれ。平気だ、アインもイールもこういうのが初めてじゃない」
 地べたに脱力座った包帯ぐるぐる巻きのハルクがいつもと変わらないトーンで、コーネリアに言ってくれる。彼に言われて、彼女はしぶしぶ頷いたので、私はアインと共に外に出た。
「……俺から、聞いてもいいかな」
 宿屋のすぐ外、木もない開けた野原の芝を踏みしめる。髪は、もう気にしない。目的の一つだから。
 彼らしくもなくおずおずと切り出したアインに頷く。
「あの時俺は、キミの指の傷跡を舐めて血を取り込み、自分の唾液をキミの中に入れた。わずかだけど、魔力の共有をした。それが残ってるのと、これ」
 慣れた手つきで髪をすくい上げ、軽く唇をつけた。初めてこんなことされたけれど、嫌な感じはしない。
「外に出てきて、キミのかすかな魔力からどんどん魔力が溢れている。……これのからくり、聞いてもいい?」
 ここまでで、驚くことがある。確かにアインは変な形で私と魔力を一部共有して、何かをしてくれたみたいだ。けれど、そのわずかな一部を私は今もさっきも全く認識していなかった。そんなかすかな魔力を身体で感じることができるとは、アインはただの魔法陣術師じゃない――そう思ってしまった。
 彼がすくい上げた手をそのまま間に通してとかし始めたから、私はさすがにその手を軽くおさえた。
「私にも正確にはわからない。けれど、『月に愛された魔力』……。月から、無条件で莫大な量の魔力を受け取ってる、っていうのが、今のところの説ね」
 もはや、この現象はその理由以外は確実なものとなりつつあった。そよ風に流された自らの銀に光る髪を流し見る。私が戦場で役に立つために、これを隠すのは得策ではない。
「……ふうん。気になるな、この感覚。――もっと、キミの魔力を取り込んでみたい」
 アゴを指で撫でて納得顔のアインの言葉の最後のほうは、低くボソッと言ったのに私には聞こえてしまったから、ドキリとした。
「なんてね。まあ興味はあるから、気が向いたときにでも。それで、イールちゃんの方は?」
 今回のことでアインはすごいんだ、と見直したけど、やっぱりちょっとだけ距離をとりたくなるところがある。
「うん……。私と魔力を共有したとき、何をしたの?」
 ドラゴンのことも気になるけど、それはまた後でハルクに聞くのでもいい。それよりも、微細な魔力に気がつき、私の魔力の急激な出入りをとめた能力。アインは、多分魔法陣術以外に、何か使える。
「あ〜、うん」
 アインは言いにくそうに頭をかく。もしかしたら、私の髪のことと同じくらい隠したいことなのかもしれない。
 けれど、私はすべて話した。アインはその現象を体感もしている。知る理由にはならないだろうか。
「イールちゃんには、さっき言っちゃったしね。疑われるのも無理はないか。ん〜と、多分思ってる通り、魔法陣以外の魔術――って言うのかな、が使えます。詳しくは言えないんだけど、それ関連で自然と魔力に敏感になった、って感じかな。それで、さっきやったのは……。やってみた方が早いかな」
 やっぱり、なんだ。どっちが本業か知らないけれど、どっちにしたって特殊な魔術を操ることに変わりはない。アインはイレギュラーな魔術師なのだという認識が強まる。
 私のフードをかぶせて、アインはにこりと笑った。さっきと同じことをやるわけではないとは思うけど……。
 と、ふいにカクン、と膝が折れた。前にいたアインが受け止めてくれるが、頭がぼうっとする。そのうちに、元通りになって、私はアインを見上げた。
「キミの体内の俺の魔力を使って、キミの魔力に細工をしたんだ。アイツの使った魔術は、魔力に作用するものだった。だから、身体そのものですら利用できないように休眠させて、あの魔術のサーチの網にかからないようにした。だからちょっと力は抜けるね。今のは完全にはやってないけど、さっきはほとんどやったから、気を失っちゃったんだろう」
 私じゃあ聞いたこともないような技巧だ。これほどユニークなことができるなら、アインのもう一つの魔術はわかる人にはわかってしまう気がする。
「と言っても、これがその魔術のメインの効用じゃないんだけどね。副産物的な小技だよ」
 そして、ここまで話してくれるのに、今まで何も言わずに、ハルクでさえそれに関して触れていないということは、アインだとしても相当なことだろう。
 ともかく黒の魔術師の魔術で私の魔力が異常を起こしたところを止めてくれたのには、感謝以外の何もできない。
「そう、なの。ありがとう、教えてくれて。あと、守ってくれて」
「どういたしまして、だけど、さっき言ったみたいに、俺だって知ったし守られた。おあいこ、かな?」
 そう言って茶目っ気たっぷりに笑い、ウインクまでして見せたアインの金髪は、月明かりに照らされて、私のようではないまでも、美しく輝いていた。


 そして、事件は解決したが、私には一つだけ、気にかかることがあった。
 それは、かの魔術師が最後にわざわざ念話で伝えた内容。
『――月に縛られた子よ、その運命、嘆くがいい』
 あのおかしな魔術の使い方といい、私の体質を知ってやったとしか思えない。
 彼は、これについて何か知っているのだろうか――?
 素性を明かさない謎の魔術師。彼の目的も立場もわからないが、情報を持っているならば、接触を試みたいとまで思ってしまう。
 シャーロの町の傷害事件は、思わぬモノ――不穏なモノを、私の心に残した。


Back Top