ハッピーバレンタイン・アゲイン

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 今年の二月は、去年よりもずっとずっと寒いような気がする。そう思うのは、彼と友達としてではなくて、共に歩く時に感じる温かさを知ってしまったからなのかもしれない。
 あの運命的な日から、一年が経った。
 私と晴史君は高校に進学して、学校で毎日会うということはなくなった。それでも、家の近くで毎日のように会っては、話したり、遊びに行ったりして、中学時代の友達と会えばさんざんからかわれる程度にベタベタな関係だ。
 私の高校よりも偏差値が高くて、ちょっとした有名校に通う晴史君は、聞くところによると、学校でも人気者らしい。
 中学の頃から文武両道で人当たりも良くて、優しい笑顔なんかは癒し効果があるんじゃないかって思うくらいだったから、それには全然納得できた。
 ふとマフラーに埋めていた顔を上げると、行き交うカップル達が嫌でも目に入ってくる。
 早く、早く来てよ、なんて思うけど、少しでも早く会いたくって我慢できなくて待ち合わせよりかなり早く来てしまった私も悪い。冷たく、寒いというより痛い風に震えながら、彼に気を遣わせちゃうかなぁって今更気づいて、少しへこむ。
 今日は、彼と付き合い始めて、初めてのバレンタイン。私は部活はないのだけど、晴史君は大会前で忙しいみたいだから、彼と駅で落ち合うことにした。
 時間を確認しようと開いた携帯に、ちょうどよく晴史君から着信がきた。
『今終わったから急いで向かうね。有紀のことだから、もう待ってくれちゃってたりする? 寒いだろうから中入ってていいからね。風邪引くなよ。じゃ、もうちょっと待っててね』
 いつも通りだけど、優しい晴史君らしさの溢れる言葉に、思わずにやけてしまう。
 私が彼のことなんてほとんど何でも知ってるように、彼も私のことを何でも知ってる。
 私としてはそれがすごく嬉しくて、わかり合えてる、みたいな満足感があった。
 待ってるよ、と短めに返して、私は携帯を握り締めた。
 今日会ったら、学校のこと聞こう。部活のこととか……。私も、いっぱい話そう。
 ワクワクというか、ドキドキというか、本当にほとんど毎日会ってるのに、晴史君のことで頭はいっぱいだった。
 彼の学校から、地元のこの駅まではさほど遠くないので、私がそんなことをあれこれ考えているうちに、晴史君はやってきた。
「待たせてごめんね、寒かったよね」
 赤い頬と鼻で、いかにも寒そうなのは晴史君の方だった。
「ううん、大丈夫。部活、お疲れ様」
 自然に差し出された左手を握り返すと、彼の手は驚くほど冷たくって、私はそれを温めるようにぎゅっと握り直した。
「前も言ったけどさ、道場、めっちゃ寒いんだよね。足とか凍っちゃいそうで」
 それに気づいてか、彼は困ったようにそう笑った。
 ここまでに来る間だけじゃなくて、部活の間もずっと寒い思いしてたのに、真っ先に私のところに来てくれたんだ。
「寒いよね、うちの学校の剣道場もすごい寒いよ。裸足だから冷え症とかだと大変そうだよね。……カフェ、入ろ?」
 剣道をしている晴史君は、実は授業中以外は見たことない。小学生から剣道やってて、ずっと剣道部で……。想像しただけで、本当にかっこいい。
 駅から離れて歩き始めて、晴史君は相変わらず優しい笑顔で色んなことを話してくれた。
 微妙な時間帯というのもあって人もまばらなカフェに入ると、二人席に座った。
「あれ、今日は荷物ないの?」
 いっつも学校帰りに会うときは、大きなカバンをもう一つ持っていたような。多分剣道の道具が入ってる。
「有紀に会うから、置いてきたよ。邪魔だしな」
 何でもないことのように言うけど、いつも持ってるってことはそう置いて帰れるようなものじゃないんだろう。私は思わず、気を遣わせてしまったのだと思って、しゅんとした。
「ごめんね、わざわざ」
 しかし、晴史君は今度は真剣な顔をして私の頭に手をやった。
「気にすんな。有紀に謝ってもらうためにやったんじゃないって」
 確かに、そうなんだけど……。いいの?、という気持ちで見上げた彼は、すごく穏やかに笑っていた。
「……うん」
 私と晴史君は、もう四年前から仲良しだし、別に気を遣わせちゃったこと自体、何てことないはず、だもんね。
「晴史君、去年のこと、覚えてる?」
 晴史君が告白されて、私が走って逃げて、次の日仮病で休んだのに彼が家に来て。
 今思えばおかしな話だった。でも、一日遅れでも晴史君に私のチョコが渡ったなんて、奇跡に近くて。
「忘れるわけない。俺、ホントに嬉しかったから」
 そう答えてくれた晴史君は、少し照れくさそうに笑った。
 何よりも、私の気持ちを届けてくれたのは、紛れもない私のチョコで。あの日、バレンタインなんて、って思ったけど、今では感謝せずにはいられない。
「っていうか結局、あの手紙がなくても、いつか告ってたかもしれない。今思ったら、有紀以外有り得ないし」
 私にとっても恥ずかしい台詞だったけど、晴史君は顔を真っ赤にして言うから、嬉しい以上に何だかかわいくて、私ははにかんだ。
「……私も」
 そして、何よりも今。
 これ以上ないほどに幸せを感じられる。それは不安なようで、実際にはとても安心できるものだ。
「ねぇねぇ、晴史君、正直なところどう? モテてるの?」
 実は、私が彼と付き合い始めてから、友達に聞いた話で、彼のことを好きだった女の子は多かったというのがあった。
 去年告白してた名倉さんもその一人だし、晴史君が新しい学校でモテてないはずがない。
 少しからかいのつもりで問うと、彼はあからさまにびっくりして頬を染めた。
「えーっと……う、うん」
 言いにくそうにしながら頷いたけど、別にいいんだ。晴史君が優しくてかっこいいのは知ってるし。
「っていうか、なんか、どんどん増えてて……。あんま女子に有紀のこと話とかしないからさ」
 ふむ、それは、きっとアレだ。
 私は予想通りの晴史君の言葉に満足して笑う。
「あのね、私も晴史君、どんどん男らしくなっていってると思うの。私と会うのに、気を遣ってくれたり……。それって、やっぱり」
『付き合ってるからかな』
 囁くようにしか言えなかった。だって、もう恥ずかしすぎちゃって。
 だけど、本当にそう思う。女の子が恋をすると綺麗になるっていうのと同じように、晴史君はどんどん良い方に変わっていってるみたいに。
 目を数度ぱちくりさせた後、そうかな、と温かく笑った。
「俺は……自分が変わったかどうかわからないのと同じように、有紀が変わったかもわかんないや」
 目を細めながら、しかし彼はしっかりと私を見据える。
 熱がじんわりと染み出すような、そんな感覚を覚えるのは、多分、私と同じ気持ちを彼も持っていてくれて、それを確かに実感しているから。そんな風に思える自信があった。
「でも、有紀のこと、友達に紹介してみたいな。文化祭はかぶっちゃって来れなかったし、行けなかったし」
 そうなのだ。唯一自然にお互いの学校に行ける機会である文化祭が、今年度はぴったり同じ日になってしまって、行くことができなかったのだった。
「私も会ってみたいな、今の晴史君の友達とか」
 彼の友達に認識されたいという思いもあった。二人だけの関係でいるより、ずっと多様で楽しいだろうから。
「んー……。有紀、今週末の日曜日、空いてる?」
 空になったコップをもてあそびながら、晴史君はなんとなく口にした。そう……わざとらしい、なんとなく。
 おずおずと頷くと、彼は目線をこちらに一瞬向けて、そのうちにそらして、何度か息を吸った。
「その……良かったら、試合、見に来る? あんま面白くないけど……」
 恥ずかしい、のかな……? 今日一番赤くなって、目が泳いで。
 でも、私にとってみたら、嬉しい。
「見に行っていいの?」
 見てみたい。言うなれば晴史君の勇姿、だもの。
「うん。……呼べばって言われてたんだけど、俺そんな強くないし、さ」
 自分から見て中途半端なのを大事な人になんて見せたくないって気持ちは勿論わかる。
 でも、私にとってはどんな晴史君も晴史君だから、好きなことは変わらないし。
「見に行きたいな。もっと色んな晴史君、見たい」
 それが素直な言葉だと思った。彼を喜ばせるためじゃなくて、私が彼に対して抱いている気持ち。
「……ありがと」
 照れくさそうにする晴史君は、一年経っても、あんまり変わらなかった。
 そして、私の気持ちも、大本命のチョコレートだって。
 去年にも増して、気合いを入れたラッピングは、今日まで、また違う意味で私の部屋の中で崇高な扱いを受けて、今日はこうして一緒に連れてきている。勿論、彼に渡すために。
「晴史君、はい」
 どうしてか、今だ、と思った。何の前触れもないように思えて、私の中では今しかないと思えた。
 私が感じているのは、去年とはまた違う緊張。
 一瞬と数えるまでもないような慣れた動作でもあるのに、それを終えるまでが異常に長く感じて、だけどゆっくりというわけではなくて。
 暖房のきいて暖かい店内の、色で形容するならば暖色、明るいベージュのような雰囲気が、もったりとその時間を包んでいた。
「ありがとう」
 晴史君は、穏やかに、照れくさそうに、色々な感情が混ざり合った表情を、だけどそれは黄金比の極上のミックスジュースみたいに、鮮やかに私の心を動かすもので。
 彼の見せる表情が、くれる言葉が、全てが私にとっての幸せを運んできてくれる。
 去年、私が幸せなバレンタイン、と感じたのは、勿論彼の言葉が嬉しかったからでもあったけど、多分、最悪だ、と思っていたのに良い方向に進んでいったからだと思う。
 今年のバレンタイン、今日の日は、最初から素敵な日だと思っていて、確かに今、私の胸は喜びに満ちていて。
 何も、逆転はない。意外性も、驚きも。けれど、それが一番安心できて、暖かくてふわふわとした幸せを実感させてくれるのだ。
「有紀、せっかくだから、聞いて」
 チョコを受け取ってくれた晴史君は、私の方にすっと腕を伸ばして、呟いた。
 その腕を疑問に思って少し身を引くと、彼はちょっと困ったように笑って、けれどもう一度、腕を伸ばして、私の頭まで到達させた。
「俺は、有紀のことが好きだ。去年は、ちょっと曖昧な言葉で誤魔化しちゃったから……。こっから、区切り。これから、もっと、前までの関係じゃなくて、有紀と一緒に色んなことしたい。色んな俺も見てほしいし、色んな有紀も見たい。……それで、いい?」
 優しく頭を撫でながら、やっぱり恥ずかしそうに清史君は言ったけど、でもそれが彼なりの甘い言葉で、彼なりの本気だってわかってるから、私は精一杯の笑顔を向けて頷いた。
 彼が試合に呼んでくれたのも、きっと、そういう気持ちだったからなんだ。
 嬉しさのあまり胸の辺りにこみ上げてきた気持ちを、彼を困らせないようにと飲み込んで、数瞬の間見つめあった。
 その不自然な行動ですらも、おかしくなんて思えないんだから、変なもので。
 ここから、区切り。
 バレンタインは私と清史君にとって、とっても重要な日で、だから彼は区切ろう、と。
 曖昧なところから逸脱して、もっと大きなものを掴めるかな?
 一年という歳月が経って、もう一度やってきたのは、そう、幸せな日でした。



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