空から始まるクリスマス

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 最初は、日本の一般peopleがそうなるであろう例に漏れず、何が起こったのか全くわからなかった。
 ただ、目の前に、痛々しい音と共に何か箱のようなものが降ってきたのだった。
 そして、俺が動かしていた足も思わず止め、呆然としているうちに、その箱はもぞもぞと動き出した。
 ……動いただって!?
 この目で見たことを数秒間受け入れることができず、頭の中でとりあえずこれは夢ではないことを確認した。
 そうしているうちにも、箱は動き続け、持ち上がったその端から、白いものが覗いた。
 ここが人通りの少ない路地だからいいものの、傍から見たら俺は変人だろう。しかし、仕方ない以外にそれについて言えることもない。というかそれ以前に、目の前の光景の方がよっぽどショッキングだ。
「あうぅ」
 ……今、何か声がしたぞ。女の子のみたいな。
 今更ながらに見て見ぬフリをして通り過ぎたくなったが、あまりにも今更なので俺は堪忍して、箱に近寄り、そのふちに手をかけて持ち上げた。
 瞬間、目に飛び込んでくる白と、このアンリアルな場面には不釣合いななんとも親近感しか覚えないもの。
 その下敷きになっていたのは、雪のように真っ白な髪の女の子だった。
「へ? あっと……えーと」
 丸い目をさらに丸くして、何かきょろきょろしながらぶつぶつ呟いている。
 ここは……どうするべきか。
「エート……。何があったのか知りませんけど、大丈夫?」
 普通に考えたら、この女の子が箱と一緒に空から落っこちてきたとしか考えられないだろう。痛がったりもしていないから、少々その考えを確定するのには迷いがあったけれど。
「あの! この辺りでトナカイ……見てません、よね……」
 耳があったらどんどん垂れていくような、目に見える彼女の落ち込みように、俺は慌てて聞き返した。
「トナカイ? 見てないけど、探してるのか?」
 正直に言うと、意味わからん。
 何で、トナカイなのか、この少女の髪が脱色したにしても真っ白すぎるのか、そして、空から降ってきたのか。
 顔を上げて俺の言葉を聞いて、数度目をぱちぱちさせた後、彼女は急にこう言った。
「助けてください!」
 もしかして、今の間は何と言うべきかを考えていたとか……。
 しかし、何とも、このまま放置するわけにもいかない状況になりつつあったりする。
「ええと……何をすればいいのかな?」
 助けるも何も、トナカイを探しているのかどうかということにも答えてくれていないし、彼女がまだ高校もいっているか怪しいほどの子供ということは置いておいても、不審者には変わりはなかった。
「ここじゃ話せないんです……。アナタのお家、お邪魔できますか?」
 ウチに来るのは構わない。が、よっぽどの秘密がありそうな彼女の話を聞くということは、半強制的に彼女を助けるということになるだろう。お金貸して、とかだったらごめんなのだが。
 そう思って彼女を少し疑いの目で見つめていると、彼女はまた耳を垂らして、残念そうに声を漏らした。
「そうですか……。そしたら、自分で頑張ります」
 そう言って立ち上がった彼女の格好を改めてよく見て、思わず腕を掴んでしまった。
「ま、まぁ、待て。ウチに来ていいから」
 かわいい女の子に釣られるのは男の性、だよな……?

「あたし、成木 美晴(なるき みはる)っていいます。サンタ見習いなんですが、ソリの練習中に落ちちゃって……」
「はあ。それは大変だったな。……ってえぇ!?」
 一緒に落っこちてきたあの箱もちゃっかり運ばされて、すぐそこだった俺の家で、少女の口から話されたことは、にわかには信じがたいことだった。
 サンタだって……?
 久々に聞いたその単語。大学生にもなって、信じてるヤツなんて誰もいない。
 俺の反応を見て、彼女は頬を膨らませて言った。
「サンタは本当にいるんです! あたしみたいな女の子もたくさん! ……それで、あの、トナカイがいないとソリで空も飛べなければ、空中にあるサンタの集落にも帰れないんです」
 なるほど、それでトナカイを探していたのか。
 まあ、トナカイくらいだったら、その辺の動物園にいるだろ――。
 いつの間にか彼女の話を信じる立場に立ってしまっていたが、首を突っ込んでしまった以上、面倒だしさくっと片付けてしまいたかった。
「トナカイ探し、手伝ってやる。俺は白峰 悠二(しらみね ゆうじ)ってんだ。よろしく」
 軽い気持ちで――迷子の子供を助けるくらいのノリでそう言うと、彼女、美晴は初めて笑った。
「やったぁ! ありがとう! ……えっと、悠二」
 ……こいつ、何歳だっけ。まあ別にいいけど、今の一瞬の態度の変化はビックリだ。
 それにしたって、彼女のとびきりの笑顔には、ちょっとクるものがあった。

 ネットで調べて、トナカイのいる動物園に来た……が、よく考えたら、動物園のトナカイは頼み込んでも借りたりはできないよな。
 美晴は、純粋に楽しそうに動物を見ていて――。
「っておい! お前トナカイだよトナカイ!」
 大学生の、特に貴重でもない休日、しかし大切な休日を無駄にするんじゃない!
 ……まあ、かわいい女の子との擬似デートと考えれば、いいのかもしれないが……。
 半分冗談だったが、大きな声を出してしまったため、周囲の人々の視線を浴びる。
 メンドクセェ……。
「おい、お前、ただでさえ目立つんだから、俺を叫ばせないでくれよ……」
 そう美晴に優しく伝えると、彼女は首を傾げた。
「どうして目立つの?」
「そりゃあ、その髪の毛だよ……」
 真っ白な。世の中には、人間のアルビノっていうのもいるかもしれない。しかし、彼女の目は黒かったし、肌も、少し色白というくらいだったから、そうとは思えなかった。
「あ、そっか……。あのね、あたし達はみーんな、子供の頃から真っ白なの」
 そんな信じがたいことをまた言われても困るが、もう信じる以外に選択肢はない。
「あぁ……そうなのか。で、トナカイ」
 おざなりに返事をして、トナカイのいる方向を示すと、彼女は首を捻った。
「あのね……言いにくいんだけど、あのトナカイさん達じゃだめなの」
「え? どうして」
 聞き返すと、彼女は眉を潜めて言った。
「ソリを引いて飛べればいいんだけどね、飛べるトナカイは特別、愛情を受けて育った子達なの」
 そういうことは早く言え……と思うよりも先に、そんなトナカイを探すのは無理なんじゃないかと思えてきた。
「じゃあどうすればいいんだよ……」
 溜め息混じりにそう答えると、美晴は首を振って、わかんない、と言った。
 彼女が最初に連れていたはずのトナカイを探すか、代わりのものをこのまま探すか。
 ふと美晴を見ると、彼女は俯いて、今にも泣き出しそうな感じだった。
「お、おい。大丈夫だって。俺が絶対見つけてやるから」
 いつまでに……とはいえないが。
 しかし、彼女には帰る期限はないのだろうか? もうそろそろクリスマスではあるが……。
「二十三日の夕方までに帰らないと」
「え?」
「二十三日の夕方までに帰らないと、サンタにもなれないし、集落にも帰れない……」
 数分前まで明るく笑っていた彼女の声が、震えていた。
 俺は軽く考えていたが、それは、この歳で住むところをなくす、ということになる。
 その時、美晴は……。
「見つけてやる。絶対に。もし見つからなくて、美晴の帰るところがなくなったら、俺が養ってやる」
 俺が、引き受けてしまった俺が。責任を持って、彼女のことをどうにかする。
 本当はそれにも自信がなかった。親なんかにバレたらどうしようもない。
 だから、彼女が帰れるように努力をしよう。
 涙を拭って笑った彼女は、第一印象の通り、かわいかった。

「よし、とりあえず今日は十二月二十日、火曜日だ。俺は冬休みだから、三日間フルで動くことはできる。美晴、頑張るぞ」
 ひとまず帰宅して、ソリをいじっている美晴にそう言うと、彼女は一瞬首を傾げたが、納得したように笑って頷いた。
 この子、大丈夫かな……。結構に天然入ってると思うんだが。
「そういやお前、何歳なんだ?」
 童顔っぽいから見た目よりも上なんだろうが、ちょっと気になった。
 問うと、美晴は眉を潜めて、頬を少し膨らませて言った。
「レディーに歳を聞くのは失礼なのは下の世界でも変わらないって聞いてるよっ」
 もしやサンタの集落とやらには独自の文化でもあるんだろうか、なんて考えてしまったが、とりあえずこのことについては変わらないようだった。
「失礼、失礼。俺は十九の大学生なんだけど……」
 これで教えてくれないかな。
 万が一にも彼女が予想より年下だったときに、俺が犯罪者にならないように気をつけなくちゃならない。
 まあ、そこまで盛ってるつもりはないが……。
「うー……。あたしは、十六歳なんだけど……」
 うん、まあまあいいい線いってたかな。
 ひとまず中学生の域でなくて安心した。仲間のうちでは色々と意見もあるが、高校からは……。
「っておい!」
 俺、何考えてんだ、ホント……。
 アニメみたいな展開に流されて、危うく健全な男子大学生を脱してしまいそうになったよ。
 一人でぽかすかやってる俺を見て、美晴は半笑いで若干引いていた。
「お、おう。まあそんなもんだろと思ってたよ」
「うん。一応、サンタとして仕事ができるのは、十六歳からなんだよ。九年間の学校生活を経て、実践を重ねてからの、ね」
 サンタの話をする彼女は、天井を仰いで目を輝かせて、祈るようだった。
 それにしても、サンタとは。
 白ひげのちょっと腹の出たじーちゃんというイメージが強いけれど。
 まあ、悪友どもの中には、コンビニの店先に出現するミニスカのねーちゃんだと思ってるヤツもいなくはないが。
 興味もないからわからないが、サンタっていうのは元々成人かなんかじゃなかっただろうか。
「その……サンタの集落って、キリスト教なのか?」
「え? あぁ、ううん……。サンタを信じる人に無宗教の人がいるように、サンタもおんなじ。根源はそういうキリスト教の活動だけど、今は一種のサービス業だよ」
 やっぱりそういうのは勉強させられるんだろうな。サンタ関連においては彼女の知識は深かった。
 まだ色々と気になることもあったが、時間もないことだし、俺は再度コートを着て立ち上がった。
 そこにかけてあった黒いニット帽を美晴の頭に軽くかぶせる。
「目立つから……とりあえずかぶっとけ。あったかいし」
「でも悠二が寒くない?」
 正直言ったら、寒い。男子のほとんどが実は寒がりであるように、俺も寒いのは苦手だった。
 しかし、美晴が目立って人々に痛い視線を浴びせられる方がある意味ではもっと寒かった。
 軽く首を振って、「行くぞ」と言うと、彼女は急いで上着を着た。

「だめだ……全然だめだぁ」
 二、三個の動物園は巡った。しかし、美晴の言う『愛情を受けて育ったトナカイ』は見つからないみたいだった。
 俺には何がなんだかわからないから、がっかりも少ないけれど、タイムリミットは刻一刻と近づいてくる。
 辺りはもう暗く、街中はクリスマスの華やかなイルミネーションで飾られている。
「下の世界のこういうの……キレイだよね」
 それを見て、美晴が感嘆しながら呟いた。
「俺が勝ち組だったりまだ自立してなかったら、家にクリスマスツリーの一つでも置けるんだがなぁ」
 男が一人寂しくクリスマスを祝ったって仕方がない。
 誰もプレゼントをくれなければ、聖夜を共に過ごすこともないのだから。
「お、悠二」
 聞き慣れた声に振り返ると、そこには俺の誇る……しかない、イケメン友人の一人、秋雄がいた。
 彼はちょっとニヤニヤして美晴の方をちらちらと見ている。
「ロリに目覚めた?」
「んなワケねぇだろ! 大体、コイツは高校生だ」
 高校生だからといって、まだロリでないと言え……ない気もする。
 しかし、知らない人に恋人に間違われるのはまだいいが、知り合いには、な……。
「キミ、かわいいねぇ。なんで悠二なんかと」
 そんな下心丸見えの顔で美晴に話しかけるんじゃない……。コイツは天然入ってるみたいだからそんなのも気づいてないようだが。
「あたし、悠二の彼女じゃないですよ。ちょっとトナカ」
「あーはいはいはいはい。妹の知り合いなんだけど、ちょっと頼まれごとでね」
 ちょうどいいことに俺の妹は高一だ。サンタだなんて言ったら、冬休み明け、俺が頭のおかしいヤツだという噂されちまうかもしれないからな。
「へえー? ま、保育士目指してる時点でロリコンだしな、俺も」
「だからロリコンじゃねえって」
 彼女を家に招きいれたのも少々不純な動機だったことだし、美晴に興味がないとは言えないが、十六歳だぞ!? 許容範囲だろ!?
 俺達のやりとりを見て、美晴は終始ちょっとおかしそうに笑っていた。
「じゃ、ちょっと急いでるから」
 なるべくそーっと美晴の腕をつかんで立ち去ると、秋雄のにやけ顔が、背中に浮かぶようだった。
「友達?」
「あぁ。……お前、サンタ見習いだって人に言わない方がいいと思うぞ」
 ないとは思うが、ちょっとでも話題とかになったら困る。トナカイ探しにも、俺の立場的にも……。
 先ほどから不思議に静かな美晴は、彼女の腕に触れている俺の手をつついた。
「ねえ……お腹空いたよ」
 ……しまった、忘れていた。

「ごめんね、ホントにごめんね……。あたしがサンタになった暁には、ちゃんと悠二にプレゼント届けに行くからね」
 そう言いながらも目の前のハンバーグを見て目を輝かせる美晴は、例え生活に余裕があるとは言えない俺の財布を軽くした張本人といえど、責められないほどに無邪気だった。
「ああ……うん、いいんだよ」
 そうだそうだ。数日間彼女ができたと思えば軽いものだ……。こんなにかわいい彼女が。
 しばらく恋人なんて作りたくないなんて思いながら、賑わうファミレスの店内を見渡す。
 トナカイのでっかいぬいぐるみを持っている女の子がいて、ふと思った。
「なあ、トナカイ、ぬいぐるみじゃだめか?」
 元から空なんて飛べないトナカイで飛んでんだ、ぬいぐるみでもできる……ワケないか。
 しかし、美晴は意外にもすんなりと首を縦に動かした。
「生きてるトナカイの方が楽なんだけど……。そこはあたしの努力と愛情でカバーできるよ」
 と、いうことは……。
「俺が愛情こめてトナカイのぬいぐるみを作ってもオーケーってことか?」
 また嘘みたいなことを言ってしまった。
 だって、そんなもの作れる自信はなかった。それに、愛情がこめられるかどうか……。
 美晴が、俺の本当の恋人だったら話は別かもしれない。
 だからといって、今から恋人になっても愛情が芽生えるとはいえない。
 こんな俺と、今日会ったばかりの彼女との間に。
「オーケー、だよ。……悠二、作ってくれるの!?」
 彼女の目が輝いた。こりゃあ、大変なことになった……。いやまあ、既に大変なことにはなっているのだが。
 裁縫はできないこともないが、大それたぬいぐるみは作ったことがない。
 ……先生にでも聞きに行ってみるか。
「成功するかわかんねぇぞ? 第一、その愛情ってやつが……ってうわ!」
 箸を進めながら、下を向いたまましゃべっていたので、顔を上げたとき、目の前にあった美晴の顔に驚いてしまった。
 大きな丸い黒の瞳が、蛍光灯の光を吸収してキレイに光っていた。
「悠二はここまでしてくれたんだもん。あたしのために……」
 な、何が言いたいんだ、この美少女は……。
 意味深な輝きをもった美晴の瞳は、吸い込まれそうに深く、美しかった。
「成功しなくても、いいよ。きっとあたしが、その子を飛ばせてみせる」
 最後にまた一つ口を開きかけたが、彼女はすぐにつぐんでしまった。
 だが……それは、大丈夫なのだろうか?
 元々美晴は、言っちゃ何だが何事において優秀には見えない。
 彼女にそんなことができるのだろうか……。
 いや、俺がやるしかない。
 俺のためでもある。彼女を養うことになったら、困るから。
 本当はそれだけじゃなかったけれど、そう言い聞かせて、拳を握り締めた。
「よし。……じゃ明日、大学に行ってくる。ちょっとの間、留守番できるか?」
 聞くまでもなかったと、聞いてから気がついた。
 美晴は高校生――くらいの歳だった。思わずお子様扱いしてしまうけれど。
 しかし、彼女は意外にもそれについては何も言わず笑顔で頷いた。何か嬉しそうなことでもあったかのように、幸せそうな笑顔で。
 この子の無邪気な夢を、潰してやりたくない。
 何故だか急にそう思った。自分のせいで、という言葉まで浮かんだ。
 そう、責任を持って。軽い気持ちだったが、彼女を助けたことに。


「じゃ、行ってくるな。……腹減っても、何もないな……。帰りに何か買ってくるよ。嫌いなものある?」
 不規則な食生活を送る典型的な男子の一人暮らし、のつもりはなかったが、さすがにいつでも誰かを泊めるようなことは予期していないので、冷蔵庫やキッチンにはすぐに一食になるようなものは何もなかった。
 特にない、と首を振った美晴を確認して、俺は家を出て鍵を閉めた。
 ――誰かが家で待ってるって感覚、久々だな。
 急にノスタルジックな気持ちになり始めた。柄にもなく。
 ……だけど、今はこんなことをしてる暇もない。

 昨晩は大変だった。
 年頃の女の子を家に泊めるような準備が整っているはずもない。
 美晴は着替えを持っていないし、俺の家に女の子が着られる服なんてなかった。
 どうにか彼女でも着られるようなシャツとズボンを探して、風呂に入れた。
 自分の家で女の子が風呂に入ってるなんて考えると、いろいろな意味でドギマギするよ……。
 それに、布団がなかった。
 暖房もストーブもない部屋で、敷布団に毛布、そして掛け布団が一枚ずつ。
「あたしは悠二と一緒でいいよ。人と寝るとあったかいし」
 美晴はそうさらっと言ったが、つくづく危機感のない子だ。……俺だからかもしれないけれど。
 とにかくここは紳士的になっておいた方が自分のためだと思って、俺はコートをかぶって寝ることにした。
 誰かにおやすみと言ったのも、久しぶりだった。

「……ただいま」
 大学の教授に、何とか適当な理由をつけてトナカイのぬいぐるみを作りたいということを伝え、型紙を作ってもらった。
 とりあえず一旦家に戻って飯を済ませ、それから美晴と一緒に買い物に行こうと思っていた。
 そして、いるはずの在宅人に向かって、帰宅を告げる言葉を言う。
 何だか照れくさかった。やっぱり久々だったから。
 美晴は昨日の服に着替えて、座りこんで目を閉じていた。
 寝ているのか……?
 伏せられた長い睫毛に縁取られたまぶたが、ぴくりと動いた。
 しかし、それ以降は、彼女は人形のように動かなかった。
 真っ白な髪。不思議なことに、白髪みたいに痛んでいるようには見えない、さらさらの髪。
 思わず彼女の前に座り込んで手を伸ばすと、まぶたが開いた。
 二、三度の瞬きの後、美晴はおかえり、と笑った。
 彼女は不思議だ。何もかもだ。
 明るく陽気なところを見せたと思えば、おしとやかで純粋な美しさを感じさせる。
 何故だか俺まで口元が緩んでしまって、伸ばした手をそのまま彼女の小さな頭に乗せた。
 子犬の頭のように、直に伝わってくる温もりが、慣れなくて、少し驚いた。
「悠二……?」
 首を傾げて、はらりと肩に落ちた毛先が、透明に光る。
 美晴の頭を軽く撫でながら手を払って、そばにあったコンビニの袋を引き寄せる。
「飯、食うか」

「とりあえず……材料は買えたけど。……美晴?」
 デパートの一角で、美晴が急に立ち止まった。
 誰かから隠れるようら、俺のニット帽を深くかぶって、俯いて俺の後ろにくっついた。
 怪しいのを承知で辺りを見渡していると、一人の男が近寄ってきた。
 彼も黒いニット帽を深くかぶっていたが……。
「その子、失敗しちまったサンタだろう? ……全く、規律を破ってもバレなきゃ大丈夫だとでも思ってるのか」
 冷淡な笑みを浮かべて、美晴に手を伸ばす。俺はとっさにその腕をつかんだ。
「どちら様ですか」
 何があるのかは知らない。しかし、美晴を集落に帰してやることが、俺の使命だ。
 すると、彼は俺を睨んで、腕を振り払った。美晴が顔を背けたまま、小さく悲鳴を上げた。
「こっちの人間には関係ないんだよ。その子は処分されないといけない」
 ……処分? 処分って何だよ。機密主義でもあるのか?
 とにかくその言葉に嫌な予感がしないはずはなかった。
 美晴の手をとって走り出そうとしたら、彼女は動こうとしなかった。
「悠二……ごめんなさい」
 消え入りそうな声でそう言って、やっと顔を上げた。
 くしゃくしゃの表情で、しかし眉はしっかりと決意を表していた。
「あたし、記憶消去ができます。だから、必ず、迷惑はかけな……」
 男が、美晴の頭をめがけて拳をふるった。
 ――何をした、コイツは? 彼女が悪いことをしたか? 手を出していいほどに?
 頭に血が上ってきた。しかし俺が青年につかみかからんとする前に、美晴が続けた。
「絶対にできます!! あたしは、教えてもらったんです!! あたしは、お母さんに……っ」
 ドジだから、落ちても大丈夫なようにって。
 美晴の声は嗚咽に紛れて上手く聞き取れなかったけれど、俺にはそういう風に聞こえた。
「ああ、そう。それじゃ、できなかったらこの男を殺せばいいよ。空に帰ってしまえば、こっちの人間には誰にもわからない」
 冷酷な仕打ち。彼は諦めた、というようにそう言ったが、美晴がその言葉でもっと傷つくことは明らかだった。
「兄ちゃんよ。もしその子をお前が覚えていて、まだ生きていたら、連れてこいよな。……俺らと同じ運命に遭わせなくちゃならない」
 何がなんだかわからなかった。
 サンタの話を口外することは掟破りなのか……?
 美晴は、俺を殺すか、記憶を消さないと、処分されてしまう。
 それが何を意味するのか、わからなかった。わかりたくもなかった。
 いずれ、俺は美晴を忘れる……? 嫌だ、と思った。彼女の笑顔を、忘れたくない。
 あの透き通った真っ白の髪と、大きな黒い瞳。ころころ笑う声。
 しかし、美晴は初めからそれを選んでいた。
「…………」
 俺は青年に小さく頷くと、彼の頬を思い切り殴りつけてやった。
 彼は意味ありげに笑ったが、仕返しはしてこなかった。ニット帽の端から見える白い髪が彼の身分を証明していた。

「ごめんなさい。悠二……あたし、あたし」
 美晴は家に帰ってからも、俯いて泣いていた。
 彼女を責める気持ちなんてこれっぽっちもない。ただ、少しだけ、寂しかった。
 ――夢だ、これは。忘れてしまう夢。数日間の甘い夢。
「美晴を責める気はないさ。……それよりも」
 処分、という言葉。彼の言っていた、『俺らと同じ運命』。
 気がついたら、彼女と出会ってから、もう二回も泣かせてしまっていた。
 情けねえな、俺……。
「処分……。あのね、サンタのことを口外したら、知っている人を全て殺して、犯罪人として下の世界に留まる。えと、ホントは怖いサンタの掟……」
 ちょっと冗談を言ったつもりだったみたいだが、笑えなかった。
「しかしそうなると、俺を殺して帰る、というのは許されるのか?」
「あたしが口外してないなら、そのまま帰れるから。悠二の存在自体を消して、サンタとしても人としても最低に生きるだけ」
 淡々と語った美晴は、驚くほどに冷たい瞳をしていた。
「ごめんね……。悠二に、言わなかったから。でも、あたしは絶対にできるから」
 記憶消去。
 忘れたくないと叫ぶ俺の心を、彼女に伝えることは許されないだろう。
 そうなったら、彼女は俺を殺さなくてはならない。辛いのは美晴だ。
「最初ね、すごい軽い気持ちだったんだ……。長老さましか使えない記憶消去ができるって自信満々で、だから、もし……って全然考えなかったの」
 仕方のないことだろう。例え俺が美晴をひいき目に見てることを考えても、なんとなくその気持ちはわかるから。
「美晴……」
 俺はまだくしゃくしゃの彼女の真っ白な髪をそっととかしてやった。
 さらさらと指先からこぼれる一本一本を、失いたくなかった。
 はは、笑えてくるぜ。
 なくなるとわかった途端に、渇望し始める。
 人間の汚い性の一つだろう。
「ひとまずは、さ。美晴が帰れるように頑張るよ」
 照れくさいのもあって、ちょっと笑って言うと、美晴はようやく笑ってくれた。
 今だけでいい。どうせ消えてしまうなら、この子を守り通そう。


 終わりそうにない……なんて美晴の前では死んでも言えなかった。
 何でこんなにパーツが多く――そしてでかいんだっ!
 大きさを決めたのは自分なのに泣けてくる。
 手で縫わないといけないところもたくさんあって、裁縫はその辺の男子に比べたらできると思うが、細かい作業に気が狂ってしまいそうだった。
 当の美晴は、たいして良い景色ではない窓の外をかれこれ二時間は眺めている。
 今日は十二月二十一日、水曜日。
 あと二日だ。最高でも二日だけ。
 目の前の茶色い群れを見て、どうにか気を引き締めた。

 冷たい空気に身体が震えた。
 あれ……俺、何してんだ。
 目を開けると、目の前は暗かった。
 ま、さか……。
 頭が覚醒してきて周りの状況を確認する。
 窓の外を見ると、もう日が落ちてしまっていた。慌てて時計を見たら、八時だった。
 結構寝てしまった……。
 美晴の姿が窓際から消えていたので辺りを見渡したが、彼女はいなかった。
 立ち上がろうとして、膝の上の重みに気がつく。
 何故か俺が美晴に膝まくらをしている状態になっていた。
 ……普通逆だろ! じゃなくて。
 静かに寝息を立てる美晴は、やはり人形のようだった。
 日中よりいくらか寒くなったので上着を着るために美晴の身体をそっと床に横たえた。
 毛布を盛ってきてかけてやっても、美晴はぴくりとも動かなかった。
 ……美晴のお母さんは、どんな人なのであろうか。
 彼女の時たま見せる美しい姿のときの、優しい瞳。
 きっとあのような女性なのだろうと思った。そして、この世にはもういないのではないかという考えが、湧き上がってくる。
 美晴の誇らしげな態度が、それを物語っているような気がした。
 ……腹が空いたな。
 あと二日、毎回毎回買いに行くのは大変だ。
 カレーか何かでも作れば楽かな。
 置手紙を書いて、俺は部屋を出た。

 帰宅したときには、美晴は起きていて、しかしまだ毛布にくるまって天井を見つめていた。
「ただいま。腹減ったろ。飯作るから」
 そう声をかけると、美晴は毛布から這い出て、俺のそばまで来た。
「おかえり! 手伝うよ」
 彼女は明るい笑顔でそう言ったが、気にかけていることがないはずはなかった。
 しかし、美晴は料理できるんだろうか。
「米、炊ける? あぁ、とぐだけでいいんだけど」
 問うと、美晴は大きく頷いた。
 やっぱり少し怖くて、彼女に火や包丁は任せられない。
 しかし、美晴は思っていたよりはしっかりしていた。
 カレーを作るのに手伝いはあまりいらないが、皮をむいたりしてくれた。
「よし。あー、あっち片付いてないな」
「どかせばいい?」
 こんな風に、積極的に手助けをしてくれる。
 俺は特別料理が上手いとは言えないから、何だか少しだけ、美晴に食べさせるのが怖くなってきた。彼女はこの二日間、ほとんどの食べ物をおいしそうに食べてはいたが。
「うまいか?」
 内心ドギマギしながら問うと、美晴は笑って頷いた。
 俺はカレーをかきこんで片付けてしまってから、作業を再開した。
 美晴は不思議そうにその様子を見ていた。

「悠二、寒くない?」
「大丈夫だ……」
 と言った瞬間に、くしゃみが出た。勿論、いわゆる強がりだったからなのだが。
「あたしは気にしないから、一緒に寝ようよ」
 そう言ってくれるが、なかなか譲るワケにはいかない。
「いや、いいよ」
 年頃の女の子にとっては大問題だろう。
 彼女いない暦=年齢という非リア充街道まっしぐらな俺にとっても大問題だ。
「悠二」
 美晴の方じゃなくて、壁を向いて目を閉じていたら、急に耳元で声がした。
 そして、小さな手に肩をつかまれて引かれる。しかし、ほとんど動かない。
「だめ。ね? あたしはこれ以上迷惑かけたくないよ」
「そういう問題じゃないってば」
 これは俺の意地だ……。
 すると、肩から手が離れてしばらくして、ためらいながら腕の下から胸の方に腕を回される。美晴の細い腕。続いて、布団がかけられた。
「おやすみ」
「お、おい! これで寝るのか?」
 だいぶやばいだろう。というか俺のドギマギがこの二日間で最高潮に達している。
「だって悠二が動かないから」
 仕方なくコートを脱いで振り返ると、赤い顔の美晴が笑った。
「悠二……あたし、今更怖くなってきちゃったんだ。下の世界に残ったり、悠二を殺さなきゃいけなくなったり――悠二に忘れられるのが」
 はっとした。美晴の言葉が、頭の中に響き渡る。
 彼女も思ってくれているのか……?
「なあ、美晴。ちょっとお願いしていいか」
「うん」
「……抱きしめさせてくれ」
 返事を待たないで彼女の小さな肩をそっと両腕で包み込んだ。
 これが夢ならば。忘れてしまうなら、俺はこの子を全力で愛してみようじゃないか。
 正直言ったら最初は、かわいい女の子とデートの気分で、楽しかったさ。
 もしかしたら、今思っている気持ちも嘘かもしれない。
 けれど、結局わからないことだ。……いや、わかってしまうか。
 あさってに美晴が帰れるかどうかで、わかってしまう。
「悠二……?」
 ……クソ。どうしてこんなにも、俺は美晴のことが気にかかってしまうんだろう。
 もはや彼女のことを客観的に見ることなど不可能だった。
 それと彼女と俺の運命が意味するのは、悲しい事実だけだった。


 翌日の夜、やっと一頭が完成した。
 二頭作る予定だから、まだ折り返し地点だ。
 一日以上もかかってしまったため、もっと頑張らなくてはならない。
 美晴には見せていない。少し不安だったから。
 完成を彼女に告げると、嬉しそうに笑った。
 俺が作業している間、美晴はあの箱、ソリをいじっていた。
 それはどれだけ丈夫なのかわからないが、あの日にだいぶ大きな音を立てて落ちたわりに、傷一つ見当たらなかった。
 絵で見るような……人力車の車と同じような座るための段差がついていて、先に馬車につけるような棒がつけられていた。
 果たして、自分の作ったぬいぐるみで空が飛べるものだろうか。ましてや、動くことすら本当はできないぬいぐるみだ。
 ここは信じるしかなかった。そして、口には出さないが、精一杯美晴への気持ちを詰め込んだ。
 美晴と一緒に眠った後も、こっそり抜け出して作業をした。
 終わりそうになかったし、徹夜くらい、この歳になればどうってことはなかった。
 空が明るくなり始めた頃には、俺は布団にこっそり戻った。

「美晴、夕方ってどれくらいだ?」
「ええと……夕暮れ、暗くなる前には……。だから、四時くらいかな」
 現在、十二月二十三日、午後一時。人生最大の修羅場……というほどでもないが、俺は焦っていた。
 徹夜したせいで少し寝坊してしまった。だからあまり作業ができなかったのだった。
 一頭目の作業時間を考えると、急げば間に合うかも、程度だったのだが……。
「悠二、頑張って」
 美晴のために頑張るしかない。
 パーツを完成させ、それぞれを組み合わせ、綿をつめる。
 かたくなる程度まできっちり詰めるので、大変だった。
 不恰好な二頭目のトナカイは、徐々に姿をとらえていった。

「よし、終わり!」
 三時四十三分。ここに、ゴールを宣言します……!
 白峰 悠二、十九歳。頑張ったぜ。
 寄ってきた見張るに見せると、彼女は純粋に笑って、かわいい、と素直な感想を口にした。
「でも、ちょっとかわいすぎるね」
「お、おう。まあ、外見は関係ないよな!」
 くすくすと笑って、美晴はちぐはぐな二頭をソリの前に置いた。
 そして、トナカイの頭にそっと触れると、目を閉じた。
 魔法でも唱え始めそうな雰囲気だったが、彼女は無言だった。
 しかし、不思議なことが起きた。
 ぬいぐるみのトナカイが少しずつ、ゆっくりと足を動かしていた。
 眉を寄せる美晴の手を支えてやると、彼女は口だけで笑った。
 そして、トナカイは完璧に自分の力で動いていた。
「悠二、ありがとう」
 そう泣きそうな笑顔で美晴が言った。俺は精一杯彼女の頭をくしゃくしゃに撫でた。
 俺の心の中には、ふと、思い出したくない事実が浮かんでいた。
 美晴のことを、忘れる。
 情けないことに、涙がこみ上げてくるが、必死に堪えた。
 美晴は俺の手をとって、自分の胸の上まで持っていった。
「ごめんね、悠二。あたしは、忘れないから。キミのこと、ずっと……。目を閉じて。全てが終わったら、自然に開くから」
 そう言う美晴の目は、涙でいっぱいだった。これが、最後に見る美晴の顔だ。せめて、もっと笑顔だったらな――。
「ああ。またな、元気で」
 自分の声が掠れて、消え入りそうだった。明るい言葉を選んだのは、やはり強がりでしかなくて。
 こみ上げてくる涙を我慢することはできなかった。代わりに目を閉じて、せめて零れ落ちないようにと努めた。
 手のひらに、美晴の細くて俺のものよりずっと小さい指の感触。
 眠りにつくように、俺は意識を手放した。


 騒々しさに身体を起こすと、窓の外から何やら音が聞こえてきた。
 クリスマスに調子に乗ってしまっている若者だろうと思って窓を開けると、何故かはっきりと、美しい鈴の音が聞こえた。
 そして、どうしてだか、俺は寒いのに窓を閉めてはいけない、という気がした。
 心地良い鈴の音を、近づいてくるその音を聞きながら、まるで誰かを待つように、俺の身体は動かなかった。
 遠くの空に、明かりが見えた。
 そして、明かりはだんだんと大きくなり、ついにその正体を現した。
 ……サンタ?
 赤い服、赤い帽子、トナカイのソリ。
 信じられなかったが、それは確かにサンタに見えた。
 しかし、そのソリに乗った人物は、典型的なサンタのイメージとは異なり、真っ白な髪の美少女だった。
 ふと、懐かしさがこみ上げる。しかし、遠い昔ではないような。
 彼女は俺の部屋の窓の前まで来ると、ソリを降りて俺の部屋に入ってきた。
「白峰 悠二君。メリークリスマス!」
 そう言って、赤いリボンのついた大きな袋を差し出されて、俺は反射的にそれを受け取った。
 これは夢だろうか……。いきなりサンタが現れて、窓から入ってくるだなんて……。
 彼女は満面の笑みでそれを見届けると、俺の腕を引いた。
「それとね……。目を閉じて」
 言われるがままに目を閉じた。
 ああ、これは夢なんだ。全てが筋書き通りに進む夢。
 だから、唇に感じた軽い感触も、何の疑問も持たずにすぐに受け入れられた。
 目を開くと、彼女はいなかったが、心にあることが湧き上がってきた。
「美、晴……?」
 淡々と過ごしただけと記憶していた四日間が、蘇る。
 サンタ見習いの少女と過ごした日々が。
 はっとして手元の袋を開けると、中にはトナカイのぬいぐるみが一頭だけ入っていた。
 そして、封筒に入った手紙。
 俺は無意識に涙を流しながらそれを読んだ。
 彼女らしい丁寧でかわいらしい文字で綴られたたくさんの感謝と思い出。
 一生、忘れない。
 そして、俺はまた美晴に会える。
 聖なる夜に、彼女は会いに来てくれる。



悠二へ

 びっくりしたかな? あのね、あたしもこんなつもりじゃなかったの。
 だけど、長老さまに全部話したら、許可がでて。
 だから悠二にサプライズプレゼント!!
 悠二がつくってくれたあのぬいぐるみの片方は、あたしが持っています。
 本当にありがとう。
 あたしのために色々としてくれて……。
 あたし、途中からずっと悠二のこと好きだったよ。
 気づいてなかったかもしれないけど、悠二の膝の上でこっそり寝たり、
 一緒に寝たときは、すごく嬉しかったんだよ。
 ありがとう。
 一生感謝してもしきれなから、あたしは決めました。
 毎年、悠二に会いに行くよ。
 引っ越してしまっても、大丈夫。サンタはいつでも会いに行くよ。
 欲しいものがあったら、靴下に入れてね。
 二十日の早朝にこっそり見に行くから。 
 このときは絶対に起きちゃだめだよ。
 聖夜にはちゃんと会いに行くから。

 あなたのサンタは、あたしだけだよ。

成木 美晴



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