Just a Moment -Florally- side ep.1
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「あれ? また寝てるんですかー? もう5時ですよ、先輩」
……聞き慣れない女の声。
半目のねぼけ眼で声の主を探すと、眼鏡をかけた女の子がこちらを覗き込んでいた。
誰だ……?
体を起こして女の子をよく見る。
ネクタイのラインが赤だから、一年生、か……。
「だから、5時ですよ。閉館です」
図書委員なのだろうか。
一年生はあまり知らないが。
「……誰?」
そうぼそりと呟くと、女の子はえ?と聞き返した。
「私ですか? 私、図書委員の1年F組、稲井 香乃子(いない かのこ)です」
薄い茶のお団子頭。
いかにも文学少女、学級委員といった感じの風貌。
……まあ外見で判断するのもよくないけれど。
「……そう、ありがと」
帰ろうと思って席を立つ。
すると、稲井さんは、あの、と引き止めた。
「先輩、えっと、体育祭ですごい歓声受けてましたよね? それで顔を覚えてたんですが、よく考えたらいつも図書館で寝てるなあって」
はにかむ笑顔がいかにも、といった感じだ。
図書館にはほぼ毎日いる。
学校じゃドラムは触らない――正確には、人が多すぎて順番が回ってこない。
まあ、譲ってくれるのだが、それも気が引ける。
だから、放課後はここで眠って、家に帰ってから練習する。
それにしても……。
「俺が何部か、知ってる?」
問うと、稲井さんはうーん、と考え込んだ。
「運動系ですか?」
やっぱり。
この人は、俺が軽音でドラムを叩いていると知らない。
自分でも背が高くて目立つと思うが……一年は皆俺のことをそういう人だと認識しているように思える。
新入生歓迎会と文化祭以外ではまだ人前で演奏していないが、それでもウチのバンドの知名度はすごかった。
割と目立たないポジションではあるが。
「いや。……俺、軽音部。じゃね」
そう言って振り返る直前、稲井さんの驚く表情が一瞬見えた気がした。

*

「先輩、今日は寝てないんですね」
「稲井さん、おすすめの本ない?」
いつもの放課後の図書館。
あれから何度か稲井さんとは話した。
何しろ二人とも毎日図書館にいて、会うわけだから。
稲井さん、か……何か変だな。
「さっき先輩が全部つまんないって言いましたよ」
眼鏡ごしに楽しそうに細められる色素の薄い瞳。
「じゃあ話しよう、香乃子ちゃん」
うーん……これも微妙だな。
「これが終わったらしましょうね」
そう言いながら本を棚にしまっていく。
図書館は広いし、ほとんど誰もいないから声がよく響く。
「香乃子」
「さっきから先輩、なんで呼び方ころころ変えてるんですか?」
不思議そうに覗き見る彼女。
「香乃子でいい?」
これが一番しっくりきた。
香乃子は最後の一冊をしまい終えて、カートを押して戻ってくる。
「何でもいいですよ」
そう言って俺の向かいに座った。
「そういえば先輩、軽音楽部なんですよね?」
「うん」
「私、先輩が体育祭で歓声受けてたの、陸上部か何かで足速いので有名だからだと思ってました」
うーん……ちょっと違う、かな。
「軽音で有名、かな……」
伸びをしながら呟くと、香乃子は驚いた顔をしていた。
「もしかして、この学校で一番有名なバンドですか?」
「わかんないけど、そうかもな」
実際……どうなんだろ。
まあ文化祭でも最初と最後だったからな。
少なくとも部の中で注目はされてる、か。
「たまに聞く、高倉 佑先輩とかの、えーと……確か、トルクウェーレ……ですか……?」
「ああ、うん」
そう言うのが手っ取り早いか。
すると、香乃子はわあ、と言って笑った。
「すごいですね! 私、知らなかった」
その子供っぽい表情は、見たことがないほどきらきらしていた。
憧れとか、キャーキャー言うようなやつとは違う。
何故か本当に尊敬されたような気がして、ちょっと嬉しくなった。
「そうだ。先輩先輩、これ読んでみてください」
そう言ってどこからか香乃子が取り出したのは、綺麗な赤い花が表紙の絵本。
表紙に導かれるようにしてページをめくると、出てくるのは色とりどりの花。
ふと、その紙が画用紙で、手描きのようなことに気がついて、香乃子を見ると、彼女は恥ずかしそうに笑った。
「それ、私が描いたんです」
香乃子が?
絵なんて全然わからないが、自然な色遣いと、幻想的でいてどこか身近な感じの雰囲気。
最後のページには、すごく見覚えのある、白い花の木のある風景。
「これは……」
「この学校の中庭に生えてるモクレンですよ。ちょうど今、咲いてます」
そう言って、香乃子は図書館の大きな窓を向いた。
一階なので低木に阻まれて見づらいが、確かにそこにあった。
「最近咲いたばかりで、すごく感動したので、ついこの前描いちゃいました。――私、花描くのが好きなんです」
そう言った彼女は、少し誇らしげで、少し恥ずかしそうだった。
「そうなんだ」
そう言って、ふと襲ってきた眠気に、そっと瞼を落とす。
「先輩、寝るんですか? ――おやすみなさい」
暗闇の中で、香乃子の優しい笑顔が思い浮かんだ。


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