Blossom

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「俺らの仕事は、練習の補佐と、ステージの裏方、公演の準備などなど。今の時期はあんまりできることないだろうけど……練習の見学とか、会議の出席とかで学んで行こうか。あと、ダンスの知識ないなら、勉強しないとな」
 三年のマネージャーの先輩――草野 武善(くさの たけよし)先輩に、マネージャーの仕事について説明を受ける。
 結局、やはり三年の先輩に審査されているのか、一年のマネージャーは私だけになった。
 草野先輩は、真面目そうな人で、私に色々とマメに教えてくれた。
 そこで、私が全然知識がなくて、今のままじゃ、パシリくらいにしか使えないって思い知った。
 頑張らなくちゃ。成り行きとはいえ、なったからには真面目にやらなきゃ。
 朝斗先輩なんかは、桃歌チャンはいるだけでも癒しだからね、とか言ってくれたけど、そんなのは、私は嫌だ。
 先輩たちのために、努力しよう。


「基山チャン、俺が言うのもあれだけど、あれから落ち着いた?」
 なんとなくあの日のことは触れないですごしていたけれど、芳花先輩は気になっていたみたいだった。
 そりゃあそうだよね……あの日の私は、あまりにおかしすぎたから。
「えっと……はい。ちょっとは、冷静になれました」
 普通に見たら、変なやり取りかもしれない。でも、芳花先輩は悪くなくて、私が勝手に大げさに受け取って、ショツクを受けちゃっただけだから。
「うん。……あのさ、基山チャンは、サキのコト好きか?」
 何気ない風に聞いてきたことだけど、私はその言葉を何度も何度も心の中で反芻して、やっとのことで言葉を見つけた。
「……好き、です」
 これしかない。他の言葉があるとしたら、それは「好き」じゃない。
 少しの沈黙の後、芳花先輩が鼻で笑った。
 疑問に思って彼を見上げると、芳花先輩は、頭に手をやったまま、再度軽く笑った。
「俺、思うんだケド。――その『好き』は、尊敬の延長でしかない」
 胸にナイフが突き刺さるようだった。
 真実かは、わからない。少なくとも、今この瞬間の焦った心境では。
 何も言えずに俯いていたら、少し乱暴に肩を引き寄せられた。
「なァ、基山チャンは、俺にこうされても、ドキドキするだろ……? あの時、俺がキスしたのを見てショックを受けたってのは、そういうことだろ……? サキについても、振り回されてるだけで、変わらないんじゃねぇの?」
 確かに、ドキドキはしている。でも、思いたくない。サキ先輩に対して特別な感情がある訳じゃないって、思いたくない。
「わかってるか? 事実の上じゃ、俺とサキは、どっちもリードしてないんだよ」
 キスは、一回。
 抱き締められた程度のことなんて。
 わからない。わからないよ。
「基山チャン。泣かないでくれよ……。ちょっと言いすぎたかもしれないが、俺はキミを泣かせたくない。サキからキミを奪いたくもない。――むしろ、基山チャンが、ちゃんとサキを好きになれるように、サポートしてやりたい」
 芳花先輩には珍しく、静かな声色で、早口にそう言った。
 涙ぐんだ目を見られなくなかったけど、気づいてしまったようだった。
 何で私は泣いたんだ。サキ先輩の気持ちに応えられてないと気づいてしまったから?
「なあ、基山チャンからさ、何かしてみようよ。……サキに、『惚れたろ』って言えって言ったの、俺なんだ」
 本気かどうかわからなかったサキ先輩に、自分から動けば自信もついてくるって。
 ――サキ先輩は本気なんだ。本気で、私を……。
 やっとわかった気がする。尊敬の域から抜け出せないのは、私がサキ先輩に対して憂慮して、「好き」を認めたくないから。
 もし彼が気移りしそうでも、私に引き寄せるほどの。それほどの、愛情を伝えてみればいいんだ。
「……ありがとうございます!」
 吹っ切れた。何もかも。
 密着していた芳花先輩の身体を力いっぱい押し返して、二人で歯を見せて笑いあった。


「サキ先輩。今度どこか行きませんか」
 昼休み、いつも通り私の隣のサキ先輩に、わざと何でもないようにそう言うと、サキ先輩は一瞬動きを止めて、私の方を見た。
 その顔には、驚きと喜びが見えた気がした。
「デートさせてくれんのか!?」
「この間のお礼と、ゆっくりお話がしたいんです」
 あまりの先輩の反応に内心にやけながら頷くと、サキ先輩は私を抱き寄せた。
 彼なりの照れ隠しなのだろうか。そういえば、以前にもこんなことがあったことを思い出した。
 抱き締められていたら、顔が見えないから。他の先輩には丸見えなんだけど。
「あの、普通のカフェでいいですか?」
 私は、そんなにお店とか知らないから。
 頷きながら私の頭を撫でてくれる。
「桃歌チャン、何かあったのか?」
「え? えっと……何にも、ないですよ」
 本当に不思議そうなその表情を見て、しらばっくれてみると、サキ先輩は笑った。
 別に、知らなくてもいいことだし、特別何かあったという訳ではない。
 ただ、私が、彼に対して積極的になろうと決意しただけ。
 私にとっても、彼にとっても、「それだけのこと」かどうかは、わからないけど。
「サキ先輩」
「ん?」
「好きです」
 芳花先輩のおかげで、気が楽になって、さらっと言うことができた。
 「好き」という言葉を口にした途端に、何かが変わった気がした。
 それは、二人の関係という、確かな事実だろうか。
 サキ先輩の照れくさそうに笑った声に、胸がきゅんとした。


 私が隼先輩に聞いたコト、あの日に思っていたコト、芳花先輩に言われたことを全てサキ先輩に説明した。
 彼は、いつものように優しく相槌を打ちながら聞いてくれた。
「ごめんな……。俺は、桃歌チャンを十分不安にさせてたんだな。……でも、さ」
 伏せた睫毛の向こうの瞳が、優しく甘い光を含みながら、笑った。
「桃歌チャンが俺を嫌いになるまで、絶対にこの気持ちは変わらないから」
 窓から差し込んだ光が、サキ先輩を、舞台の上と同じように輝かせた。
 松岡 咲哉。最初は悔しいほどにかっこよくて、強引で、ずるいと思っていた。本当は、あまりに不器用で、素直で、優しい人。
 私を、愛してくれる人。
「私、まだわかりませんけど。あの、サキ先輩の気持ちに、応えられるように……」
 ふいに彼の大きな手に頬を包まれて、言葉を止める。
 近づけられた綺麗な顔に、どきどきした。
 その瞳は真剣そのもので、見詰め合ったら息が詰まりそうになった。
「好きにさせてみせる。そうしたら、俺も桃歌チャンも幸せだ」
 勿論わかっている。この言葉がその通りの意味じゃないって。自分にかけた暗示みたいなものだって。不安な私たちが、同じように安心できるような。

「先輩は……私が、魅力的だと、思うんですか」
 恥ずかしくて、小さな声で独り言みたいに呟いたけど、サキ先輩はちゃんと聞いてくれていた。
「当たり前だろ」
 照れたように少々乱暴に言う彼が、愛しいと思った。
 帰り道で、抱き締められた彼の胸の中は、花の香りで満ちていた。


「桃歌チャンの評判、俺らの間で良くなってるよ」
 朝斗先輩も加えて下校していたとき、急に彼がそう言った。
 それって、つまり……。
「かわいいし、松岡たちだけに媚びたりしないし、一生懸命だし。何かな、松岡への嫌悪の感情が、ちょっと違う方向へ行き始めてる気がするよ」
 冗談っぽくそうまとめて、朝斗先輩はそっぽを向いてしまったけれど、きっと私を安心させるために言ってくれたんだろう。
 朝斗先輩もずっと、私の味方をしてくれている。
 あえて何も言わずに心の中でお礼を言って、サキ先輩を見上げたら、やったな、と言ってくれた。
 きっと、このままだったら上手く行く。
 これ以上の出来事は、これからのことだし、私やサキ先輩個人の問題になるだろう。
 全てとは言わないけれど、複雑なもやもやは、きっと解消した。
 だから、これからは、サキ先輩の気持ちに応えられるように、努力しよう。
「はあ、俺もう彼女作っていいかな」
「桃ちー以上の女の子を見つけられる気がしないな」
「……そうだな」
 そんなやり取りを聞いていたサキ先輩が、ふいに私の腕を引いて、その綺麗な長い指で私の唇をなぞった。驚きで身体が震えたけれど、それは全く嫌悪なんかではなかった。
 驚く暇もなく、唇を重ねられる。
 二度目の、サキ先輩の感触。
 そして、もう慣れてしまったあの匂い。だけど、今日は一際違う気がした。
 今までで一番に、酔ってしまいそうに甘い香り。
 温かな胸に顔を埋めると、より一層強く抱き締められた。
「恥ずかしいから、道端で、やめてくれ」
 解放されて、そう言った隼先輩と目が合うと、ちょっと飽きれたように笑って、目を逸らされた。
 隼が先輩がいなかったら……いや、どの先輩もかけがえがなかった。
 私が、素直な気持ちになるまでの過程においては。
「さいた、さいた」
 サキ先輩が口ずさんでいたのは、チューリップだった。
 私の名前には、花の名前が入っている。サキ先輩は、私を咲かせてくれた。
 それは、私の中に、恋が芽生えたということだった。
 綺麗な恋を、これからまた咲かせてくれるんだ。


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