Blossom
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軽やかに繰り出されるステップ。音もなく滑り、回る革靴だけでも見とれてしまいそうだった。
この学校でも有名な男子ヒップホップ部のダンスは、予想以上に魅力的だった。
新入生歓迎会、という割とラフな会の中で、場違いなほどにレベルが高い。
それに、今踊っている面々の顔の端整さ。この中の誰か一人くらいは、日本の八割の女性のストライクゾーンをついているんじゃないかと思った。
私も、一番センターにいた茶色い髪で、一際高い背の人が気になって仕方がなかった。
「基山サン」
聞き慣れない男の声にびっくりして振り向くと、予想していたよりずっと高いところに相手の顔があった。
そして、見慣れない――いや。
「――!」
彼が身にまとっている服は、先ほどの男子ヒップホップ部の衣装のそれだった。
そして、見上げた先の茶色の髪……。
「おい、サキ、何してんだ」
微妙な笑みを浮かべて、全然知り合いでもないのに私の名前を呼んで、イケメンが私と対峙している。
それだけで、ただでさえ惚れっぽくて大変なのに、私の胸の鼓動は限界を叫んでいた。
「あー……ちょっとこの子に用があるから先行ってて」
彼はさらさらの茶髪をかきながら声をかけてきた男子に告げて、私の両肩に手を乗せた。
「な、基山サン。俺に惚れただろ」
満足そうにそんなことをさらっと言って、綺麗な唇のラインを上げる。
だから……どうして私の名前を。
冷静な心中は知らん振りで熱くなっていく頬は、彼の機嫌を良くするには十分のようだった。
「別にいいよ。……ん? あ、なんか色々どうしてって顔してるね。名前は、上履き。あとは――」
肩に置かれた手に力が入って、少し彼の元に引き寄せられる。
ふわりと、男の人に似つかわしくないほどに、花みたいな匂いがした。
「君がそのカワイイ目で俺の動きを追ってるのが、よく見えたんだよ」
彼が低く、しかし甘くそう言い放ったとき、私は急に我に返って、周りの状況がやっとはっきり見えてきた。
なんだかものすごい視線を浴びせられてて……というかっ。
「あの……もしかしなくても、先輩、人気者ですか」
驚くほどすっきりと口をついて出た言葉が、私の頭の中で勝手に「あーあ」、と後悔を呼びかける。
別に何もしてないのに……どうしてこんなに残念な気分になってるんだろ。
「うん。去年の人気投票はナンバーワン制覇、松岡 咲哉(まつおか さきや)クンです。基山サンは、今日から俺のお気に入りな」
彼は羽織ったジャケットを軽く整えて、私にひとつ手を振って去っていった。
何もかもが一瞬で行われすぎて、私はただ唖然とするしかなかった。
その後、私が女子からも男子からも、学年を超えて凄まじい視線を浴びせかけられたのは言うまでもない。
「ねえねえ、松岡先輩と何か関係あるの!?」
「先輩が基山さんに惚れちゃったとか……!? うっそー」
「き、基山さんがあの人に惚れたというのは本当なのですか……!?」
「ねーねー、スリーサイズ教えてよ」
とりあえずどさくさに紛れて変なことまで聞いてくる輩もいて、うっとうしいばかりだったけれど、これ以上学校の人を敵に回すのも嫌だったので、適当でもひとつひとつ返答していった。
「全っ然、初対面です! それはわからない! 惚れてません! トップシークレットです!」
とにもかくにも、あの場にいた生徒のほとんどに顔を覚えられて、マークされてしまったことに違いはない。
これ以上誤解やら何やら――があったとしたら、増やさないようにしなければならない。
あの男……卑怯なほどにイケメンな男。松岡 咲哉が、高校生活初日にして、かっこいいとは思ったものの、少し恨みたくなった。
初めての昼休み、何だか嫌な予感と共に教室の外がざわつき始めて、自然と溜息が出た。
予想通りすぎて泣けてくる。こんなことになってしまわなければよかったのに。
「基山サン、やあやあ!」
明るくウィンクしかけた憎むべきイケメン、松岡 咲哉は、たくさんの黄色い歓声と崇拝の視線を受けながら、男子ヒップホップ部であろう、これまたイケメン何人かを従えていた。
彼らが小さく言った言葉が不思議と耳に入ってしまう。
「……チビだな」
「っはー、顔赤いよ? かわいいねぇ」
「サキ、俺あっちの子がいー」
すらっとした体型の、真っ黒髪の、中性的な人。
明るい赤みがかった茶髪を後ろでちょんと結んでいる、軽そうな人。
松岡 咲哉と同じ色の茶髪で、人懐っこい笑みを浮かべている人。
とりあえず日本女性五十人中、四十九人が確実に誰か一人を「かっこいい」と言うであろうイケメンズ。
なんだかここまでに浮世離れした端整さだと、逆に惚れっぽい気持ちも収まってくる。
「基山サン、桃歌っていうんだね。基山 桃歌(きやま ももか)。名前までカワイイとか卑怯だなあ」
卑怯なのはお前の方だ、と心の中で舌打ちしつつも、彼のいちいちかっこいいしぐさに見とれてしまう。
一体どこから私の名前を聞き出してきたんだろう。彼ならその辺の人にでも聞けそうだけれど。
それにしても、この人たちは一体何を……。
「桃歌チャン。生徒に変な誤解させてるの嫌でしょ」
周りに聞こえないように耳打ちされた、甘い響きの声。
何だかその誤解を招いた本人に縋ったら、また変な方向に進んでいきそうだったけれど、私の返事やら何やらも待たずに松岡 咲哉は私の右手を優しく、しかし強引に握って歩き出した。
「ちょっと……っ、あのっ」
彼を見上げても私の方に目もくれようとしないので、周りをきょろきょろして視線で助けを求めていたら、真っ黒髪の人が鼻で笑った。
それを見て、赤茶色の髪の人が眉を下げて笑った。
「隼、かわいそーだろ。もも……基山チャン、俺、芳花 水瀬(よしはな みなせ)。よろしくね」
紳士的に優しく接してくれたのはよかったけれど、その表情は明らかに見下していたし、何より自己紹介というこの状況下でほとんど意味のないことをされて、私は少し腹が立ってきた。
「あのっ! ホントになんなんですかっ」
少々声を荒げて言うと、松岡先輩はこちらをちらと見たけれど、それは一瞬だった。
「まあまあ、ついてきなって。――桃歌チャンにとっても別にマズイことはしないから」
もう既に結構マズイんですけれども!!
「サキー、俺腹減ったよー。いっそその子担いで走ろうぜー」
地味に恐ろしげなことをさらっと言いのけた、髪色・松岡・モドキは、私を何だと思っているのだろうか。
そんなコトをされたら、本当に色々な意味で私の立場が危うい。
「ま、つおか先輩! あの、教室に帰してくださいっ」
初めて名前を口に出して懇願すると、松岡 咲哉は私の手を握っていた力を強めて、でも不思議そうに首を傾げた。
「なんで? 嫌?」
あまりに無邪気なその口調に、思わず言葉に詰まると、彼はにっこりと笑った。
「ダイジョーブ。俺に付いてくれば、変な誤解はされないって。――誰も、桃歌チャンに手出せないようにしてやるから」
安心させるような口調と、その後についてきた低い呟きで、つい慄いてしまう。
そんな私を見て、私の左後ろを歩いていた、真っ黒髪の人が真面目な顔で言った。
「おいチビ。このまま離れた方がいいとか思ってるかもしれんが、その方が標的にされんだよ。俺らはそれをもうわかっててやってるんだ」
なら……、なら、最初から――
「私なんかに、声をかけないでくれれば……っ」
やけくそ半分で聞こえないかと思って言ったのに。私の右手を支配している人は、気づいてしまったらしい。
恥ずかしさやら何やらで真っ赤な顔と、涙も浮かぶ目を見られた。
「あのさぁ、わかってないかもしれないケド」
あくまで優しく、優しく頬をなぞられる。骨ばった細い指が、目尻をかすめた。
彼の綺麗な唇に、見とれてしまう。
「俺は、桃歌チャンを泣かせたい訳でも、困らせたい訳でもないからね?」
「わ、かってます」
嫌だけど、困ってるけど。
さっきの真っ黒髪の人に言われたことと、彼の優しい言葉から、なんとなく気持ちは汲み取れたから。
ただ単に彼を拒絶することは、できそうもなかった。
「サキ、何を迷ってんだよ、奪っちゃえ」
私が言葉に詰まって俯いていたら、面白そうに言う声が遠くから聞こえた。
そして、私がその言葉の意味を考え始めると同時に、
「水瀬、ふざけるのもいい加減にしてくれないか」
松岡 咲哉の恐ろしいほど低い声が響いて、鈍い物音。
少し心配になって声の主――芳花 水瀬の方を見ると、彼は松岡 咲哉に蹴飛ばされていた。
「ジョーダンだっつの……サキ、きっついな」
笑いながら言ったものの、明らかにその瞳は怯えていた。
昼休みなので賑わう廊下の人ごみの向こうから、彼は腰をさすりながら小走りで帰ってくる。
「桃歌チャン、行くよ」
無情な声にびくりと体を震わせると、彼は安心させるように左手を強く握り締めた。
「松岡先輩」
「なに?」
「あの……なんで、私」
「桃歌チャンがカワイイ目で俺の動きを追ってるのがよく見えたって言っただろ?」
「だって、そんなの、皆」
「だーかーら、俺は桃歌チャンが気になったの。それだけじゃだめ?」
全て、余裕げに、まるで心を読んでいるかのように、先回りされてしまう。
「先輩の"お気に入り"はいっぱいいるんですか」
「そんな訳ないだろ」
またもや即答されてしまったけれど、私は彼の考えていることが全然わからなかった。
だって……お気に入りって何なの?
その口調は嘘ではなさそうだったし、彼が不真面目な人には、私には見えないけれど。
うんうん一人で唸っているうちに、開けたところに来ていることに気がついた。
ここは……中庭?
まだ全然校内を探索する時間もなかったから、ちらっと見かけただけの小綺麗な中庭。
ベンチと樹木という、シンプルな公園のような構成。
「はー、腹減ったー。サキ、俺先に食べるからなぁ?」
髪色・松岡・モドキがまた、私の存在を無視したように気まぐれに言い放った。
よく見たら、中庭は各クラスの教室の窓から見えるようになっていて、たくさんの人が中庭を見下ろしていた。
中庭には不思議なことに、私たち以外に誰もいなくて――。
「あぁ、いっつも、ここ俺らのスペースになってるんだ」
松岡……先輩がのんびりと言って、私の手を引く。
たくさんの視線を浴びせられるの、慣れているんだろうな。私みたいな平凡な人間は、もう恥ずかしさで色々ガチガチなんだけれど。
最初は疑問に思ってたはずなのに、なんで素直にここまで来てしまったんだろう……。
「よし、準備するか」
松岡先輩がそう言うと、真っ黒髪の人が持っていた包みを広げた。
「あの……」
見回したら髪色・松岡・モドキはもう膝の上に乗せたお弁当をつついていた。
……え?
「ほら、水瀬、あれくらいでへばってんじゃねぇよ」
風呂敷の端を几帳面に引っ張ってしわを伸ばしながら、真っ黒髪の人は吐くように言った。
「あぁ……」
先ほど打った肩をさすりながら芳花先輩が歩み寄って、包みの中に入っていた……重箱?のようなものを丁寧に開けた。
「あの、何を」
「ん? 何って、飯」
……ご飯?
確かに、髪色・松岡・モドキは一人で楽しそうにランチタイムを満喫しているようだし、重箱のようなものの中には、おいしそうなおかずとおにぎりが。
私、教室にお弁当置いてきちゃったけど……って。
「ご、ご飯ですか!?」
え、え?
何だかさっきまで当たり前みたいについてきてしまったけれど。その目的は何だか嫌な予感がしたから想像もしたくなかったけれど。
ご飯を一緒に食べる……だけ?
「うん。隼の飯はうめーぞ」
何事もなかったかのように淡々と言いのける。
隼……って、さっき芳花先輩が真っ黒髪の人に言ってたけど。
「ああ、隼って、あの黒いヤツね。笹神 隼(ささかみ はや)。……女々しいって言ったら殺されるから注意な」
最後の一言は、私にしか聞こえないようにこっそりと言った。
あんなに中性的な顔立ちをしているから、言われ慣れてそうなのに、嫌なんだ。
「んでー……あと紹介してないのは……。琴か」
そう言って、松岡先輩は、早くも一人ランチタイムを楽しむ髪色・松岡・モドキを引きずり寄せた。
「何だよおサキ! 今いいところだったんだよ!」
不満そうに言う顔は、幼さを残している気もするけど、でもやっぱり綺麗だった。
そんな髪色・松岡・モドキをなだめるように松岡先輩は、はいはいと言いながら肩に手を乗せた。
「ほら、お前だけ自己紹介してない」
「えー……だってこんなガキみたいな……。――お、俺は千種 琴吹(ちくさ ことぶき)」
松岡先輩に笑顔のまま睨まれて言い直す。
……権力、強いんだなあ。
「サキ、食うぞ」
「ん? あぁ。……桃歌チャンはここね」
そう言って彼の隣に強引に座らせられる。早くも自分の弁当を片付けた千種……何だか悔しいけど先輩も、輪に入る。
……まだ食うんかい。
そうしているうちにも、中庭を見下ろしている野次馬的な生徒は増えていっている。ウッソーみたいなものから、意味のわからない声援のようなもの、そして泣き声みたいなのも聞こえる。
この際、気にしないようにした方が、いいかな……。
何だか良心がとてつもなく痛んできたので、遠くから聞こえる声は全てシャットアウトすることに努めた。
「ほい。……んじゃ、いただきます!」
松岡先輩の気持ちいい一声で、はっと我に返って目の前の重箱に目をやる。
四人分だとしても、物凄く多いような……。
そういえば、私のことはきっと想定していなかっただろうな、と思って、手をつけるのも億劫で、渡された割り箸を弄んでいたら、笹神先輩に恐ろしい目で睨まれた。
あは、あはは、おこ、怒りますよね……。
「……お前の分もあるから、遠慮すんな」
意外にも優しくそう言って、私から目を逸らす。
どうしてだろう。そう思っていたら、松岡先輩が笑って答えてくれた。
「ああ、隼の弁当、いっつも多めに作って、残りモノは琴のおやつだから。別になくても不満は言わないからダイジョーブ」
物凄い言われそうだけど。後で私のお弁当を献上すれば大丈夫だろうか……。
とにもかくにも、今現在この中で私に親切してくれる順番は、松岡先輩、笹神先輩、芳花先輩、千種先輩だという認識で定着した。
「それじゃあ……イタダキマス」
皆さんに人気のあるおかずを頂いては申し訳ない、となぜか白々しくもそう思ったので、誰も手をつけていない魚に箸を伸ばしたら。
「……あ」
千種先輩がぽろっと残念そうな声を上げた。
あれっ狙ってたのかな。そう思って彼の顔を見たら、ちょっと眉を寄せて唇を締めていた。
……松岡先輩のこととか、気にしてるのかな。
「あの……私、いいですよ?」
好き嫌いはないし、何でも大体大好きだもの。
「べ、別に狙ったりしてないから、別にいいよ!」
別にが二つもついておりますが。
慌ててそう言う姿が少しかわいいな、なんて思った。
「ほらほら、人の好意は素直に受け入れるもんだぜ」
すっかり先ほどの弱気は消えうせた芳花先輩が、千種先輩を小突く。
うんうん、その通りその通り。いやいや、そんなに親切したつもりじゃないけれど……。
「あ、アリガト」
ぼそっと言った千種先輩は、ちょっと赤かった。つい笑顔になったら、隣でむせる声が聞こえた。
振り返ったら、松岡先輩が思いっきりむせていた。
あれ、あれ、顔赤くないですか――?
「だ、大丈夫ですか?」
「けほっ……う、うん……。ヤバイ、桃歌チャンの笑顔、カワイイ」
ななななんてことを言うんだろう。
本日三度目のイケメンからの「カワイイ」で、若干麻痺していた感覚が戻ってきたけれど、イケメンからの「カワイイ」はどうしようもなく調子に乗ってしまう。
そんな自分をどうにか静めようと奮闘していたら、松岡先輩が笑った。
「カワイイって言われるの、嬉しい? カワイイな」
ニヤニヤしていたのがバレたんだろうか。
あ、貴方に言われると通常の人の三倍は嬉しいです……。
「桃歌チャン、ほい」
一人で恍惚の海に溺れていたら、急に声をかけられて、その箸につままれたものを見てまた心が躍った。
は、ハンバーグぅぅ!!
そしてそのまま陽気な気分で口を開けて、所謂「あーん」をしてもらってしまったのですが。
忘れていた、いや、シャットアウトしようと努めていた外界から、痛烈な叫び声が……。
あ、あははは、やってしまった……。
口の中のハンバーグはとんでもなくおいしいけれど、色々考えなければいけないことがありすぎて味わえやしないっ! そう思って眉を潜めると、松岡先輩に囁かれた。
「心配すんなって。俺らとつるんでるトコ見てて、そう簡単に手出したりさせねぇから」
……それって、どういうこと?
まさかこのイケメン集団の中で権力を握っているこの人は、学校内でもそんな権力を持っていたりするのだろうか。
それって、実は結構怖いとか――
「基山チャン、俺が蹴られるの見てただろ……? キレたら、あれじゃ済まないからナ……」
芳花先輩が苦笑しながら教えてくれた。
あ、はは……そうなんだ。
ここまでの印象として、すごく優しそうなのに。
そう耳打ちされたのが聞こえたのか、松岡先輩は一瞬芳花先輩を睨んだけど、すぐに笑顔になった。
その切り替えが、すごく怖いです先輩……。
「――で。隼のハンバーグ美味いでしょ?」
「あ、はい!」
ホントはそんなにゆっくり味わえなかったけど、口に広がった味は確かに普通のものと違った。
ちらと横目で笹神先輩を見ると、しらんぷりしてるフリをしてるけど、ちょっとちらっとこちらを見て、また逸らしてしまった。
……案外、照れ屋さんなのかな……? そう思ったら、何だかあのちょっと怖い顔にも慣れてきた。
「あの……先輩方って、男子ヒップホップ部の方ですよね?」
そういえば、気になっていたというか、確認のために聞いておきたかったことだった。
「何を今更。桃歌チャンも見てたでしょ。俺ら四人が二年の部員」
松岡先輩と芳花先輩はわかるけど、何だか後の二人は、ちょっと意外。
確かに、よく見ればさっき踊ってた人にも見えるけど、この雰囲気からは想像できないなぁ。
「はは、琴と隼が意外だって顔してるよ」
そういう風に、二人に聞こえるように言ったから、ちょっと私は慌てた。
も、もうしわけない……。
「よく言われるケドー。俺らもサキほど上手くないけどちゃんと一年はみっちりやってんだかんな!」
おにぎりを頬張りつつ口を尖らせて言う千種先輩。
なんだか……かわいいな。
「何なら今もっかいやるか? 食後の運動として」
そう言って笹神先輩が立ち上がってしまったから、私は余計慌てた。
ちょ、ちょっと、何だか私のこの後が心配になるようなことさせてしまっているんじゃ……。
いや、きっと大丈夫だ。中庭・野次馬ーズは男子ヒップホップ部のダンスが見られて嬉しいに違いない。
そうだそうだ。
だって、心なしか歓声が大きくなって――聞かないようにしてるんだった。
おっしゃ、なんて言って四人して肩とか足とか回し始めたから、私は堪忍して彼らから少し離れた。
「あ、曲とかないけど」
「まぁ、カウントだろうな」
そう言って急に始めてしまう。
ワン、ツー、スリー、フォー、ファイブ、シックス、セブン、エイ……。
――あ……。
踊り始めないとわからなかったというのも、情けないけど。確かに、先ほど体育館で素敵なステップを踏んでた方々だった。
雰囲気が、全然違う。
松岡先輩が、第一印象みたいに、キラキラ輝いて見えた。
自然と鼓動が速まる。かっこいい。輝いてる。
どんな言葉も野暮ったいだけに感じる。
衣装じゃなくても、平凡な私服でも、何故か特別なものに見えてくる。
四人揃ってフィニッシュのポーズをとったとき、中庭・野次馬ーズの皆様が拍手と歓声を中庭に浴びせてきた。何だか私もガチガチになって拍手していたら、「基山さんやるぅー!」みたいな声も聞こえてきて、もうホントに勘弁してほしかった。
私は目立ちたくなかったのにっ。
「な、わかったか?」
何故か芳花先輩のあからさまに見下した笑みもかっこよく見えて、ちょっとだけ悔しくなった。
やっぱり、こういうことやる時って、人は変わるものなんだなぁ。
そのとき、予鈴が鳴った。
「あ、もうこんな時間か。――じゃーね、桃歌チャン。また、放課後」
「おやつの提供は早めによろしく!」
先輩達が手を振りながら去っていく。
千種先輩……抜け目ないな。
って、放課後も!?
なんだか、イケメン四人に囲まれると精神的に疲れるのだけれど……。
少々迷いながらもなんとか教室に戻ると、驚いたことに、教室にいたほとんどの生徒には、質問攻めとか好奇の視線ではなく、友好的な笑顔を向けられた。
「ねぇねぇ、えっと……基山さん、ううん、桃歌ちゃん! あたし、羽崎 紗奈(はねざき さな)。あのね、昼休みみんなと話してたんだけど……桃歌ちゃん、かわいいから、あの先輩たちといると、何だか羨ましいとかなくて、『いいなぁ……』って感じなの!」
羽崎さんは、ふわふわの髪をツーテールにしていて、明るそうだけど綺麗な女の子で、雰囲気とか話からすると、もう既に友達がたくさんできたみたいだった。
「や、そんなこと絶対無いよ。私自身、なんだかもう気圧されちゃったもの……。あの、紗奈ちゃんって、呼んでいい?」
彼女の話し方には全然嫌味なところがなかったし、何より久々に女の子と話したので安心して、友達になっておきたいなあ、と思った。
「紗奈でいいよ! あんなカリスマの塊みたいな先輩たちに一瞬で慣れちゃう方がすごいかも」
確かに、そうかもしれない。
私だって、多少は正気で話ができた分、まだマシなのかもしれない。
ごく普通、いや、普通より惚れっぽい私にとって、あんな状況、おいしい以外のなんでもないもの。気に入られたみたいなのが嬉しくない訳ないし、全員、かっこいい以外にも、すごく素敵な個性を持っていて、正直まだ信じられなかった。
「あ、もう本鈴鳴っちゃう。じゃあね」
「桃ちー、弁当くれ!」
五時間目が終わったとき、急に高く通る声が聞こえてきた。
あの髪色は……松岡先輩・アンド・モドキ・カラー。明るい茶色の髪が、午後の日差しを浴びて輝いていた。
変なあだ名で私を呼んだのは、千種先輩だった。
正直言わなくても、笹神先輩のあんなにおいしいお弁当を食べた後に、私のお弁当を食べてもらうのは、ちょっと恥ずかしい。
手作りと言えるほどの内容でもないけど、自分で作ったから……。
「は、はい……。あんまりおいしくなくても、文句言わないでくださいね?」
おずおずと言うと、千種先輩は何も言わずに弁当をひったくって、早速卵焼きを口に入れた。
「うまいよ、うん」
昼休みの前半、私をほとんど無視していたときとは違って、にっこり笑ってそう言ってくれたから、私は安心した。千種先輩は、何でも食べるタイプにも、グルメなタイプにも見えない。
そもそも、大食漢というのが意外だった。
「明日からは、隼がもう一人分増やしてくれるから、桃ちーは弁当持ってこなくていいよ」
嬉しいことだけど、いいのかな……と思っていたら、千種先輩がにっと笑った。
「隼、あれで結構喜んでるんだよ」
そうなんだ……。
無愛想に見えて、それなりに素直な人なのかな。昼休みからの会話や反応を見ていて、そう思った。
「俺ら、カノジョとか作らないの、ちょっとしたワケがあるんだけど、さ」
立ち食いしながら、行動とは裏腹に、その表情と声色を真剣だったから、私は少し息が詰まった。
「サキは、桃ちーのこと、からかってるワケでも、ふざけて遊んでるワケでもなくて、ホントだったらカノジョにしたいくらいだって、思ってるみたいだから……」
「……え?」
「ん、つ、つまり。あの、単なる『お気に入り』だと思わなくていいってか、えーと……。これからよろしくな!」
取り繕うように言ったけれど、千種先輩の黄に近い瞳は嘘をついていなかった。
そして、手渡されたのは空のお弁当箱。
「うまかった! アリガト」
昼休みのときみたいに、照れたように笑った千種先輩はかっこよくもあったけど、かわいかった。
「……かわいい」
「ん?」
「あ、いや、何でも」
聞こえてたかな、何て思ったら、ちょっと恥ずかしくなった。
それにしても、あの細身のドコに、軽く三人分のご飯が入るんだろう……。
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