Blossom - WhiteDay short

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 冷たい空気の中、桜の木は蕾をたたえている。
 桃が咲いたと、サキ先輩はお姉さんたちからの桃を持ってきてくれた。
 水瀬先輩の髪色も「春カラー」と言って少し変わった。
 黒くなってきた琴先輩は、それに便乗するようにばっさり切って黒髪になった。
 黒といっても、隼先輩と比べると茶色っぽいのだけれど。
 サキ先輩はいつもカンペキにまだらにもならないんだけど……。
 ちょっとそれを水瀬先輩に言ったら、私のためにやってくれている、と教えられた。
 そんなこと、気にしないのに。
「気づいてないことないだろ? アイツ、負けず嫌いだから、基山チャンにはちょっとでもカッコ悪いトコ見せたくねぇんだよ」
 確かに……そうなんだけど。
 彼は、何もしなくても十分すぎるほどにかっこいいのに。
「基山チャン……サキはサキで好きなのはわかってるけど、こんな環境だ、どっからどーなるかわかんねぇよ。不安になるさ」
 いっつもいっつもこんな話ばっかりで、水瀬先輩に迷惑かけちゃってるかな、と思うけど、そんなこと言っても水瀬先輩は笑った。
「妬いちゃうねぇ。何度も何度も言うけど、サキは基山ちゃんとめいっぱいイチャイチャしたいがために色々苦労してんだからな」
「で、でも、四月からは先輩たちも三年生だし、そんなに気にかけなくていいんですからねっ」
「わーかってるよ。でもな、やりたくてやってんだから、口出しされるのはツライぜ?」
 ブーツで器用にくるりと回って、反論できないウィンクを向けられたから、私は口をつぐむしかなかった。

「あの、草野先輩は……卒業、楽しみですか?」
 たまたま乗った電車で、草野先輩と会った。
 だから、ずっと気になって……いや、不安だったことを聞いてみた。
 眼鏡の向こうで真剣に考える瞳を見ると、何だか少しだけ申し訳なくなってきた。
 私にとっては重要かもしれないけれど……彼にとって、それを言うことは、どういうことなのか。
「楽しみ……かな」
 さんざん考えて発された言葉は、普通の答えだった。
「不安の方が多いこともあるかもしれないけど、これまでのしがらみを一新できるっていうのが……なんか、ね」
 らしくなく少しはにかんだ彼を見て、少しだけ不思議な気持ちになった。
 当たり前の考え方で、当たり前のことを言っている。
 だけど……。私は、何を期待していたんだろう。
「私は、先輩が卒業しちゃうの、不安ですからねっ」
 何が言いたくてこんなことを言い出したのかわからなかった。
 でも、草野先輩は冷静な視線の中に暖かいものを含んで、微笑みかけてくれた。
「当たり前だよ。俺がこういう風に思うのも当たり前。だけど、何が起きるかわからないからだ。……良い事があったら、不安に思わないだろ?」
 サキ先輩との出会い。合宿。文化祭。……クリスマス。
 不安なことばかりだった。でも、必ず良い結果は導き出されたではないか。
「そう、ですね」
 私の心配がほとんど杞憂に終わっているのは、サキ先輩や、他の先輩のおかげだ。
「もう大丈夫だよ。……基山ちゃんは、一人前だ」
「ありがとうございます」
 寡黙な草野先輩がたくさん話してくれたのも、嬉しかった。
 追い出しコンパ、私は全然役に立ってないかもしれない。
 でも、でもね。
 一人で、色々できるようになったんだもの。
 私は一人じゃないけど、一人でもできるよ。

「え!? し、知らなかったんですけど……」
 ホワイトデー大感謝祭。
 人気投票+握手会。部員全員参加(三年除く)。
「ああ。だってヒミツにしてたからな」
 少しからかうように言った隼先輩をちょっと睨もうとすると、彼は笑って返した。
「チビはやることないから。座っててくれればいい」
「え?」
「いつものお礼……だとよ」
 向こうにいるサキ先輩を指して言った。
 それが、こんな些細なことが、こんなにも嬉しいことなんて。
「去年は人がたくさん来た。いるだけで気疲れするかもしれないが……受付、頼む」
「……はい!」
 嬉しいよ。みんな感謝してくれているのはわかっているけれど、みんなのために頑張っているつもりだから、逆にしてくれると、本当に嬉しい。

「ありがとね」
「ありがとう」
「アリガト!!」
「ありがとー!」
 やっぱりたくさん来た女子生徒。
 中には男子生徒もいた。ヒップホップ部って、やっぱりすごいんだなあと再確認する。
「すいません」
 先輩たちの様子を眺めていたら、男の子に呼び止められた。
「はい?」
「基山さん、握手してください」
 何かあったかなー、なんて思って返したら、そう言われて一瞬固まる。
 えーと……どうしよう、かな。横目見たサキ先輩は見ていなかったから、おずおずと立ち上がって右手を差し出すと、彼は暖かな大きな手で握った。
 恐る恐る見上げた先で、彼は人懐こい笑顔を見せた。
「カワイイなぁ。ほんと」
「え、え?」
 何だかものすごく嫌な予感がしたのでそーっと手を離して体を離すと、男の子は苦笑いをした。
「安心してくださいって。ただのファンだから」
 証拠に彼はなーんにもしてこなかったけれど、どきどきはなかなか収まらなかった。
「は、はい……」
 顔赤いだろうなぁ、と思って顔に当てた手が、やっぱりひんやりと気持ちよかった。
「基山さんさ、やっぱ松岡先輩が一番好きなの?」
 男の子は再度座るように促してフランクに問いかけてきた。
 困惑しつつ小さく頷く私に、まぁ、そうだよね、と返す彼は少しさびしそうだった。
「あの……」
 どうすればいいかなぁ。私に、何ができるのか。
「ん、ごめん! これから、友達になってくれたらなぁなんて思ってただけだから。じゃね」
 友達に、なんて言ったのに、引き止める暇もなく彼は去ってしまった。
 机の上に、小さな包みをこっそり残して。

「結果、どうでした?」
「まだわかんないけど……二年はみんな伯仲だよ。そんなもんさ」
 とりあえずの開票と片付けを終えて、やっと暇そうになった琴先輩に聞くと、そう言って笑った。
「そうそう! 一年な、梢がだいぶ頑張ってるよ!」
 私が梢君とちょっと仲良くしてるのを知ってるから、琴先輩はそう教えてくれた。
 梢君、まじめだからね。
「俺ら、サキだけあんまり人気でも、全然気にしないからな。桃ちーがどーんなにかわいくても、サキに妬かないからな!」
 無邪気に笑って言った琴先輩に、何故だかとても安心した。
「だって俺らもサキかっこいいって思うからさ。俺、サキが憧れなんだよ」
 不器用に優しくて。かっこいいのは外見だけじゃなくて。
 おかしいくらいに過保護で。ダンスのときは別人みたいに輝いてて。
 こんなにも近くにいるのに、彼はたくさんの憧れを受けて、それなのにあんなに普通に過ごしているんだ。
 そう考えると、すごい、かな。
「そーだ。桃ちー、俺らからお返し、ちゃんとあるからな」
 頬杖をつきながら物凄く明るく笑った琴先輩を見て、バレンタインあげた甲斐あったかなぁ、なんて今更思った。
 彼自身が、とても楽しそうだったから。

 基山さんへ
 本当に唐突にごめん。下心も何にもないから安心してくれると助かる。
 知らないかもしれないけど、俺は隣のクラスの高谷。
 諦めたっつーか、なんとも言えないんだけど、基山さんに対してそういう感情じゃなくて、ただ単純に仲良くなりたいと思う。
 だから、これからよろしくって意味で。
 松岡先輩とは、お幸せに。
 高谷 樹

 あの男の子……高谷君の置いていった包みには、こんな内容の手紙と、カップケーキが入っていた。
 先輩に見つからないようにこっそり開けてたけど、隼先輩には見つかってしまったので事情を説明した。
 用心するに超したことはないけど、とりあえずは別に大丈夫かなぁ。
 友達が増えるのは、悪いことではないし。

 隼先輩からは、ホワイトチョコのケーキをもらった。
 やっぱりびっくりするほどおいしくて、手作りとは思えなかった。
 水瀬先輩はちょっとしたアクセサリー。
 さすがのセンスですごくかわいいものをくれて、でも心が躍ったなんて本人にはとてもじゃないけど言えなかった。
 琴先輩も髪留めをくれたけど、すごく考えてくれたって言うから、すごく嬉しかった。
 サキ先輩は、含み笑いのような微笑みを向けて、後でね、と言った。

「今日、時間ある?」
 帰り道で、ふと投げかけられた質問にとっさに頷くと、サキ先輩は安心したように笑った。
「よかった。ちょっとさ、家まで来てくれると嬉しい」
 もう何度か行ってる、サキ先輩の家。
 また綺麗なお姉さんたちと会えると思ったら、こういう日じゃなくても純粋に嬉しかった。
「勿論行きます」
 つないだ手の温もりを直に感じられるから、手袋はしないほうがいい。
 もう温かくなり始めた気温には、必要ないのかもしれないけれど。

「お邪魔します」
「ただいま」
 花屋の奥、まだ花の香りの残る玄関を通って、家の中へと入る。
 前を歩くサキ先輩の背中で見えなかったけれど、声からしてお姉さん達は二人はいるようだった。
 そのままサキ先輩の後をついて、彼の部屋と思しき部屋まで来た。
「ちょっと座って待ってて」
 そう言われたので、私はおずおずと床に座ってカバンを下ろした。
 綺麗に整理されていて、男の人の部屋とは思えないようなサキ先輩の部屋は、それでも彼らしいなぁ、と思わせるところもたくさんあった。
 着飾らないけど、それでいてオシャレでカッコイイ。
 部屋に戻ってきたサキ先輩にも気づかず、部屋を眺めまわしていたから、突然背後から伸びた腕と、そこに抱えられた花束に心底驚いてしまった。
「あはは。ごめん、驚かすつもりはなかったんだけど」
 そう言って、でもそのまま花束を私の手に渡して、後ろから抱きしめた。
 薄い桃色と、黄色が中心となっている、綺麗でかわいい花束。
「いつもありがとう。俺は、桃歌チャンがいなかったら、ここまで心から充実してると言える生活はできていなかったと思う」
 温かい腕の中で、彼の気持ちが、本当に素直に伝わってくる。
 目の前の花束だけじゃない。彼自身からする良い香りが、伝えてくれる。
「私の方こそ、本当にありがとうございます」
 こんなにも、平凡で仕方のない私が、自分の背丈を伸ばして頑張ろうって思えたのは、こんな風な環境にいることができたのは、全てはサキ先輩のおかげだった。
 振り返ったすぐそこの彼の表情は、とんでもなく幸せそうだったから、ついつい、顔が綻んだ。
「大好きだから」
 細められた瞳の向こうで、私はどんな顔をしているかな。
 サキ先輩と出会わなければ、こんな幸せは、感じられなかった。
 彼もそう言うかもしれない。でも、私にとってはそれは真実だったから。
 綺麗に微笑む彼の抱擁に身を委ねて、甘い香りに包まれる。
 お決まりのパターン、と言ってしまえばそれまで。
 こんなことに意味が見出せるのは、自慢できることだ。
 大好きだから。
 たったそれだけで、幸せになれるのは。
「大好きだからです」
 目を閉じて感じた温もりからも伝わってくる、優しい笑顔。
 一年間、彼と過ごして、大変なこともたくさんあったけれど。
 これほどまでに幸せなのも、全て彼のおかげだったから。
 感謝の気持ちを伝えたいのは、こちらの方のはずだったんだけど。
「先輩、あの……」
 高谷君のことを話そうと思った。
 いつも、こういう話は隼先輩に聞いてもらっているけれど、それは逃げでしかなかったかもしれない。
 甘えて、頼っていい、と言ってくれる先輩たちだけど、それは適度の問題だ。
「友達になりたいって、男の子に言われたんですけど、どう、思いますか……?」
 サキ先輩は、意外にも軽く微笑んで、私の頭に手を置いた。
 そして、少しだけ言葉を探すように首を捻って、ゆっくりと口を開いた。
「桃歌チャンは良い子だからさ、俺もダメって言えないっていうか……」
 ああ、そっか、って誰もが思うような苦笑を浮かべて、サキ先輩は続けた。
「悔しいし、妬いちゃうけど、桃歌チャンが、俺のこと――」
「だ、大好きです」
 聞く方が恥ずかしいかもしれない! そんな風に思って、つい口走ってしまった。
 驚いた顔でまた笑った彼を見て、顔が熱くなるのがわかった。
 墓穴を掘ってしまった……かな。
 ちょっと後悔している私をヨソに、サキ先輩はゆっくりと私の頭を撫でた。
 嬉しそうに笑う彼を見て、私も嬉しくなったので、もういいことにした。
「そ、だよね。……ん、アリガト」
 私がもし、いくら高谷君と仲良く話す時間の方が、サキ先輩との時間よりも長くても、気持ちは変わらない。
 というよりは、そんなことがあったら、もう私は死んでしまうかもしれない。
 そう思えるほどに、今の生活で欠かせるものなんてなかった。
 いつだって、そうだったと思える。


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