Blossom - 「お腹いっぱい、いただきます!」

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「ふんふんふふーんふふふーん♪」
 すごい……! 何がっていうか、とても珍しい。
 自他共に認める音痴で有名な琴先輩が、鼻歌なんて歌ってる。お世辞にも音程が安定しているとは言えないような鼻歌だけど、とても上機嫌そうに。
「どうしたんですか?」
 部屋の片づけを終えて、葉山先輩を待つ間、私はついに彼に声をかけた。
「いやー! 打ち上げ、焼き肉食べ放題になりそうだから嬉しくって」
 ほっぺにピンクのかわいい模様がついていてもおかしくない満面の笑みで、琴先輩は強く抑揚をつけて語ってくれた。
「打ち上げ、って、文化祭のですか?」
 文化祭は二週間も前。体育祭もあったから、確かに間が開いてしまうのは仕方がないかもしれないけど、今初めてその話を聞いたというのもおかしな話だ。
「そーそ。水瀬から聞いてない?」
「……聞いてないですね」
 おかしいな、水瀬先輩だったら、企画も早いしすぐに言ってくれそうな気もするんだけれど。
 既に首を傾げている私と同じように、首を傾ける琴先輩。しかし、次の瞬間にはいつも通り朗らかに笑っていた。
「ま、いいや。楽しみだなー!」
 と、誰にともなく叫んでふらふらとどこかへ行ってしまう。
 っていうか、焼肉食べ放題……って、本気ですかね。

「あー、そうか、基山チャンには言ってなかったな。ゴメン。――けど、ちと、後でいいかな?」
「はい……?」
 帰り道、いつも通り横を歩く水瀬先輩に、なんとなく先ほどのことを聞くと、やっぱり何故かちょっと不思議にかわされた。
 ちょっとだけそれが不満でむくれていると、サキ先輩に耳打ちされた。
「琴に内緒にしなきゃいけないんだよ、色々あって」
 琴、先輩に? 納得が増えたのか、疑問が増えたのか、けれどそれ以上を聞こうとした私を、彼は目で制した。
 振り返ると、当の琴先輩は、まだとても機嫌が良さそうだった。

 結局、先輩たち四人と駅に向かうまでの道では、それ以上は聞き出せなかった。いつも通り、水瀬先輩やサキ先輩が話題を提供して、私や琴先輩が広げ、隼先輩が突っ込む。そんなスタイルでぐだぐだと話して、駅はすぐそこに。
「じゃね、桃ちー!」
「また明日」
 水瀬先輩を除く三人に別れを告げ、駅のホームで一息つくと、彼から切り出した。
「さっきの話なんだけど。打ち上げと称して、琴の誕生日パーティー兼ねようと思っててさ。だからこんな時期になっちゃったんだけど」
 なるほど、よく考えてみたら、確かにもうすぐ琴先輩の誕生日だ。それで、彼が喜びそうな焼き肉というのも頷ける。
 いつも以上に真面目な表情に見える水瀬先輩は、そこまで言って、いつものにへら笑いを浮かべた。
「琴はまだ気付いてねぇみたいだけど、大分不自然なこともあるから、基山チャンも気をつけてな」
「は、はい……」
 今日ちょっとだけ、変なこと言っちゃったけど……琴先輩なら、大丈夫、かな?
 それにしても、部員の誕生日はそれなりに祝ってる男子ヒップホップ部だけど、今回はかなり大掛かりだ。しかも、その対象は、琴先輩。
「あぁ、琴は、去年忙しくて忘れちゃったから、せめて今年ってみんなで計画したんだよ」
 まだ首を傾げる私に、水瀬先輩は補足してくれた。
「なるほど、ですね」
 サプライズして……彼は、どんな顔で喜ぶんだろう。いつも明るい笑顔を浮かべながら何か食べてるイメージだけど、琴先輩の嬉しがる姿は、こっちまで嬉しくなるくらい、素敵だったりする。
「私、何かやらなくていいんですか?」
 毎回、誰かの誕生日祝いのときには誰かに声をかけられて、プレゼントを用意したり何かしらやっているのだけれど、今回は今の今まで知らなかったくらいで、今からできることもあまり思いつかないけれど。
「大丈夫、大丈夫。だって――」
 何気なく、間を置いた水瀬先輩を見上げたら。
「わ、わわっ」
 私の頭にすっと伸びてきた手が、前髪を避けてそのかたい骨の感触を味わうように額を撫でた。
「基山チャンは基山チャンのまんまで琴には十分だし」
 ぺ、と舌を出して笑った水瀬先輩の決まった笑顔が相も変わらず画になりすぎて、私は不覚にもドキドキしてしまった。
 ……って、今の言葉の真意を聞きそびれてしまった。
 なんだかんだ、私も色々大変かもしれないなぁなんて思いながら、琴先輩の笑顔を想像して、思わず笑みが零れる。
 楽しみにしておいて、なんて言える立場じゃないかもしれないけど、私も何か考えておいて、彼を喜ばせたいなって思った。


 何故だか、私がとっても緊張してしまっています。
 というのも、先輩たちのサプライズを何一つとして私は聞いていないのに、自分は自分で用意しちゃったことがあったりするから。サプライズで私がびっくりしちゃったりしたら、それはそれで恥ずかしいし。
「……基山、なに、具合でも悪いのかよ」
 何ともなくお腹に手をやって変な顔をしていたからか、先ほどから私の前でぼけっとしていた和真君が、私をちらりと見て心配してくれる。
「あ、ううん、全然。ゴメンゴメン」
 勿論体調はすこぶる良い。けれど、よくわからない緊張が、全身を支配してしまっていて、なんとなくぎこちなくなってしまう。
「無理すんなよ」
 私の否定があまりにも必死すぎたのか、和真君は私を数秒じっと見つめた後、一言添えて視線を逸らした。
 なんだか、申し訳ないなぁ。
 待ち合わせの駅前、まだまばらな部員を見回す。
 琴先輩はまだ来てない、けど……。あ、隼先輩がいる。
「こんにちは。先輩、今回のサプライズについて何か聞いてますか?」
 一応、水瀬先輩のあの言葉も気になるし、もし隼先輩に内容が伝わっていれば、それなりにおかしなことにはならないはずだけど。
「ん、いや、あまり聞いてない。何か気になることがあるのか?」
 期待に反して、彼はあっさりとそう答えたけれど、わざわざ聞いた私を気遣ってそう聞いてくれたので、水瀬先輩の言葉を一応伝えておいた。
「はぁ。……まあ、そう大変なことにはならないだろう。お前も琴を祝う気で来ているなら、心配はいらんさ」
 しかし、そんな風に曖昧に言うだけで、私の変な緊張は全然消えなかった。
「桃ちー、おはよ!」
「琴先輩、もう夕方ですよ」
 背後から突如襲いかかってきた、緊張の根本的原因(?)である琴先輩の挨拶を、なんとかいつも通りやり過ごす。わあ、びっくりした。
「楽しみすぎて暇でさっきまで寝てたんだよなー」
 楽しみすぎて、という言葉に、少し嬉しくなる。サプライズで、果たしてそれ以上に楽しんでくれるかどうか。
「みんな集まってるな、行くぞー」
 いつの間にやら集っていた部員たちに、これまたいつの間にやら来ていた水瀬先輩が声をかけて、先導する。
 さあて、どうなるかなあ。

 手始めは、何もなかった。くじ引きで席を決めるってくらいだけど、大人数の打ち上げなら、よくある話だし。
 ……けれど。
「うぉー、桃ちーと隣じゃん!」
 広い座敷席に案内され、一つのテーブルに片側二人ずつ、四人が座るのだけど。
 私の隣には、琴先輩。目の前は、朝斗先輩に、和真君。
 そして、サキ先輩は面白いくらい私から一番遠い。
 いや、くじ引きの偶然というものも侮れないもので、意図が入ってるかなんて私には計り知れないものではあるのだけれど。水瀬先輩の悪ふざけみたいな計画じゃなかったらいい。
 飲み物を注文して、乾杯までメニューを見たりして。その最中も私はずっとドキドキだった。琴先輩は純粋に興奮していたけど、私はそれすらも冷や冷やしながら眺めていた。
「じゃ、乾杯とするかな」
 そう言って立った葉山先輩は、辺りを見渡す。……あれ?
「男子ヒップホップ部の文化祭公演成功、お疲れ様!」
 うぇーい、という男くさい煽りと共に、グラスがぶつけられる。私が、さっきのことを確認する間もなく。
 しかし、次の瞬間。クラッカーの弾ける音が、グラスの音をかき消した。
「琴、誕生日おめでとう!」
 乾杯のとき見当たらなかった水瀬先輩。手すきの人に渡したらしいクラッカーが、煙を上げていた。
 本人の、反応といえば。
 隣に座ったせいで、よくは見えなかったけれど、琴先輩は数秒硬直した後、口角を上げて笑った。
「ありがとう!」
 それはもう、笑い泣きみたいな声だった。別に彼が泣きそうだったんじゃなくて、言葉にできない、みたいな顔で、ずっとためらった後の言葉だから。
 拍手や、わいわいとした野次の中、琴先輩は頬を染めて嬉しそうにした。
「っつことで、今日のお金はお前の分はチャラな!」
 なんとなくおさまったところで、朝斗先輩が切り出す。なるほど、そういうことだったのか。
「サンキュ!」
 へへ、と兄に笑った琴先輩は、とてつもなく生き生きしていた。

「桃ちー、もういいのかー?」
「あ、はい、お腹いっぱいですよ」
 正直、琴先輩の胃袋、ナメてました。ペースが速いというか、止まらない。普通、ちょっとお腹が溜まってくるとペースが落ちるものだと思うんだけど、それが全然。
 一時間経って、男の子といえどみんなダウンし始めている中、まだまだ元気に肉を焼いては食べている。
「俺、幸せだなー」
 ふと、彼が手を止めた。箸を置いて、私を振り返る。顔には、恍惚の笑みが浮かべられていた。
「いっぱいうまいもん食えて、みんなに祝ってもらって」
 なんで、私にそんなことを言うのか。その理由は簡単だった。テーブルにいた二人は、既に他のテーブルに遊びに行って、いないからだった。
「そうですね」
 そして私は、この機会に、乗じるべきか、と悩んでいた。私の用意したものを出すのは、今でいいのか。
 それを真剣に考えて、彼の目もろくに見ていなかったから、気がつかなかった。
 背中に伸びてきた腕、肩を支える手。引き寄せられた身体が、彼の胸に当たる手前で、はっとした。
「琴、先輩……っ」
 見上げた彼は、顔を逸らして見せてくれなくて。
「琴先輩」
 諦めて、もう一度呼ぶ。今度は、こちらを見てくれた。
「このまま、ちょっとこのままでいさせてくれよ」
 いつもの明るいトーンから吐き出されたとは思えない甘い言葉に、心の中がほんわりと温かくなる。
「サキ先輩が……」
 大丈夫そう、とおどけた琴先輩の視線を追うと、サキ先輩は一心不乱に目の前の何かを口に運んでいた。
 背徳、じゃない。言い訳かもしれないけど、わかってしまったから。水瀬先輩の言葉の意味が、私にはサプライズを教えなくてもよかった理由が。
「俺、みんなよりももっとホントに、桃ちーのこと、好きなんだ。サキのことも好きだから、今の状況に不満はないけど」
 でも、と吐息のような否定。
 琴先輩の茶髪の襟足の端っこが、目の前に迫っていた。
「桃ちーとこうできるのは、純粋に嬉しい」
 私は、笑っていた。琴先輩の赤い頬を見て、私も恥ずかしくなって。
「私は……」
 何を、答えよう。本心以外に、何を言っても仕方がないけど、表現の仕方がわからない。
「琴先輩、誕生日おめでとうございます」
「ありがとっ!」
 何よりも、それに他ない。その私の判断は、間違っていなかったようで、強く再度琴先輩は私を抱きしめた。
「あの、そろそろ」
 ひとしきり、頬をすり付けてくる琴先輩を見守ってから、私は切り出した。彼も、すんなりと解放してくれる。
「私からもプレゼント、ありますよ」
 カバンの中から、包みを取り出す。自信はないけど、私のお弁当を褒めてくれた琴先輩になら、もう気にする必要もない。
「ケーキ……焼きました」
 お菓子もオールマイティーにいっぱい食べる彼だ。きっと喜んでくれると思って。
「マジで! ……うわぁ、すっげー嬉しい」
 小さいとは言えないから、紙袋に入れて渡すと、中身をちらちら見ながら、琴先輩はもう一度頬を染めて微笑んだ。
 そしてそれを軽く胸に抱いて、少し俯きがちに。
「お腹いっぱい、ありがとーございました」
 改まって言う彼が、おかしくって。自分でもそう思ったのか、琴先輩は言ってから自ら笑い出した。
「もーあんなことしないから、安心してな」
 冗談めかして言ったけど、私は別にいいんですよ。だって、琴先輩のことも好きだから。


「うわー琴、初々しいな、なんか。こっちが恥ずかしいぜ」
「ですね。基山がちょっとできるヤツに見える」
「本人にそれ言わない方がいいな」
「そうですね、怒られそーだ」
「にしても、うまくいってよかった。サキは残飯処理に追われてるから、気にする必要もなくて」
「ちょっと良心痛んでるんすけどね……」


  9/20
  千種 琴吹Happy birthday!!


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