Blossom - 笹神 隼history「夢見人の旅路と過去の轍」

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 家族、というものは、本当にそれぞれの人にとって違う存在だろう。ある人にとっては、友達。ある人にとっては、社会。
 そして俺にとっては……そうだな、こんなことを言うのもおかしな話だが、ちょうど子供のようなものなんだ。
 何、大して重たい話でもない。軽く聞き流してくれればいいさ。
 俺は下に兄弟が三人いるっていうのは、知っているよな。
 上から、弟の海(かい)、妹――双子の、鶫(つぐみ)と雲雀(ひばり)だ。
 それと、あまりのヘタレっぷりに子供を押しつけられて離婚した父親で暮らしている。
 離婚したと言っても、母親の方は父さんと暮らすのが嫌になっただけらしいから、昔からたまに会う。……あぁ、そうだな、とても綺麗な人だよ。性格は歳に合わず天真爛漫だが。
 そんな訳で、我が家には家事をする母親もいなければ、父親は仕事しかできない無精な人間で、離婚して引っ越した当初は、とんでもなく大変だったんだ。
 サキのお母さんや美咲さん、色々な人の手助けを経て、ようやく今の、俺が家族の面倒を見る役割を担う形が整った。
 今日は……そうだな、あのカフェのマスターを覚えているか? 彼と俺の家族の関わりについての話をしよう。

 美咲さんが、車椅子の男の子を家……厳密に言ったら、花屋の方に連れてきたのは、なんでもない普通の日のことだった。
 俺は少し前からしていたみたいに、学校から松岡家に帰ってサキ達にお世話になっていたから、少し不思議に思えたその出来事を知ることを避けられなかった。
「こんにちは、美咲ちゃんの弟君? すっげーかわいいな」
 サキと二人で下に下りて様子を見に行ったとき、柔らかくそんな風に笑いかけられたことを覚えている。
 彼と美咲さんの間には、俗に言う恋愛感情などがあるという関係ではなかった。そもそも、後で聞いた話、彼は自分の恋人にプレゼントする花を買いに来ていたのだという。
 そう、俺と彼の邂逅はそういう感じだ。彼は美咲さんの中学時代の先輩だった。
 彼が車椅子で活動しているのは、生まれつきの病気のせいだった。下半身が麻痺していてとても歩けないらしいのだ。
 普通の学校に通っていたのか、と感心するかもしれない。実際、俺たちの母校でもある中学校にエレベーターがあったからいいものの、歩くことができない彼にとって学校生活は困難ばかりだったという。
 彼はそのうちに花屋の常連になっていた。ことあるごとに、恋人に花を贈ると言って笑った。
 彼の名前を知って、正式に仲良くなったのは、美咲さんが不在のときに彼が店に来たときだった。
「やぁ。君、美咲ちゃんの弟じゃないんだってね。なんて言うの?」
 断っておくが、俺は当時小学生になりたてだった。
 松岡家にお世話になり始めてから、知らない年上と仲良くしなきゃならなくなったから、当時の俺はもうそれなりに対人関係に対して肝が据わっていた。
「隼君。ううん、隼。僕は橘 満貴(たちばな みつき)。満貴って呼んでな」
 何が嬉しかったのかはわからなかった。しかし、どうしてか幼い俺は満貴のことをとても気に入って、それから店に来るたびに話をした。
 満貴は生まれつきの病気のせいで障害者という立場にあるにも関わらず、話だけしていればとても魅力的な人物だった。
 どんな人にも優しいが、積極的に人と接するし、関わり方も当たり障りのなく、という感じがないのだ。
 それに、大きな夢があった。
 満貴は料理が好きだった。自分にでもできる、人を喜ばせる手段だと誇らしげに語っていた。
 彼の夢とは、シェフになることだった。シェフは厨房で動かなければならないが、それでも彼は料理を職にしたいと言った。
 料理を習っていると言う彼に、幼い俺は名案を思いついたんだ。
 その頃まだ俺たち笹神家は、家事の全てを松岡家に頼っていたから、俺は満貴に料理を習ったらいいんじゃないかと思って、彼に頼んだ。
 それから、ほとんど毎日。そう近くない距離を一生懸命、松岡家に来る満貴に、夕飯を作ってもらいながら料理を教わった。
 その頻度はだんだん環境も変わっていって変動したが、俺は満貴が店を開くまでずっと料理を習っていた。ちょうど中学校くらいまでだ。
 満貴は、シェフにはなれなかった。現実はやはり甘くなく、料理学校に入ったものの、様々な事情ですぐにやめてしまった。それからしばらく彼は無職だったが、障害者としては当たり前だった。それに俺は彼にそんなことは聞けなかった。
 しかし、あの店を開けたんだ。その話は、また今度しよう。
 とにかく俺が料理が得意なのは満貴のおかげだった。
 それともう一つ、彼に大事なことを教わったな。
 満貴には恋人がいた。それはもうずっと昔から、一人。彼女は言ってみれば満貴の幼なじみで、不自由な彼の面倒をよく見てくれていた。
 満貴は、そんな彼女と付き合っていながら、深い負い目を感じていた。彼女と自分が近しくなるせいで、彼女を縛っているのでは、と。
 だから彼女に感謝の花を送っていたのだ。
 彼は、彼女は今の自分と付き合ったままでは幸せになれないと考えた。満貴にとって彼女はかけがえのない存在だったから、誰よりも幸せであってほしいと願っていた。
 満貴と彼女の間には、たくさんの問題があった。何よりも二人の間には長年面倒を見られたという借りのようなものもあった。
 だから彼は、人一倍、人と付き合うということを真剣に考えていた。
 今は彼なりの答えを見つけて、二人は夫婦になっているが。
 お前の悩みをスッキリ解決できたのも、そういうわけなんだよ。
 俺が人のことをよく見て、よく考えて付き合っていくのも、彼からの教訓によるものだった。
「自分の内面を見てほしかったら、相手の内面を見てあげないと」
 彼の外面は、歩けない障害者だ。しかし中には素晴らしい性格を隠し持っている。
 上っ面だけの付き合いは、相手だけでなく自分も追い詰める。きっとそれが言いたかったんだろう。
 満貴は内面の自分を他人に理解されることで、より自然に、普通に他人と接触できていた。障害者という立場など、なしに。
「最近、どうなんだ? 店の方は」
 カフェを開くために二年間特訓したとあって、満貴の紅茶やコーヒー、ココアは自分でいれるのとはまた違う。
 俺にとっては、満貴と二人でゆっくり話せる時点で、この店は居心地のいい場所だ。
「ん〜ぼちぼち? コーヒー一杯飲みに来てくれるお客さんはちょっと増えたかもね」
 俺しかいない時は、満貴は肘をついて眠そうにリラックスして座っている。
「やっぱり満貴目当てで来る女は多いのか?」
「はは、まぁ、ね。紗夜がまた悩んじゃうから秘密だよ」
 満貴には昔から恋人がいたが、それでも彼はすごくモテる。外見がいいのは勿論、俺が尊敬するほど性格が良い。
 それで彼の恋人、紗夜香さんが悩んでしまい俺にまで相談を持ちかける時期もあった。
「隼は彼女作んないの」
 甘くとろけた昼下がりどおりの目で、満貴は冗談ではなく問う。
「前サキの彼女を紹介しただろう。アレの面倒を見るので精一杯だよ」
「あの子だってもう一人でやってけるでしょ。むしろ離れてあげなきゃいけない。それに隼、自分に向けられた好意を認めるのも人間の社会的義務のひとつだよ」
 溜め息をつきそうになる。そんなこと言っても、ミーハーでなくて俺を好いている人なんて。
「先入観はいけないって言ってるじゃん。広い目で見たら、僕も鶫ちゃん達も隼が好きだし。気づいてあげなよ? まあ、もう勉強も忙しい時期なんだろうけどさ」
 突拍子もないようで、すっと納得できてしまう。ミーハーでも好きは好き、か。
 そういう風に気持ちを受け止めることに一生懸命なのに、彼は紗夜香さんのことまで考えられる。今では、もう。

   自分からサキを突き放したいと思うことが、もしあるとしたら。よく考えても、悩むと言うなら。
 満貴に相談してみるのがいいさ。彼はそういうことについては一番よく考えて、しかも克服しているから。
 あぁ、俺のことより満貴の話が気になるか?
 今はしないさ。いつか本人に聞くといい。
 俺の話をすると言って満貴の話をしてしまったが……笹神の家の話は、また今度だとすると、これが全てだな。
 お前がもし俺を尊敬してくれるなら、それは満貴のおかげだということ……それを知ってほしかった。
 夢を見て気丈に歩き続けた彼には、足という足がないことを、知ってほしかったんだ。

「……本当に、隼先輩の話はないじゃないですか」
 自分の話を聞かせてくれる、と言うから聞いていたものの。彼に関連する話ではあれど、全く私にとって身近なものではなかった。
「困ったな、もうネタを用意してないんだが」
 珍しく肩をすくめた彼に驚きもしないくらい不満な私は、机に頬杖をついた。
「先輩、中学生のとき何か部活してたんですか?」
 こうなったら質問攻めしかない。隼先輩のことを知れると思ってそういう気分になってしまったから、このままでは気が済まない。
「ん、あぁ。体操部だった」
「体操部、ですか!」
 合点がいった。隼先輩のしなやかな動きと、とんでもない身体の柔らかさは、そこ由来だったのか。
「入るつもりは全くなかったんだが……騙された、というか」
「あはは、私と一緒じゃないですか」
 私も、梓に無理やり連れてかれて、流れで入部させられて、成り行きでそれなりに真面目にやっていた。
「ま、今は後悔してない。ダンスだってサキの付き添いで始めたが、ちょうどいい運動になるし、まぁ楽しいしな」
 なんとなく、イメージだが、隼先輩には青春と言えるような、楽しいからやってるとか、それが命みたいなものとか、そういうのがないと思っていた。だから、半分驚きで、半分納得。
「先輩、彼女とかいたんですか?」
 ここまできたら、聞けることは全部聞いてしまえと思って切り出したら、彼は目を丸くした後、笑い出した。
「お前にそんなこと聞かれるとは思わなかった。……一度だけ、な」
 背もたれに上体を預けた状態で、面白そうに笑った隼先輩が、急に普通の高校生に見えた。
 ないとは思ってなかったけど……実際のことを聞くと、なんとなく複雑な気分になる。
「振ったのに諦めきれなくて落ち込まれて、何度も目の前で泣かれたから面倒みてやってた、って感じだけど」
 こんな言い方をしているけれど、本当に嫌いな人を隼先輩だといえども面倒をみたり気にかけたりするはずない。心配になってしまうところがきっとあったんだ。
「何度も、怒られた。泣かれた。無愛想だとか、浮気性だとか」
 少し困ったように、また自分を揶揄するように語る彼を見て、自虐なんだな、と感じる。
 きっとその子はただ単に泣き虫なだけなんだ。それと隼先輩は自分があまり素直じゃないし、色々な人に分け隔てないのも自覚してる。
「……でも、付き合ってたんですもんね」
 あぁ、と答えた彼は、少し懐かしそうに目を細めた。
 中学生の頃の隼先輩が想像できないけど、彼女は幸せ者だったろう。こんなに彼の記憶に残れたのだから。
「別れたのも、大した理由じゃなかったんだ。俺があまり本気じゃないのがバレてて、相手が気を遣って手を引いてくれた。――少し、名残惜しくはあった」
 サキ先輩や彼のお姉さんなど、気の許せる人物はそれなりにいるはずだけど、恋人というのは、やっぱり違うはずだ。
 彼の物悲しい表情がそれを語っていた。
「なんだか……。全然、隼先輩も人を好きになれるんだなぁって、安心というか、納得しました」
 失礼かもしれないけれど、彼ならきっと意思を汲み取ってくれる。そう信じているからこそ、隼先輩には何でも話せる。
「……そうか。やっぱりそういう風に見えてるんだな」
 私の言葉を聞いて納得したように遠くを見つめた彼の言葉の意図は、よくわからなかった。
「俺は今は、お前が頼ってくれてる事実だけで十分だよ」
 少しの沈黙の後、隼先輩は嬉しそうに笑いながらそんな突拍子もないことを口にした。
 なんて返せばいいのかわからなくてあわあわしていたら、からかうように笑われた。

 俺にとってみたら、サキも桃歌も同じくらい大切だ。その二人の役に立てる形で関われることだけで生き甲斐になると言ってもいいよ。
 だから、いつまででも頼ってくれて構わない。頼ってくれなくても構わない。
 きっとどんなときでも俺は上手くやっていくからさ。



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